作画や声優の演技と並んで、アニメーションとしての『ちいかわ』を形作っているもの。それが音楽だ。TVアニメでは、かわいらしさの奥にある不穏さや、突然訪れる寂しさを、少し変わった音色がさりげなく支えてきた。しかし、映画ではその役割がさらに大きくなっている。原作の「あのエピソード」を、どのように一本の映画として組み立てるのか。鑑賞前にはそんな疑問もあったが、実際に観てみると、その答えの一端は音楽にあったように思う。
ある曲は、物語の進行とともに姿を変える。楽しげに聴こえていた旋律が、別の場面ではまったく違う意味を帯びる。そしてサウンドトラックのクレジットを追っていくと、その変化が偶然ではないことも見えてくる。映画の音楽を担当したのは、トクマルシューゴさんと上水樽力さん。ふたりは以前からアルバムやライブで共作・共演を重ねてきた音楽家でもある。
今回は楽曲とクレジットを手がかりに、映画『ちいかわ』の物語を裏側から支えた音楽について紹介したい。
※以下、映画の内容および音楽に関するネタバレを含みます。
◆『ちいかわ』に“少し変わった音楽”を持ち込んだトクマルシューゴ

まずは、トクマルシューゴさんについて紹介しよう。トクマルさんは、100種類以上の楽器や、身の回りにある“非楽器”を自ら演奏し、多重録音による緻密な楽曲制作を手掛ける音楽家だ。ライブでも数多くの楽器や機材を駆使しながら、自らボーカルを取り、ひとつの楽曲を組み上げていく。
そのサウンドを、ひとつのジャンルで括ることは難しい。親しみやすく聴こえる一方で、耳を澄ませば、奇妙な音や思いがけない展開がいくつも潜んでいる。かわいらしい日常のすぐ隣に、不条理や不穏さが顔をのぞかせる。そんな『ちいかわ』の世界と、トクマルさんのボーダーレスな音楽は、よく似た感触を持っているように思う。
2022年4月のTVアニメ放送開始時には、次のようなコメントを寄せていた。
「あのちいかわたちが朝のお茶の間に!? いったいどうなっていくのか楽しみで仕方がありません。少し変わった音楽たちとお楽しみ頂けたら幸いです。」
この「少し変わった音楽」という言葉は、TVアニメだけでなく、今回の映画にもそのまま当てはまる。劇中で聴こえてくる少し変わった音や、いくつもの楽器が軽やかに重なるサウンドに惹かれたなら、ぜひトクマルさん自身の作品も聴いてほしい。親しみやすさのなかに不思議な感触が潜み、耳を澄ませるたびに新しい音が見つかる。その音楽を知ることで、『ちいかわ』との相性のよさも、より深く感じられるはずだ。
またTVアニメでトクマルさんが作曲を手掛けた楽曲には、「ひとりごつ」「むちゃうマンのテーマ」などがある。また、『ちいかわ』では、作中に登場する既存曲のアレンジにもトクマルさんが関わっている。
【TVアニメの主な楽曲クレジット】
●「ひとりごつ」作詞:ナガノ 作曲:トクマルシューゴ 歌:ハチワレ(田中誠人)
●「むちゃうマンのテーマ」 作詞:ナガノ 作曲:トクマルシューゴ 歌:むちゃうマン(影山ヒロノブ)
【既存曲の主なクレジット】
●「BELIEVE」作詞・作曲:杉本竜一 編曲:トクマルシューゴ 歌:ハチワレ、杉並児童合唱団
●「青雲のうた」 作詞:吉野藤丸 作曲:森田公一 編曲:トクマルシューゴ
●「時の旅人」作詞:深田じゅんこ 作曲:橋本祥路 編曲:トクマルシューゴ
「BELIEVE」「青雲のうた」「時の旅人」。誰もが一度は耳にしたことのある楽曲が、『ちいかわ』の登場人物たちによって歌われると、不思議な可笑しさや切実さを伴って聴こえてくる。
さらに注目したいのが、オリジナル楽曲の作られ方だ。『ちいかわ』では、ナガノ先生が書いた歌詞に、トクマルさんが曲をつけるという。一般的な言葉であれば、旋律に乗せるために形を整えることもできる。しかし、『ちいかわ』の歌詞には、独特の言い回しや間合いがある。それを損なわず、登場人物が自然に歌える曲として成立させる。耳には軽やかに聴こえても、その作業は決して単純ではないだろう。
◆映画のサウンドトラックのクレジットから見えてくるもの

