「僕の心のヤバイやつ」市川と山田の距離がじれったい― 視線から見える2人の関係【藤津亮太のアニメの門V 第104回】 | アニメ!アニメ!

「僕の心のヤバイやつ」市川と山田の距離がじれったい― 視線から見える2人の関係【藤津亮太のアニメの門V 第104回】

青春初恋ラブコメを丁寧に描いたTVアニメ『僕の心のヤバイやつ』。そのエモーショナルな演出とは?

連載 藤津亮太のアニメの門V
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恋愛ドラマは、第一に「視線」のドラマである。 互いに目を見交わすことが、思いを通わせ合っていることの端的な表現として普及している以上、恋愛ドラマは、それを前提として組み立てられることになる。だからこそ演出家は、直接的な視線の交差を描くだけでなく、あえてそうした描写を避けつつ、思いを通い合わせている状況を表現しようと工夫をする。こうした「視線」の取り扱いは、作品に内在するものと、演出家の戦略の組み立てによって決まってくる。  

例えば、『ゆびさきと恋々』はストレートな恋愛ものであることに加え、手話という題材もあって、互いが正対して会話をするシーンが多い。必然的に互いのアップもしくはバストショットで切り返す繋ぎも増えることになる。だからこそ、耳が不自由な主人公・雪が、本来は避けてほしい「後ろからのハグ」を逸臣には許すということに、設定というだけではなく、「視線の物語」としての意味合いが生まれることになる。  

そして「視線の物語」として非常に印象的だったのが、第2期に入ってさらにエモーショナルな方向に踏み込んできた『僕の心のヤバイやつ』の、karte18「山田は僕が好き」だった。  

そもそも本作は、主人公・市川が図書室の書棚越しにクラスメイトの山田を見るところが物語の重要な起点になっていることからもわかるとおり、視線が非常に重要な役割を果たしている作品なのである。  

karte18「山田は僕が好き」は、市川が卒業式の送辞を読むことになるというエピソード。ここに山田のことが好きな卒業生の南条という先輩が絡んでくる。南条は第1話で山田をナンパしてきたキャラクターであり、ここまでは“チャラい”人物のように描かれていた。  

まず市川が送辞を読むシーン。ここでは壇上の市川と山田を含む生徒たちが正対しており、そこを繋ぐようにイマジナリーラインが引かれている。カメラは、市川に向かって右側から卒業式の風景を切り取る。だから、市川は左向きで、山田たちは右向きで捉えられる。  

ここを基本としたカメラポジションが、途中で変化する。市川は、実は送辞の原稿を家に忘れてきており、途中からアドリブで自らの思いを語り始めることになる。このとき、市川の顔が、正面から右へと向く。そして市川の言葉を聞いている卒業生の南条は、それを受け止めるように、左向きに描かれる。  

この瞬間、最初に引かれた市川と山田を結ぶイマジナリーラインだけでなく、市川と南条を結ぶ新たなイマジナリーラインが引かれたのだ。その結果、市川を頂点とした2本のイマジナリーラインの間にカメラが置かれ、あたかも180°に首を振りながら撮影しているかのようなカット繋ぎになっていく。  

どうしてこのようなトリッキーな演出になっているかといえば、これがその後の保健室のシーンでの、南条の描き方に繋がっているからだ。  

送辞を終えた市川は、力尽きて保健室で横になることになる。それを見舞いにきた山田のところへと、卒業式を終えた南条が訪れる。南条は山田に告白をするつもりなのだ。保健室のソファと椅子に腰掛ける南条と山田。このときふたりは相対せず、90°の角度で、山田から見ると、南条は右向きになる形で座っている。リアリティでいえば、体を斜めにしてふたりの顔を正対させることも可能ではある。しかし、そういうカットはほとんど存在しない。  

山田は「高校に行ってもサッカー続けるんですか?」と尋ねる。山田に見られていると思っていなかった南条は驚く(この時も顔は左向き)。どうしてと尋ねる南条に、山田は辞めた後も部活の様子をグラウンドの外からよく見ていたから「サッカー好きなんだなって」と答える。これに対し南条は「続けたってプロになれるわけじゃないし」と答える。だが、この答えはその後に明かされる通り、ウソなのである。  

