「トラペジウム」アイドルはどのように“誕生”し、“存在”していくのか? 【藤津亮太のアニメの門V 107回】 | アニメ!アニメ!

「トラペジウム」アイドルはどのように“誕生”し、“存在”していくのか? 【藤津亮太のアニメの門V 107回】

元・乃木坂46の高山一実が雑誌「ダ・ヴィンチ」で連載した長編小説『トラペジウム』。現役アイドルが綴った「アイドルを目指す少女の青春物語」が、『ぼっち・ざ・ろっく!』『SPY×FAMILY』などを手掛けるスタジオ・CloverWorksによってアニメ映画化を果たした。

連載 藤津亮太のアニメの門V
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映画 『トラペジウム』は「アイドル」を巡る物語である。
しかし、アイドルについての具体的な描写は少なく、かといって会話の中で概念としてなにか確固たるものが示されるわけでもない。本作におけるアイドルは、大いなる空白とでもいうべき「不在の中心」として扱われている。  

この姿勢は冒頭から明白だ。冒頭は、主人公・東ゆうが幼い日、テレビでアイドルの姿を見て、心惹かれるシーンから始まる。ただこのシーンで、テレビの中のアイドルの姿はちらりとは見えるだけで、固有名詞を持った明確な存在としては扱われない。また観客の熱狂も点描の範囲で、その熱気が東に感染したというふうにも演出されていない。観客は「東が“それ”に魅了されたこと」はわかるが、「“何”が東を魅了したか」について画面から具体的な“何か”を受け取ることは難しい。  

この姿勢は徹底していて、本編でアイドルらしいパフォーマンスが正面から描かれるのは物語の折り返し点で1回だけ。ファンの姿も同様で、SNSのリアクションなどの範囲に留まっている。中には原作にファンの描写があるところを、あえて映像にしていないところもある。東は作中でアイドルについて、“光っている存在”、“人を笑顔にする存在”と説明するが、この言葉も映像として示されることはない。東は、他人を巻き込みながら、この「不在の中心」の周囲をぐるぐると回る、まるで台風のような主人公だ。  

冒頭に続くタイトルバックには、高校生となった東が歩く様子を軸に、物語全体の予兆を織り込まれている。例えば、4羽の鳥が登場するものの、その後のカットで東を残して3羽が飛び去っていく様子が描写されるし、風見鶏や壊れる方位磁針を見せることで、これから起こることの予感を示している。  

この間に挿入されるのが、成長した東が、ダンスを練習し、オーディションを受け、不合格通知をもらうという3カットだ。ここはノートに描かれた鉛筆画が動くという少し変わったスタイルで表現されている。本編の半ばも過ぎたあたりで、東はいくつかオーディションを受けたが「全部落ちた」ということがセリフで明かされる。この台詞の根拠となるのが、タイトルバックの3カットなのだが、映像のスタイルもあって、そこまで強く印象には残らない。  

「オーディションに全部落ちた」という事実と、にもかかわらず彼女の中にはアイドルへの執着が燃えているという点が、東を“奇策”へと駆り立てているわけだが、ここでも「全部落ちた」という動機の中核が明確に示されない。そのため物語は東の“リベンジ”という色を帯びることもない。その代わり浮かび上がるのは、「不在の中心=アイドル」をめぐって空回りをした東が、若さゆえの過ちを起こすという物語だ。  

映画の前半は、東が自分の住む地域の「東西南北の美少女を集めてアイドルグループを結成する」という目的に向かって進む姿が描かれる。先ほど“奇策”と書いたが、ここで東が目標達成のために行うのは「見込みのある女の子を選び出し、友達になる」「ボランティアに参加して、のちにプロフィールを探られたときの印象をよくするための仕込みをする」「観光地で通訳ボランティアを行ってメディアの注目を得る」といった非常に迂遠なプランなのである。  

この「子供の浅知恵」としか言いようがない“奇策”が当たる。通訳ボランティアの取材がきっかけで、制作会社と縁ができ、情報バラエティの1コーナーに女子高生レポーターとして4人で出演することができたのだ。そして番組のエンディングテーマも歌うようになる。「東西南北(仮)」というグループ名もつき――だからタイトルバックでは風見鶏や方位磁針が彼女たちの象徴として描かれる――彼女たちは、初ライブに挑戦することになる。  

ここが本編で正面からアイドル活動が描かれたシーンだ。しかしここでは「一生懸命な4人」を描くことが主眼で、彼女たちの一生懸命さがファンに伝わるといった描写は中心にはない。そして物語の折り返し点に置かれた、このライブシーンを境に、東西南北(仮)はギクシャクしていき、2曲目を出す前に空中分解してしまう。


《藤津亮太》
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