『違国日記』のアニメ化は、当時出版されていた「第7巻までを1クールでまとめる」という方向でスタートしたという。最終的に原作は全11巻で完結しており、終盤の4巻では当然ながら、いくつかの重要なエピソードが描かれている。この前提は、アニメ『違国日記』の性質に深くかかわることになった。ひとことでいうと、第7巻で締めくくるために、原作の要素を非常に丁寧に再構成・再構築しているのである。
このアレンジのポイントは「点」と「線」のイメージでとらえるとわかりやすい。
まず原作そのものも「点」と「線」の物語の側面を持っている。原作は、出来事の連鎖で見せていくストーリー・ドリブンの度合いが高い語りでスターとするが、徐々に語り口が変化していく。そして次第に日々の出来事のなかからキーワードが浮かび上がり、キーワードという「点」が積み重なって、そこから自然と「線」が浮かび上がってくる作りになっている。物語を進めながら、その本質を描き手自信が具体的に発見していくというのは連載マンガには珍しいことではないが、本作の場合、重要なモチーフとして「日記」を置いたことで、この連載ならではの語りに強度が与えられている。「日記」とは、日々の出来事や記録という「点」が積み重なって、人生という「線」を浮かび上がらせるアイテムだからだ。
それに対して、アニメは第7巻で描かれる朝が校庭で歌うシーンをクライマックスに定め、そこに向かってまず「線」を引いた。そして、その線を意識した上で、さまざまな描写を点として配置してある、ただ、その点の配置が、物語の展開をおもしろくするためのエピソードとして見えてしまっては、原作の持つ魅力から離れてしまう。原作のように、何気ない日常の出来事のように描きながら、しかし、クライマックスに至る過程で、そのバラバラな「点」が「線」を示すために置かれているのである。もちろん原作付きのアニメの場合、「逆算」で構成する側面は少なからずあるが、本作の場合、その構成が構成上の企みに見えてはいけない、というところにポイントがある。
「点」から「線」が生まれる原作に対し、「線」を決めて、それにふさわしい「点」を配置するアニメ。『違国日記』の原作とアニメは、このような関係にあるのだ。
「点」と「線」の関係でいうと、第12話のアバンタイトルはとくに印象に残る。
本作の主人公は交通事故で両親を失った中学生の朝(あさ)。彼女は、叔母である作家の高代槙生(こうだい まきお)のところに身を寄せ、現在は高校生だ。第12話アバンで描かれたのは、朝が、所属する軽音部のボーカル・オーディションに参加するシーンだ。
もちろんこのくだりは原作にも登場する。
原作(page.33)は、カラオケボックスでオーディションを行っており、そこで手を上げてオーディションに挑戦する朝から始まる。そして間に、朝の脳内に去来したであろう、「目立つ」を巡るいくつかのエピソード――クラスメイトとの会話、合唱コンクールのあとの生前の父との会話、槙生とその友人・もつとのオンラインでの会話――が挟まれる。当然ながら、そこに挟まれたエピソードは、「回想」として、page.33で初めて描かれたものだ。そして最後に、冒頭で描かれた「手を上げる朝」の様子に戻り、彼女のアップで「歌いまーっす!」という発言で締めくくられる。
第12話アバンもこの基本構造は同じだが、朝の脳内に登場するエピソードが少し異なっている。
特別教室で行われるオーディションに参加する決意を固め、手を挙げた朝。そこに「槙生ちゃんがいなかったら、あたし、軽音とかやんなかったかも」という台詞が先行するかたちで、第11話のシーンが挿入される。
この台詞は原作page.33で登場する槙生とその友人との会話のなかで出てきたものだ。第11話では、シーンをわけて、槙生とその友人とのオンラインでの会話が終わったあと、少し時間が経ってからの台詞として描かれている。
そして、その会話の終わり頃に出てくる朝の「お父さん、お母さんならなんて言ったかな」という台詞を介して、今度は子ども時代に朝がショートカットにしたときの両親の反応がインサートされる。この様子は第5話ですでに描かれている。
続いて両親つながりで小学校時代の合唱コンクールのときの父親の「なんだか目立ってたね」というリアクションが登場する。原作ではこの回想の中で初めて描かれたエピソードだが、アニメはこれを第10話で2回にわたって描いている。
「目立つ」というキーワードで、次に置かれるのが第4話で描かれた槙生との会話、ここで「あなた目立つの好きなの?」「きちんと目立つって努力の上に成り立つことでしょ」と語る槙生を見せた後、また第11話の槙生と槙生の友人のオンラインの会話に戻る。ここで、「目立つこと」が「キャラじゃない」という朝に対して、自分は自分のキャラを決めてしまったことで後悔している、とその友人が第11話に続いて再度語られる。
ここで映像は現実のオーディション会場へと戻り、朝が立っている様子を見せたあと、第11話の槙生の「目立ったせいで悪口言われたらぶっ殺せ」という台詞、続けて第11話の終盤に出てきた槙生のもうひとつの台詞「でもどうせなら、苦しんで生きたいでしょ」を、まるでひとつながりの台詞のように聞かせて、朝が歌い出すカットへと戻る。
原作は回想の形で、新たなエピソード(点)を描いていくが、アニメは、わざとその要素をそれまでの話数の中に事前に散らして配置し、それが今、回想の形で朝の中にフラッシュバックしている形で表現している。フラッシュバックで連想ゲームのようにすでに見たことがある映像がつなぎ合わされていくさまは、映像的にもおもしろく、強い印象を与えるシーンになっている。原作の雰囲気を大切にしながらも、アニメは大きな「線」を見据えて、その「線」に乗るように、各話で密かに「点」を打っていることがわかる。
第13話で描かれる、朝のライブシーンも、あらすじとして説明してしまえば原作と同じなのだが、アニメは、これまで打ってきた「点」が「線」になる瞬間として描かれている。
まずライブの直前に朝がいう「落ち込んでいる友達に聞いてもらって元気を出してほしい」という台詞。原作(page.35)では、流れの中に置かれている台詞を、歌う直前に起き直して、この言葉が孕んでいる意味合いを感じさせるようにしている。
この台詞が印象に残ることで、歌いながら朝が「世界中で自分に関係ないことなんてない」という槙生の言葉を実感する流れに強いエネルギーが与えられている。朝が歌に「「落ち込んでいる友達」への思いを込めたからこそ、その先に世界が感じられたのだと、はっきりわかる流れになっている。
そしてその「世界」の表現として、朝の歌を聞いているさまざまな学生が描かれる。もちろん朝個人が頭においた「落ち込んでいる友達」は、医大の不正入試に憤った森本千世である。けれど人の縁はネットワークのようにつながって世界を構築している。ギャラリーのなかには、千世のことを気にかける東郷、えみりに振られた桜井、朝とはほとんど絡みのない野球部を辞めた吉村もいて、皆それぞれに朝の歌を受け止めている。これまで点描でしかなかった要素が、「世界中で自分に関係ないことなんてない」という「線」の上にきれいに乗っていたことが、ここで視覚化されているのだ。
こうして「線」を見越して「点」を配置したアニメは、アニメならではのクライマックスで締めくくられた。そしてキャラクターたちは、またそれぞれの日々――「点」を紡いでいく。そんなエピローグのひとつとして原作序盤(第4巻収録のpage.16)に出てきた槙生のエッセイのエピソードを使っている。これも大胆な変更だが、これから続いていく日々を感じさせるという意味で絶妙なアレンジだった。こうして、「物語」という大きな線の先に、またひとつ「点」が打たれて、アニメ『違国日記』は締めくくられた。
【藤津 亮太(ふじつ・りょうた)】
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。


