『ONE PIECE FILM RED』「夢」に立つウタの、ルフィと対照的な人生の運命―【藤津亮太のアニメの門V 第86回】 | アニメ!アニメ!

『ONE PIECE FILM RED』「夢」に立つウタの、ルフィと対照的な人生の運命―【藤津亮太のアニメの門V 第86回】

※この原稿は『ONE PIECE FILM RED』の重要な部分に触れています。

連載 藤津亮太のアニメの門V
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※この原稿は『ONE PIECE FILM RED』の重要な部分に触れています。

『ONE PIECE FILM RED』は、結局どういう映画なのか。映画『ONE PIECE』の歩みを追いながら考えた。

TVアニメをベースにした映画にはひとつの大きな枷がある。それは「完結編」でもない限り、主人公の内包するドラマに手を付けるわけにいかない、ということだ。だから映画を連作するとなると、そのたびごとに――主にゲストキャラクターを中心にして――ドラマを新たに構築する必要が出てくる。これは『ドラえもん』が初映画『ドラえもん のび太の恐竜』(1980)で、TVシリーズよりもスケールアップした世界観・物語を繰り広げた時から始まったことだ。
 
とはいえ、映画ごとに「読み切りのドラマ」を用意しやすい作品とそうでない作品がある。それは作品の基本設定とメインキャラクターの配置によるところが大きい。

例えば「事件とその解決」を扱う『名探偵コナン』は映画用のドラマを構築しやすい。
『クレヨンしんちゃん』は、第1作『クレヨンしんちゃん アクション仮面vsハイグレ魔王』(1993)で、TVシリーズの世界から大きく離れ「パラレルワールド」を題材にとったことで自由度があがり、映画用に、ファンタジーからSFまで多彩な「読み切りのドラマ」を用意できることが可能になった。

また『しんちゃん』であれば、“ファミリーもの”といいつつも、それぞれのキャラクターが広く愛されているので、4人家族の中で「父子」「母子」「兄妹」「夫婦」と、さまざまな組み合わせでそれぞれのドラマを構築できる。しんのすけの同級生たち、かすかべ防衛隊を加えれば、さらに物語のバリエーションは広げられる。

もちろんこれだけで映画が“簡単に”できるわけではない。しかし映画『コナン』の快進撃や、映画『しんちゃん』の興行収入がV字回復した様子を見ると、その背景にこれらのポテンシャルがうまく作用していると考えることができる。一方、映画『ドラえもん』は人間関係が固定的だし、映画『ポケットモンスター』は設定的にもキャラクター的にも自由度が低い。これらが長期シリーズとして成立しているのは、様々な工夫の結果であることが想像がつく。

そして、メインキャラクター間の関係が固定的で、舞台を異世界に変えることもできない映画『ONE PIECE』シリーズもまた、様々な苦労の結果、現在まで継続してきたであろうことは、その歩みを見るとよくわかる。

■映画『ONE PIECE』の変遷


映画『ONE PIECE』シリーズは、2000年にスタート。その歩みは大きく4つの時期に分けることができる。まず最初が「東映アニメフェア期」で、『ONE PIECE』『ねじまき島の冒険』『珍獣島のチョッパー王国』がそれにあたる。この時期は「アニメフェア」の1本として制作されており、上映時間も60分以内。作品の雰囲気もTVシリーズの延長線上といった印象だ。

次が映画として一本立ちして興行を行うようになった「THE MOVIE期」。この時期は『ONE PIECE THE MOVIE』と呼称され、『デッドエンドの冒険』『呪われた聖剣』『オマツリ男爵と秘密の島』『カラクリ城のメカ巨兵』の4作品がこれに相当する。この時期は先述の「『ONE PIECE』で長編を作る難しさ」がじわじわと明らかになっていく時期といえる。だからこそ「アニメフェア期」も「THE MOVIE期」も、1本目(『ONE PIECE』『デッドエンドの冒険』)が、世間が思う『ONE PIECE』をストレートに作っていておもしろいが、それ以降は「どう切り口を変えていけばいいか」という試行錯誤がみてとれる。
 
この時期、興行成績がじわじわと下がり『デッドエンドの冒険』が興行収入20億円だったのに対し、『カラクリ城のメカ巨兵』は興行収入9億円まで下がってしまう。年1回上映される「定番アニメ映画」として、興行収入10億円を割り込むのは、シリーズの存続が危ぶまれる事態である。

そしてテコ入れとして、人気のエピソードを劇場版としてリメイクする「エピソード・オブ・~」が2作作られる。アラバスタ編を扱った『エピソード オブ アラバスタ 砂漠の王女と海賊たち』と、ドラム島編を題材にした『エピソード オブ チョッパー プラス 冬に咲く、奇跡の桜』の2作である。
この2作は人気のエピソードながら、長い原作を90~110分程度に収めざるを得ず、エピソードの消化の面でも感情の誘導という面でも難易度は高かった。両作とも興行収入10億を越えていない。

こうして映画『ONE PIECE』10周年となる2009年、この年に公開となる第10作目で本格的に仕切り直しが行われた。ここで原作者・尾田栄一郎が本格的にコミットし、尾田は映画のためにストーリーを描き下ろした。これはつまり、TVアニメの視聴者を前提とするのではなく、超ベストセラーである原作漫画の読者を、ダイレクトに映画に動員しようという、“客導線”の再設定ということである。

こうして公開された『STRONG WORLD』はこの時点でシリーズ最大のヒットとなる興行収入48億円を記録した。本作から全体タイトルが『ONE PIECE FILM』となるので、ここから現在公開中の『RED』までを「FILM期」と考える。この時期は尾田が積極的にコミットするようになり、公開ペースもそれまでの毎年公開から3年に1回というペースに変わり、興行成績も大幅にアップした。『RED』が先日、シリーズ最高額となる興収120億円を突破したのは記憶に新しいところだ。

なおこの時期に公開されたが、「FILM」を冠していない映画として、映画化20周年目に公開されたキャラクター総出演の『STAMPEDE』(2019)とフル3DCGによる『3D 麦わらチェイス』(2011)が存在している。ポイントは「FILM期」になっても『ONE PIECE』という作品が、映画が作りづらい設定の作品であるということは変わらないという点だ。では「FILM期」の作品はその困難をどのようにクリアしたのか。

それは「正面突破」だった。最初の『ONE PIECE』や『デッドエンドの冒険』などに見られた「『ONE PIECE』だったらこういう物語を見たい」というアプローチを、より徹底して、濃く、深く、熱く描くようになったのである。
まず敵役がこれまで以上に強く設定され、ルフィたちのピンチも徹底的に絶体絶命に描かれるようになった。それに併せてアクションシーンのビジュアルも凝ったものになり、見ごたえが増した。敵役の圧倒的強さと、それに立ち向かっていくルフィという図は、ルフィの最大の動機である「海賊王になる」という要素を際立て、観客に本作の魅力を再認識させることになった。

また、キャラクターの感情表現を含めた演出が若干大人っぽくなり、それまでの「小学生にも伝わるように」といったムードが減った。これは意図的に「TVシリーズの視聴者」に縛られないところまで客層を広げた結果と言える。実際、「FILM期」になって、それほどマニアには見えない20代の男女を劇場でよく見かけるようになった。
そして敵役を中心としたゲストキャラクターの人生が、これまで以上に立体的に描かれるようになった。これによりドラマ面に奥行きが生まれ、こちらも作品が“大人がみても恥ずかしくない”雰囲気を帯びる一因となった。


《藤津亮太》
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