南条がどうしてと尋ねるた瞬間、カメラは、一旦クッションとなるシーンを挟むことでイマジナリーラインを越えて、南条と山田を背中から捉える位置へと動く。背中からカメラが捉えたふたりは、漠然と床を見ているだけ。床には、窓から光が落ちており、それが逆にこの空間が余白であることを強調し、中心を欠いている印象を強める。「プロになれるわけじゃないし」という発言はこの状態でなされるのだ。  

その後、南条は山田をほめたあと、話題が逸れていくのを訂正するように「違う、違う」といって、ついに告白を試みる。このとき、カメラは再び南条の正面側へと戻り、再度左向きで彼の顔をとらえる。  

南条は山田に対し「好きだ」という。そして立ちあがり、まっすぐ山田を見て「第二ボタン受け取ってほしい」と手を差し出す。ここでようやくふたりは視線を堂々と見交わすのだ。画面が左に傾いて、右側の南条から左側の山田へと、その思いが流れ込むようだ。  

このようにこの回では南条が(柄にもなく)本心を明かそうとしたとき、カメラはその顔を左向きに捉えるのだ。そして、その視線の先に、その対象が置かれている。思い返せば、保健室に入ってきたとき、南条は市川の送辞が心に響いたと、いつものようにひょうひょうと語っていた。そのときも顔は「左向き」なのである。市川は心のなかで南条の褒め言葉を「空虚」と評するが、実は市川の送辞を「左向き」のアングルで聞いていたときから、南条なりにちゃんと市川の言葉を受け止めていたことがわかる。  

南条の本音の告白に対し、山田は正面のアップで「私好きな人がいるんです」と答える。南条はそれを聞いて保健室を去るが、去り際にちょっと(あえて)意地悪なことをいう。そのときはやはり、サッカーを辞めた理由でウソをついたように、それもまた背後の姿である。そしてウソをすぐに山田にそれを見破られ「右向きの顔」を見せて退場していく。こうして南条(と山田)の視線をめぐる物語は、南条の失恋という形で終わる。  

ここで思い出すのは、市川が送辞を読み上げるにあたって、最初に視線を見交わしたキャラクターがいたということだ。それはイマジナリー京太郎、市川の心のなかにいる“もうひとりの自分”だ。送辞の原稿を忘れピンチに追い込まれた市川に対し、このイマジナリー京太郎はまっすぐ目を見て、「お前のことを一番好きなのは俺だぞ」と告げる。  

これは一見唐突に見えるが、市川の自己肯定感が高まった結果、変わろうとする自分自身を受け入れているという表現と考えると合点がいく。ある程度の自己肯定感がなければ、恋愛で相手のことも受け入れることはできない。このイマジナリー京太郎との視線の見交わしこそ、恋に至る最初の一歩ともいえる大事なシーンなのだ。  

ちなみに、南条が退場し、保健室に残された市川と山田。けれどもふたりはすぐに保健室から出てきてしまう。山田は、自分の好きな人がいるという発言が市川に聞かれたのではないかと動揺しているし、市川は市川で、山田の気持ちに気付いて動揺している。瞳をグルグルとさせたふたりは、保健室から出てくると、いきなりそれぞれ廊下の逆方向へと歩きだしてしまう。市川と山田の物語はそれまで、「視線を見交わすことが少ない」「見交わした視線は持続しない」という形で、ずっと語られてきたし、そうい意味ではkarte18でもそこは変わらなかった。  

続くkarte19「僕らは溢れ出る」ではそんなふたりが、クラスメイトの神崎と原とダブルデートをするシーンが出てくる。神崎がホワイトデーのお返しを送る際の、互いのアップの切り返しのくっきりした印象と比べ、市川と山田の視線の合わない様子はとても対照的だ。  

この後、karte19のラストで、市川はホワイトデーのお返しを山田に渡す。この一連も、わかりやすい顔と顔の切り返しをなるべく避けて、むしろじれったい雰囲気を盛り上げていくが、最後の最後(特殊エンディングの歌が終わった後)になって、ふたりのとっておきの正面顔を切り返すことで、とても印象的な幕切れを演出していた。  

視線を意識すると、そこに込められた感情があたかもAR(拡張現実)のように浮かび上がってくるのだ。


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