『淡島百景』は「後ろ姿」のアニメだ。
淡島歌劇の寄宿舎で、ようやく引っ越しを終えた田畑若菜は、受付に入寮届を出すと、あたりを見渡す。玄関脇の応接セット、二階へ続く階段、歌劇のポスター、高い天井。そして玄関の外へと目を向ける彼女を、カメラはその背後からとらえる。玄関のガラス戸の外は、露出オーバーで白く光り、わずかに木立の影が見える。ここに作品タイトルが入り映像はオープニングへとつながっていく。
あこがれを抱いて寄宿舎の外観を見上げる姿ではなく、寄宿舎内から外へと視線を送る後ろ姿。原作にはないこの後ろ姿は、本作を象徴するようにこの位置に置かれている。
続くオープニングも、主要な登場人物たちの顔は描かれず、多くのカットは後ろ姿である。顔の代わりに、さまざまに咲き乱れる花々が美しく挿入される。淡い色使いの画面の中で目立つ、その鮮烈な色合い。花々は登場人物たちのそれぞれの人生そのものであろう。群像劇である本作がタイトルの「百景」に込めた思いが、美しい花々となって画面を飾っているのである。
「後ろ姿」は、第1話後半の「竹原絹江と上田良子」でさっそく重要な意味を帯びて登場する。女子校の演劇部でともに頑張る竹原絹江と上田良子だったが、徐々に上田良子の中に竹原絹江に対して複雑な感情が沈殿していく。
「新しいことを思いつくとやってみないではいられない」「それに巻き込まれる人間の迷惑には気がつかないで」
このモノローグに合わせ、後ろ姿の上田良子がしゃがみ込む姿が描かれる。原作も縦長の大ゴマで彼女の後ろ姿を描いているが、そこに吹いている風がアニメのほうが強く、スカートの裾もふたつの三つ編みも、彼女の心情のように千々に乱れて揺れている。
この後ろ姿に託されたものを端的にいうなら「孤独」だ。竹原絹江に対する愛情と嫉妬を、ひとりで抱えていることから生まれる孤独。やがて上田良子は、淡島歌劇学校に進学する竹原絹江から距離をとる。この後ろ姿は、カット割りの都合で発生する単なる後ろ姿ではない、象徴的な意味合いが込められていた。
このように本作は要所で、後ろ姿を印象的に象徴的に差し挟むことで、ドラマの重しとしているのだ。
そして本作で最も印象的な後ろ姿といえば、第2話「岡部絵美と小野田幸恵」で登場し、シリーズを通じて中核を担う岡部絵美をおいてほかにいないだろう。彼女の実質的初登場のカットからして後ろ姿なのである。
さらに続けて、その岡部絵美の背後に小野田幸恵が後ろ姿で立っているカットも描かれる。ふたりの視線が向かうのは淡島歌劇学校の正門の外。そこは第1話の玄関の外同様に白く露出オーバーで描かれていて、まるで「淡島歌劇学校」だけが世界に存在しているかのようだ。
田畑若菜で原型が示された「後ろ姿」のモチーフが、上田良子で「孤独」という象徴性を帯び、そしてさらにここで岡部絵美と小野田幸恵によって「去りゆく者」という意味合いが託されている。何しろ初登場の岡部絵美はこのとき、淡島歌劇学校をやめようとしているのである。そして岡部絵美の後ろ姿に視線を送る小野田幸恵ものちの展開の中で、岡部絵美を追うようにして歌劇学校を去ったことが明らかにされる。このカットではさらに「去るもの」と去る者へと視線を送る「見送るもの」の関係もまた浮上する。
第2話前半「岡部絵美と小野田幸恵」では、その後、淡島を去り、病の床についた小野田幸恵を岡部絵美が見舞うシーンもある。ベッドに横たわった小野田幸恵の後ろ姿はもう描かれないが、ベッド脇に立った岡部絵美が後ろ姿で描かれている。死期について「じきよ」と答える小野田幸恵の顔は、すでにカーテンの向こうで見えない。「去ろうとする人を見送る後ろ姿」という点で、この後ろ姿はあの日、岡部絵美を見送った小野田幸恵の姿と反転する形で対応している。
岡部絵美が淡島歌劇学校を辞めるに至った理由は、伊吹桂子によるいじめが理由である。では、伊吹桂子の後ろ姿はどのように描かれていたのか。伊吹桂子は親子三代で淡島出身のエリートで、学校を卒業したが女優としては大成せず、今は淡島歌劇学校の教員となっている。実は、彼女の後ろ姿は少ない。
第2話後半の「伊吹桂子と田畑若菜」のラストで、校舎の中を歩く学生時代の伊吹桂子の姿が描かれる。そこに今の学生の間で、彼女が昔、いじめの首謀者だったらしいとウワサがささやかれる様子が重ねられる。もちろん視聴者は、そのウワサが本当であったということを、前半のエピソードで知っている。