映画のサウンドトラックには、全52曲が収録されている。映画を観たあとで聴き返すと、劇中では気づかなかった楽器の音や、同じ旋律の細かな変化が耳に入ってくる。そして各曲のクレジットを並べると、ふたりがどのように映画の音楽を組み立てていたのかが、少しずつ見えてくる。
ここで、クレジットに記された「Adapter」という言葉について触れておきたい。あまり見慣れない表記だが、本作では楽曲や旋律を、映画の場面やそれぞれのバージョンに合わせて音楽的に仕立てる役割としてクレジットされている。いわゆる編曲に近い作業を含むものと考えると分かりやすいだろう。
本作では、「島のうた」をはじめとするひとつの旋律が、場面や歌い手に応じてさまざまな形で登場する。「Adapter」のクレジットを追うことで、その変化に誰が関わっているのかも見えてくる。
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』主な楽曲クレジット
●「くつずれ」作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ、上水樽 力 歌:ハチワレ(田中誠人)
●「島のうた」 作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ、上水樽 力 歌:島民
●「島のうた(祭囃子ver.)」作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ、上水樽 力
●「島のうた(討伐オファーver.)」 作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ、上水樽 力
●「島のうた(セイレーンver.)」 作曲:トクマルシューゴ、上水樽 力 Adapter:トクマルシューゴ、上水樽 力 歌:セイレーン(鈴木みのり)、人魚(大木咲絵子、七瀬彩夏)
●「島のうた(まちがえて襲っちゃったのver.)」作曲:トクマルシューゴ、上水樽 力 Adapter:上水樽 力
●「島のうた(セイレーンのアカペラver.)」 作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ 歌:セイレーン(鈴木みのり)、人魚(大木咲絵子、七瀬彩夏)
●「島のうた(島二郎ver.)」 作曲:トクマルシューゴ、上水樽 力 Adapter:上水樽 力 歌:島二郎(最上嗣生)、島民
●「うさぎラップ(ソロver.)」作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ 歌:うさぎ(小澤亜李)、人魚(大木咲絵子、七瀬彩夏)
●「うさぎラップ(リズム感のある者たちver.)」 作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ 歌:うさぎ(小澤亜李)、モモンガ(井口裕香)、人魚(大木咲絵子、七瀬彩夏)
●「ひとりぼっちのちいかわ」作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ
●「イーヤーヤダヤダ!」 作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ
●「クッキング」 作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ
●「不思議な歌声」 作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ
●「決戦前夜」 作曲:トクマルシューゴ、上水樽 力 Adapter:上水樽 力、トクマルシューゴ
●「ふたりのひみつ」 作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ
●「今日の日はさようなら(ハチワレver.)」 作曲:金子詔一 Adapter:トクマルシューゴ 歌:ハチワレ(田中誠人)
●「今日の日はさようなら(合唱ver.)」作曲:金子詔一 Adapter:トクマルシューゴ、上水樽 力 歌:ハチワレ、シーサー、島二郎、島民
●「机さする」作曲:トクマルシューゴ Adapter:トクマルシューゴ、上水樽 力 歌:ちいかわ(青木遥)
※サウンドトラックでは「Adapter」のほか、「その他の楽器」「リミキサー」なども個別にクレジットされている。

クレジットを見ると、「島のうた」をはじめとする歌ものや、日常の場面を彩る楽曲にはトクマルさんの名前が多く、一方で戦いや島二郎にまつわる楽曲には上水樽さんの名前が目立つ。ただし、ふたりの役割は明確に分かれているわけではないように思う。
複数の楽曲に記された「Adapter」の表記が、そのことを物語っている。ひとつの旋律を場面や登場人物に合わせて変化させ、ときには共同で形を変えていく。その積み重ねによって、映画全体の音楽が形作られているのだろう。
なかでも、その仕組みが最もよく表れているのが「島のうた」だ。
◆「島のうた」は、いつから違って聴こえ始めたのか
劇中で繰り返し流れる「島のうた」は、初めて聴いたときには、素朴で親しみやすい島の歌として耳に残る。ところが、物語が進むにつれて、その旋律はさまざまな姿を見せる。「祭囃子ver.」「討伐オファーver.」「セイレーンver.」「セイレーンのアカペラver.」「島二郎ver.」。同じ旋律が場面ごとに姿を変え、歌う人物によって意味まで変わっていく。
特に印象的なのが、「島のうた(セイレーンver.)」だ。

