「東京国際映画祭」“日本のアニメ”の発信から、“世界のアニメ”を知る場所へ【藤津亮太のアニメの門V 第100回】 | アニメ!アニメ!

「東京国際映画祭」“日本のアニメ”の発信から、“世界のアニメ”を知る場所へ【藤津亮太のアニメの門V 第100回】

11月1日、第36回東京国際映画祭が閉幕。昨年まではジャパニーズ・アニメーション部門として国内作品を上映してきたが、今年から部門全体をリニューアル。アニメーション部門と名前を変えて、海外作品も取り扱うようになった。  

連載 藤津亮太のアニメの門V
注目記事

11月1日、第36回東京国際映画祭が閉幕した。僕はアニメーション部門のプログラミング・アドバイザーとして、上映作品の選定や会期中の舞台挨拶・シンポジウムの進行などに関わった。昨年まではジャパニーズ・アニメーション部門として国内作品を上映してきたが、今年から部門全体をリニューアル。アニメーション部門と名前を変えて、海外作品も取り扱うようになった。  

この変化をひとことでいうと「東京から」から「東京で」となる。「東京から日本のアニメの今を発信する」というそれまでの方針に対して、今年は「東京で世界のアニメの今を知る」というコンセプトに変わったのである。  

こうしてスタートしたアニメーション部門の詳細な内容については、映画祭開催前に掲載されたこちらのインタビュー「アニメーションの“幅と奥行き”を楽しんでほしい 藤津亮太が語る、東京国際映画祭「アニメ部門」変化の経緯&海外作品全解説」(https://anime.eiga.com/news/column/tiff2023_news/119729/)で話をしているので参照してもらうとして、今回は映画祭を経た上での所感を記そうと思う。  

そもそも東京国際映画祭においてアニメーションが独立した部門として扱われたのは第26回(2013年)の「日本アニメーションの先駆者(パイオニア)たち~デジタル復元された名作」が最初だ。その後、第27回(2014年)から第32回(2018年)までは氷川竜介がプログラミング・アドバイザーとして立ち、庵野秀明監督特集、湯浅政明監督特集など特定の監督の映画にこだわらない網羅的レトロスペクティブが企画された(ただし第28回は「ガンダム」特集)。そして第33回(2019年)にジャパニーズ・アニメーション部門がスタート。こちらもログラミング・アドバイザーは氷川竜介だった。藤津は、その翌年の第34回(2020年)から氷川に代わって、ジャパニーズ・アニメーション部門のプログラミング・アドバイザーとなった。  

こうして東京国際映画祭におけるアニメーションの位置づけの変化を見ていくと、“外付け”の印象がある段階からスタートして徐々に、映画祭本体へと接近してきた流れが見えてくる。東京国際映画祭には様々な部門があるが、日本作品だけで構成されたのは「海外に紹介したい日本映画」という視点を重視した「Nippon Cinema Now」のみ。そこを踏まえると、今回、海外の長編アニメーションも取り上げることにしたことで、アニメーション部門が、「国内外の優れた作品を発信する」という国際映画祭の目指す方向へとぐっと接近したのは間違いない。  

一方で国内の最新作を上映しなくなったわけではないから、昨年までの「東京から」の要素がなくなったわけではない。コンセプトは変わったが、前の路線がナシになったのではなく、包含する形で「広くなった」といったほうがふさわしかったかもしれないと、各作品の上映後の反響などを見て感じた。  

また上映に関して、やってよかったと思ったのは、登壇者不在の作品について、こちらで解説をつけたことだった。基本的に作品上映については、関係者の登壇をお願いしているのだが、今回は3つの作品(『深海レストラン』『リンダはチキンがたべたい!』『夜明け告げるルーのうた』)でそれが難しかった。そこで上映後、藤津が単独で、監督のプロフィールや作品成立の背景などを紹介し、なぜプログラムに選んだかを説明した。これによって、映画祭での上映について多少の付加価値はつくし、作品選定の方向性なども伝えることができるという手応えを感じることはできた。  

アニメーション部門のミッションとしては作品上映だけでなく、シンポジウム(昨年まではマスタークラスと呼称されていた)の開催もある。東京国際映画祭が「国内外の映画人の交流」を掲げており、海外のアニメーション監督をまじえたシンポジウムも、その実践のひとつであり、これもまたアニメーション部門が映画祭本体に接近した例ということができる。今回は2つのシンポジウム(「青年を描くアニメーション」「アニメーション表現の可能性」)を行い、この模様は動画ですべて見ることができる(https://www.youtube.com/@TIFFTOKYOnet/videos)。  

シンポジウムの内容についての評価は参加者・観覧者のみなさんに判断していただくとして、実施までは昨年まで以上に手探りであった。  

基本的に上映作品の監督にはシンポジウムに参加いただきたいと考えているが、シンポジウムでなにをテーマにするかは、各監督に参加のお願いをする前に大枠を決めなくてはならない。一方で海外の監督の来日予定が最終決定をするのは遅めなので、全体の顔ぶれが見えるのは結構、後のことになる。つまりメンバーが決まり切る前に「こういうテーマならおもしろくなるはず/さまざまな角度から話題が出るはず」という見込みをたてて、方向性を決めなくてはならなかった。ここについては、情報解禁のタイミングとの兼ね合いもあるので、自分の過去の編集・ライター経験を信じて、見込みで進めざるを得なかった。  

また国内外を問わず、バックグラウンドの違う監督が「はじめまして」の状態で同じテーブルでディスカッションするだけでは、「交流」としてはもの足りなく、もし来年またチャンスがもらえるのならば、シンポジウムの枠組みをもうちょっとフレキシブルにとらえて企画を立てたほうがいいかもしれない、という反省はある。  

このように、これまで“外付け”感覚が強かったアニメーションの上映が、アニメーション部門となって、より東京国際映画祭の本筋に接近したことで、よかった面とやりかたを考えたほうがいい面の2つが、よりクッキリしたのが、今回の結果であったと、担当者としては認識している。そしてその分だけ、考えるべきことも明確になったとも感じている。  

最後にジャパニーズ・アニメーション部門にあった「特撮」ジャンルの上映がなくなったことについて。ここでいう「特撮」は、キャラクター性の強い題材を扱う、特殊撮影を使った作品のことで、アニメ-ションの近接領域ということでジャパニーズ・アニメーション部門で取り扱われてきた。こうした諸々の背景はあるにせよ、「特撮」をはずしたことで、アニメーション部門としての純粋性は高くなり、部門としての見え方はクリアになったのは間違いない。  

一方で「アニメーション」にも「一般映画」にもカテゴライズされない特撮は、先述の氷川が「メディア芸術の孤児」と指摘したような側面もある。これをなんらかの形でフォローする必要はある。ただ過去の映画作品をのぞくと、基本的にTVベースで制作される特撮作品を、東京国際映画祭で扱うべきかどうかは悩ましい。むしろジャンル性の強い「ファンタスティック映画祭」的なもののほうが馴染むのではないかと考えている。


【藤津亮太のアニメの門V】過去の記事はこちら
《藤津亮太》
【注目の記事】[PR]

関連ニュース

特集