その後、ポイントポイントで“エリート”と評される彼女の家族環境や生い立ちが徐々に描かれていく。彼女の内面に迫る第3話「伊吹桂子と日柳夏子」で背面は3回ほど登場するが、教員となった彼女の心情をもっとも象徴的に表現しているのは、職員室を窓の外からとらえたイメージカットだろう。校舎の窓が真っ黒なシルエットで示され、その窓の奥に自分のデスクに向かう伊吹桂子の後ろ姿がある。出口のない後悔を抱え、ここ(=淡島歌劇学校)から去ることもできなかった彼女の人生が端的に表現されている。
しかしこれは少ない例で、むしろ伊吹桂子は、ポイントで正面側で顔が見えるアングルから描かれることが多い。第3話では内面を語るモノローグのときに、斜め前から立っている学生時代の彼女の姿が描かれている。
第6話「淡島怪談」では、かつてとりまきだった住吉が久々に学校を訪れ「あなたが今ここにいるのは罪滅ぼしですか?」と問いただすと、伊吹桂子は彼女に背を向けるが、カメラは伊吹桂子の横顔をとらえている。
第10話「伊吹桂子と岡部絵美」は、ふたりが廊下で初めてすれ違うところから始まる。伊吹桂子は振り返り、岡部絵美を背中で見送る形になるが、カメラはそれを岡部絵美の正面側からとらえ、ふたりの顔が画面に映る。偶然だと思うが、これは第2話で描かれた去ろうとしている岡部絵美と小野田幸恵の映像と対になるような画面になっている。
このように孤独ではあるが、伊吹桂子のポイントとなるカットでは、後ろ姿はむしろ少なく、彼女の顔をとらえたカットが多い。
伊吹桂子はやがて病に倒れ、最後に自分の後悔を述懐する。その時、聞き手となるのが第1話で登場した田畑若菜である。女優を引退した彼女はライターとして活動をしているのだ。
第11話「岡部絵美と伊吹桂子」で、伊吹桂子の後悔が描かれる。そのとき、画面には岡部絵美と小野田絵美のシルエットが描かれる。そこに重ねられる回想では、ふたりの顔も出てくるが、画面のイメージのベースにあるのは、ふたりの後ろ姿である。ここにきて、視聴者はようやく理解する。「去っていくもの」と「見送るもの」という構図の中で、伊吹桂子は「見送るもの」だったのだ、と。
キツネのような三白眼のシャープな視線は、「去っていくもの」を見送る視線だったのである。若き日々の、「認めてほしい」と思いながら嫉妬から才能あふれる同級生を退学に追い込んだ「見送るもの」、その悔恨を胸に指導者となってからは、世に出ていく卒業生たちを「見送るもの」。彼女の人生は、その生い立ちも含めて「淡島」という箱の中にずっとあり続けていたのだ。
では最初に「何もなかった」と回想する伊吹桂子は不幸だったのか。
そこを理解する補助線となるのが、彼女の母親、山路ルリ子だ。スター・日柳夏子(本名:山路よしこ)の娘に生まれ、“田舎臭い”ルックスで、母に愛されることのなかった人物。彼女は母からの愛は得られなかったが、人生の終盤になってその結果「人を愛することは学べたわ」と回想する。そのとき、車椅子の彼女の後ろ姿の向こうに、大きく窓が開いている。外へ出られなくても、「窓」が開いてさえいれば人は生きていける。伊吹桂子にとっては、ライターになった田畑若菜が「窓」だったのではないだろうか。だから彼女に後悔のすべてを語ろうとしたのではないだろうか。
一方、伊吹桂子に退学に追い込まれた岡部絵美はどう生きたのだろうか。彼女は結婚し家族を得、そしていささか早めにその生を終えた。第12話「淡島百景」では、彼女の長男の妻がこんな回想をする。
淡島での過去を詳しく知らない彼女は、岡部絵美に「自分の子供がもし淡島に行きたいといったら?」と尋ねたことがある、というのだ。そのとき岡部絵美は笑って「そしたらわたしは全力で応援するよ」と応えたのだ。このセリフの前、庭で植木に水やりをしている岡部絵美が振り返るカットが挿入される。
「後ろ姿」で象徴される岡部絵美がここで「振り返る」のである。彼女がこうやって「振り返る」までに、どれほどの時間が必要だったのか。そこに思いを馳せながら、しかし、笑顔で振り返ったことに驚かされる。つまりこの作品は「後ろ姿で現れた岡部絵美が振り返るまでのお話」が太い幹になっていたのだ。そしてそれと並行して「同じところから、ずっといろいろな人を見送る伊吹桂子」の物語がある。
第1話前半のラスト、寄宿舎の中を行き来する学生たちが描かれている。しかし彼女たちは皆半透明に描かれている。それは彼女たちは皆、この「淡島歌劇」という空間を通り過ぎ、去っていく人々だからだろう。ただ、その場所だけは残り続ける。このカットも本作を象徴的に現していたし、人間そのものが、この世を通り過ぎて、やがて去っていくものであることを思い起こさせる。
我々もまた誰かの背中を見送り、誰かに見送られて去っていくのだ。
【藤津 亮太(ふじつ・りょうた)】
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。


