『時光代理人 -LINK CLICK-』と『東京24区』に見る“共通点”【藤津亮太のアニメの門V 第81回】 | アニメ!アニメ!

『時光代理人 -LINK CLICK-』と『東京24区』に見る“共通点”【藤津亮太のアニメの門V 第81回】

扱う題材は違えど、この2作はとある点で共通している。アニメにはありそうでなかなかない、その共通点とは。

連載 藤津亮太のアニメの門V
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時光代理人 -LINK CLICK-』と『東京24区』は、並べて見ることでお互いの個性がよく見えてくる。

『時光代理人』は、中国のbilibiliで2021年に配信された作品で、日本では2022年1月から放送された。

時光写真館のトキ(程小時)とヒカル(陸光)は特殊な能力を持っている。トキの能力は「写真の世界に入り、写真の撮影者としてその中で行動することができること」、ヒカルの能力「その写真の撮影後12時間内の出来事を把握できること」。2人は、その能力を生かして、過去にこだわりを持つ人々の依頼に応える仕事をしていた。トキはヒカルから告げられた「過去を変えてはいけない」というルールを遵守しながら、仕事をしていく。しかし、優しき正義漢であるトキが、過去で付け加えたささやかな行動が、現在にも影響を及ぼしていくことになる。

一方、『東京24区』は。東京湾上にある、極東法令外特別地区の人工島「24区」が舞台。東京都復帰を目前にしたこの24区で起きるさまざまな出来事に、蒼生シュウタ、朱城ラン、翠堂コウキという幼なじみの3人が立ち向かっていくという内容だ。やがて3人は、区内を監視し、犯罪・災害を事前予測するハザードキャスト2.0(カナエシステム)の是非を巡って対立することになる。

序盤は、謎の電話を通じて3人に、これから起こる災害や事故の“ヴィジョン”が送られてくるというエピソードが中心。その“ヴィジョン”では、事態の解決手段がトロッコ問題のような二者択一の形で示される。

トロッコ問題とは「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という状況を通じて考える倫理上の問題のこと。例えば第1話では、線路上で動けなくなった人間をどう助けるかが描かれる。人間を助けるためにレールを切り替えると、列車が脱線して大被害が発生する。しかし、そのままではその人間は助からない。シュウタたち3人は、こういった究極ともいえる二択を問題を解くように迫られていく。

決して似ているわけではない2作だが、ある種の共通点を発見することができる。

『時光代理人』でしばしば出てくるのは、地方と都市の対比だ。地方で暮らす朴訥とした親と、都会に出ていく子供という構図は、第1話に登場し終盤で再びスポットのあたるゲストキャラ・エマの物語、第3話~第5話で描かれた四川大地震(2008年に発生)を思わせる震災のエピソードで描かれる。第2話も、飲食チェーンを起業した女性2人の片方が、最終的に経営を離れ地方で小さな飲食店を切り盛りしている。

一方、第6話・第7話で描かれた、児童誘拐のエピソードは現在、中国でホットな話題のひとつで、それが作品に反映されている(参考:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220216/k10013480491000.html)。こちらもまた都市化の歪みがうんだ犯罪ということができる。

本作を構成するこうした要素は、本作の作り手によって切り取られた「中国の今の風景」というふうに考えられる。

『東京24区』の24区もまた、『時光代理人』と着目点は違えど「日本の今の風景」を思い起こさせる要素が多い。例えば、スラム地域・シャンティタウンを再開発して建設されようとしているのは、外資系企業によるカジノである。また物語の後半では「セキュリティと個人情報保護のバランス」というテーマも浮かび上がってくる。行政に対する反対デモや住民投票なども登場し、架空の特別地区ではあるが、現実の日本の様々な出来事との地続き感は強い。

扱う題材は違えど、この2作は「主人公たちを、私たちが今生きる社会にある問題と無縁な場所に置かない」という点で共通している。そして問題が現実のあることを示しつつも、あくまでもエンターテインメントとして着地しようとする姿勢も似ている。現実の問題をオミットして世界を作るわけでもなく、かといって現実の問題をメインに据えて真正面から回答を出そうとするでもない。この案配のフィクションは、アニメにはありそうでなかなかない

『時光代理人』の作劇のポイントは、先述の通り「未来を変えてはいけない」という縛りである。近年は運命の分岐点を変更することで、よりよい現在を求めていくタイプの物語も目立つ。これは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のぬけぬけとしたラストにルーツを求めてもいいし、短いタイムスパンで考えればゲームの影響が大きいというふうに考えられる。でも本作は、「やりなおす」ことを禁じることが大前提になっている。トキが入り込んだ人物が過去の行動を少し変えたことで現在が微妙に変わっても、人の生死のような大枠は変えられない。

つまり本作は「(一度決めた選択肢を)選び直してはいけない」物語なのだ。トキとヒカルは、どうあがいても依頼人の人生に対して傍観者でしかいれられない。その点で、本作は、探偵ものの「探偵は事件の傍観者でしかない」という側面を強調した物語であるということができる。

『時光代理人』が「選び直してはいけない物語」なら『東京24区』はどうなるだろうか。こちらは「選択肢にはない未来を選ぼうとする物語」だ。

シュウタたちは“ヴィジョン”を受け取った後、事態を好転させようと奔走する。第1話ではこの挑戦は成功するが、第3話の竜巻発生では3人の考えが一致しなかったことで、最悪の事態は避けられたものの、死者が出てしまう。その中には三人の恩師もいた。

3人の中で、一番、第三の選択肢にこだわりを持っているのは、シュウタだ。それは彼がヒーローに憧れているからだ。ヒーローという存在は、誰を救うかを選ばない。「みんなを救う」のがヒーローだからだ。シュウタは、超絶的な体力はあるものの普通の若者。だが彼は、ヒーローがいればこう振る舞うだろうという理想を手放さない。しかし、彼のその理想に到達するには、彼一人では難しい。そのために、それぞれ立ち位置の違うランとコウキという存在がいる。

ランは、ストリート系のアーティスト集団「DoRed」のリーダーで、アートを通じて社会にメッセージを発している男。コウキは、区長の翠堂豪理を父に持つ、翠堂財閥の跡取り息子で、合理主義者だ。このランとコウキの対比は、貧困層と富裕層、共感ベースと客観ベースという形の対比になっていて、この相反する2人を、庶民でパン職人の息子であるシュウタの持つヒーローという理想がブリッジする仕組みになっているのだ。

つまり『時光代理人』が探偵ものの変奏であるように、『東京24区』はヒーローものの変奏なのである。だから『時光代理人』がアメリカの連続ドラマの影響を受けているであろうストーリー展開なのに対し、『東京24区』は、社会的なトピックを使いヒーローを立体的に描いていくという姿勢は、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)のいくつかの作品を思い起こさせるのだ。

このように作品を貫く倫理は「選び直してはいけない」と「第三の選択肢を選ぶ」と異なっている2作だが、同時にそこから発せられるメッセージは「変えるべきは過去ではなく未来である」という形で共通している。

このように『時光代理人』と『東京24区』は並べてみると、共通点と異なるポイントが際立って、お互いの作品の輪郭がよりくっきりと見えてくるのだ。

《藤津亮太》
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