村上春樹の短編を組み合わせた「めくらやなぎと眠る女」で新たに生まれた文脈【藤津亮太のアニメの門V 109回】 3ページ目 | アニメ!アニメ!

村上春樹の短編を組み合わせた「めくらやなぎと眠る女」で新たに生まれた文脈【藤津亮太のアニメの門V 109回】

村上春樹の原作を初めてアニメ映画化した『めくらやなぎと眠る女』。音楽家でアニメーション作家のピエール・フォルデス監督が、村上春樹の6つの短編を再構築した作品だ。

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藤津亮太のアニメの門V
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「キョウコが震災によるニュースから目が話せなくなったのは、「不条理な死」というものをまざまざと見せつけられ、それが自分の過去にあった「ヒロシの死」と結び付いたからではなかったか。キョウコは、自分の語った「眠る女」の物語の中でハエが耳の中に花粉を運び、女の肉を食べていたように、「ヒロシの死」が自分の中に蓄積されていたことをあの一睡の中で思い出してしまったのではないか。翻って小村が「空気」のように感じられたのは、キョウコに「眠る女を救いに来る男」を期待されながら、小村もまた「ヒロシの死」を心の中で封印していたからではないか。<3>の回想を見ると、そうした空白を埋めるパーツが、「答え」としていろいろ浮かんでくる。  

だからこそキョウコの覚醒がよくわからなかった小村の心の旅は、自分の心の中に何を封印していたかを探る旅であったといえる。ジュンペイに続き小村が次に出会うのは、釧路で出会ったシマオという女性だ。  

「空気のようだった」と指摘された上に、妻に去られ、飼い猫もいない。しかもリストラの対象となった小村。小村は同僚の佐々木に頼まれた小箱を、佐々木の妹に渡すため釧路に旅行をする。佐々木の妹・ケイコは小箱を受け取り去る。その後、小村はケイコの友人・シマオとセックスしようとするが、彼自身の問題で不首尾に終わる。彼の世界の一部分を構成してたはずの「妻」も「ペット」も「仕事」もなくなり、ここでは「男性」という部分でも目標を達成することができない。「空気」のような小村には、もうなにも残っていないところまで削り取られるのだ。  

シマオが「小箱に入っていたのは、小村自身ではないか」と冗談を言ったのは、そんな状況だった。小村はそのとき圧倒的な暴力衝動を感じる。映画では彼女の首を締めるイメージがインサートされる。怒りは二次的な感情で、苦しい、辛いといった感情がいっぱいになると、自分自身を守ろために発動するものだという。シマオの小村の存在が“無”になったという冗談にしてはクリティカルな指摘は、小村の最後に残った「自分」という核を確認するトリガーとなった。小村はこのとき、怒りという形で「自分」というものを掴もうとしたのだ。  

フォルデス監督はこのシーンについて、村上のストーリーを少しひねってみましたとした上で「小村は箱とともに、自分の虚しさを手放しているんです。虚しさを手放すということは、自分の魂を見つめてくれる何かが戻ってくるスペースを与えること」(同)と語っている。いずれにせよ、箱を手放したことを巡るエピソードの中で、小村は自分をようやく再確認できたという理解は変わらないように思う。  

だからシマオは原作通り「まだ始まったばかり」とまるで予言者のような言葉を言うのである。  
このような小村の自己の再確認から始まる物語に対して、片桐とかえるくんの物語は非常にシンプルだ。


《藤津亮太》
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