もともとの「島のうた」は4拍子だが、このバージョンでは3拍子に変化する。聴き覚えのある旋律でありながら、どこか妖しく、落ち着かない響きに姿を変えているのだ。さらに注目したいのが、人魚たちのコーラスである。
「島のうた(セイレーンver.)」をよく聴くと、通常のハーモニーで重要な役割を果たす「3度」の音がないことに気づく。この場面では、本来ならコーラスを構成するはずの人物が1人不在になっている。つまり、3人で歌うはずだったものが、3人そろわない状態で歌われているのだ。物語のなかで「1人がいない」という状況が、コーラスの響きにも表れている。そう考えると、この歌は途端に違って聴こえてくる。
3拍子への変化、3度の音の不在、そして物語の中で起きている「1人の不在」。同じ旋律を使いながら、そのとき物語のなかに「誰がいるのか」「誰がいないのか」まで、音楽の響きに反映されているように感じられる。
さらに、「3」という数字をめぐって、「しるこサンド」を含めたさまざまな要素を結びつける考察も、公開後からファンの間で交わされている。
どこまでが意図された仕掛けなのかは、制作側の言葉を待つ必要がある。それでも、物語を知ったうえでもう一度この曲を聴くと、「足りないもの」が音楽の中にも存在しているように感じられるのだ。
そして、ここでクレジットを確認すると、さらに興味深いことが分かる。「島のうた」はトクマルシューゴさんの単独作曲なのに対し、「島のうた(セイレーンver.)」ではトクマルさんと上水樽力さんの共同作曲となっている。基本となる旋律をそのまま繰り返すのではなく、物語の状況に合わせて新たな形へと作り変える。その仕事に、ふたりの音楽家が関わっている。
◆もうひとりの作曲家、上水樽力
ここで、上水樽力さんについても紹介したい。
上水樽さんは作曲家・ピアニスト。東京藝術大学大学院博士後期課程を修了し、博士号を取得している。映像の解釈と展開に沿った音楽表現を得意とし、企業CMやTVドラマ、子ども向け番組、イベント、マルチチャンネル音響作品など、幅広い分野で作曲・プロデュースを手掛けてきた。
また、コンポーザー、ピアニスト、アレンジャーとして、トクマルさんのアルバム『TOSS』やライブなどに参加。ふたりは以前から共作・共演を重ねてきた。さらに上水樽さんは、『トムとジェリー』シリーズの作曲家スコット・ブラッドリーを研究し、博士号を取得した研究者でもある。映像の動きと音楽を緻密に結びつけ、ときには音楽そのものに物語を語らせる。そうした研究と実践を重ねてきた音楽家が、映画『ちいかわ』に参加していることは、本作の音楽を考えるうえで興味深い。
島二郎の登場やセイレーンとの戦いなど、動きの大きな場面を上水樽さんが多く担当していることにも、ひとつのつながりが見えてくる。
もちろん、クレジットだけを見て、どちらがどの場面を担当したのかを完全に切り分けることはできない。実際、「Adapter」のクレジットにはふたりの名前が並ぶ楽曲も多い。だからこそ、ふたりの音楽家が旋律を受け渡しながら作り上げたものとして聴いたほうが、その面白さが見えてくるかもしれない。
◆音楽は、どこまで物語を知っていたのか

映画『ちいかわ』の音楽は、ただ場面を盛り上げるためだけに置かれているわけではない。同じ旋律が形を変えながら繰り返されることで、登場人物や物語の印象も少しずつ変わっていく。「島のうた」がその最たる例だろう。
トクマルシューゴさんと上水樽力さんが作り上げた音楽に耳を澄ませながら、もう一度映画を観てみる。すると、映像だけでは気づかなかった「ちいかわ」の物語が、別の角度から見えてくるかもしれない。
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