自分にとって、夏休みともっとも強く結びついたアニメ作品といえば『河童のクゥと夏休み』であることに間違いはない。
当時、小学生で暇さえあればアニマックスでアニメを観ていたという自分だが、大人になっても記憶に残っているアニメというのは意外と少ない。その中でも本作は毎年夏に流れ、自分の記憶に深く刻まれているのだ。
子役が演じるクゥの幼い声、清流を泳ぐクゥ、クゥを追いかけてくる野次馬たち、東京タワーに登るクゥ……。クゥと共に過ごす夏休み。その様々な場面が脳裏に残っていた。一方で子どもの頃の記憶では本作のストーリーを明確には覚えていなかった。
◆子どもの頃には見えなかった、人間の身勝手さ

大人になり見返してみると、クゥの父親が利己的な侍に切られる冒頭から始まり、クゥを追いかけ回すマスコミなど、人間の悪の側面を臆さず描いていることがわかる。
康一もクゥをかくまったことで友人から疎外される一方、自身も自身もクラスメイトの菊池へのいじめを黙認し、ときには加担したりと、この作品は単にのどかな夏休みを描くだけではない。
今になってこんな映画だったのかと意外に思ったほどだ。自分の記憶では、少年が河童と出会い、楽しい日々を過ごすものの、仲間の元に戻るため別れる、というような単純な映画であった(その程度の物語として記憶していたため、今更ながら2時間を超える長編だったことにも驚いた)。
子どもの頃はこの作品を観て何を思っていたのだろうか。最近であれば『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』などにおいても鑑賞した子どもたちの感想が話題になっているが、しかし大人になった今、子どもの頃に映画を観て何を感じたのか、明確に思い出せることは少ない。
◆クゥが子どもの自分に見せてくれた世界

当時の自分にとって本作はどんな作品だったのだろうか。恐らく思春期に差しかかった康一の少し冷めた態度や、それがクゥとの出会いによって変化していく心の機微はあまり理解していなかったように思う。単に、クゥがやってきたことで退屈な日々が楽しくなった、という程度の認識だったのだろう(これはCMで反復して流れる場面が印象に残っている可能性もある)。
当時『ケロロ軍曹』を愛好していた幼い自分は、きっと少年の元にきょうだいとも学校の友人とも違う、不思議で小さな居候が少年のもとにやってくる話として、クゥを、ケロロと同じような存在として捉えていたのだろう。それゆえに、ケロロとは違い、幼く、孤独に悩むクゥの姿に衝撃を受けた。そして、常にそばにいてくれるはずの存在だったクゥとの別れを惜しんだ。

また、クゥとふたりで河童の里である遠野へ赴き、自転車を漕ぎながら田舎町を回るシーンなども印象に残っている。康一たちのような核家族が集まって暮らす住宅街とは違う、自然と人の暮らしが溶け合っているような場所。
多くの人が共有している、いわゆる「田舎の夏」のみずみずしいイメージは、自分の中では、この作品によって形づくられた部分が大きいように思う。
改めて振り返ると、本作は奇妙な友人との一夏の思い出を鮮やかに描き、子どもの心の機微を見逃さず、人間の身勝手さや恐ろしさも織り込みながら、それでも優しさを否定しない。子どもの世界を広げてくれる名作と呼ぶにふさわしい作品である。







