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「コンクリート・レボルティオ~超人幻想~」新旧超人対談企画第1回 石森プロ編 早瀬マサト×會川昇

10月からスタートするTVアニメ『コンクリート・レボルティオ~超人幻想~』。制作スタッフが数々の超人を生み出してきたプロダクションとそのクリエーター陣を迎えた連続対談企画の第1回。

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■ 秀でていることが必ずしも理想ではない時代の物語づくり

――おふたりとも「仮面ライダー」シリーズなど、現在の石ノ森作品に関わられています。作り手として、そうした作品で描かれる異形のキャラクター、超人にどのような意識を持たれましたか。

會川 
早瀬さんは「平成ライダーシリーズ」の各シーズンが終了するごとに雑誌でノベライズを連載されていましたよね。テレビでは扱われなかったやや大人向けなストーリーもありました。石ノ森さんが原作マンガでやられていたことなど意識されたのですか?

早瀬 
石ノ森先生の意思は受け継ぎたいなと。ただ、最近はテレビでもハードな物語が増えるなど割りと自由になっています。あまり差はなくなってきているので難しいところです(笑)。

――早瀬さんは設定や物語を考えるとき、「石ノ森先生の思考をトレースしよう」といった意識はありますか?

早瀬 
もちろんです。でも、トレースするだけでは懐古趣味になりかねない。石ノ森先生はつねに未来を見つめてきた作家ですから、時代に合わせて新しいものを取り入れつつ、換骨奪胎していくことが重要です。「平成ライダー」もそうした意識でつくられていますし、會川さんが参加された『仮面ライダー剣』(04)もまさにそうですよね。

會川 
かつて特撮ヒーロー番組をつくるときは「子どもに分かりやすい勧善懲悪なエンターテイメント」という厳密な縛りがありました。けれど僕が『剣』に参加したときそういったことはほぼなくなっていました。
今作り手の立場にいる人間は、子どもの頃に「テレビは子ども向けだけど、(石ノ森さんの)マンガは大人向けだよね」と憧れていた世代なんです。だからこそ「石ノ森イズムをしっかり継承しなければ」という使命感がある。なので『剣』では『キカイダー』の原作マンガにあるような哀愁感漂う大人向けなドラマを取り入れることができました。
早瀬さんがおっしゃったように今はメディアごとの表現の差はあまりない。かつての石ノ森さんの理想は実現化しつつあるわけですから、その先にいかなければならない時代にきていると思います。


――常ならぬキャラクター、超人たちが登場する作品に、おふたかた数多く関わられてきましたが、時代における「超人像」は違うのでしょうか?

早瀬 
今は超人たちが哀しみを背負うことはなくなりましたね。その象徴として『仮面ライダーフォーゼ』(11)以降のライダーには「涙ライン」がないんですよ。これは当時プロデューサーから聞いたことですけど、東日本大震災の経験もあって「これからはもっと強いヒーローでないといけない、泣いて戦うヒーローではダメだ」と。それで涙ラインを廃したそうですが、これは正しい決断ですよね。やはり時代に合わせて変化していかなければならないので。

會川 
かつては誰よりも秀でていたり、ふつうの人間が出来ないことをやってのけることが理想とされていた。でも、近年の平成ライダーを見ていると違っていて、身近で平凡な人間が主人公だったりします。秀でていることは必ずしも理想ではないんです。

早瀬 
そうですね、あと今は「特訓・努力」というものが子どもに響かない時代だろうなと。『がんばれ!! ロボコン』(74)のリメイク作『燃えろ!!ロボコン』(99)をつくったとき、すでにそういう時代に入っていました。「ロボコンは失敗ばかりだけど、その努力が尊いんだ」ということが子どもに評価されずに「100点取れないならダメだ」と言われてしまう。番組としては面白く観てもらえたのですが、ロボコンを自分と重ね合わせてもらえたわけではなかったんですよ。

會川 
一方で、自分と重ねあわせて「こういうふうになりたい!」と同一視できる存在が望まれているのは昔と変わらない。だから、今の子どもが努力せずとも100点を取れるような姿に憧れるのであれば、それを否定するのではなく、まずはそういう主人公を据えてどのようなドラマがつくれるのか考えてみる。そうしたスタンスが大事だと思います。


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