“ニュータイプに挫折した”富野由悠季が「Gレコ」に込めた願い 「子どもが観て一生に残るものをつくる」【インタビュー】 | アニメ!アニメ!

“ニュータイプに挫折した”富野由悠季が「Gレコ」に込めた願い 「子どもが観て一生に残るものをつくる」【インタビュー】

劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」が2019年11月29日より2週間限定上映。「子供たちをはじめ若い世代に観て欲しい」というメッセージを送り続けている富野由悠季総監督に、その言葉に込められた想いをうかがった。

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  • 劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」(c) 創通・サンライズ
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富野由悠季総監督が、全5部作の劇場用作品として制作した、劇場版『Gのレコンギスタ』。その第1部となる「行け!コア・ファイター」が2019年11月29日より2週間限定上映となる。

かねてより富野総監督は、「子供たちをはじめ若い世代に観て欲しい」というメッセージを送り続けているが、その言葉にはどんな意味が込められているのか? その想いをうかがった。
[取材・構成=石井誠]

■若い人に嫌われる“戦記物”から離脱した物語の構築


劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」(c) 創通・サンライズ
――「アニメ!アニメ!」というサイトは、幅広い年代の読者がご覧になられていますが、20代をボリュームゾーンとしています。そんなターゲット層に合わせた話をお伺いできればと思います。

富野:今のアニメファンと言われている20代は、僕にとっては良いヒントになっています。彼らにとっては、おそらく“ガンダム”という固有名詞は耳障りなものであり、面倒くさい戦記物になってしまっているんです。
今の20代にとっては、ロボットもので戦記物というとイメージが古くさいんですよ。

――世代感覚が違うということですか?

富野:今言ったことを受け止められない人がガンダム方面の仕事をしたり、広告を作ったり、映画の宣伝をしていて、そのためガンダム関連の作品は20代の客を取り損ねている。
だからそれを変えなくちゃいけないという思いがあるんです。

僕の場合、『∀ガンダム』をやらせてもらった時にそれを強く実感して、それこそもうダメだと思った。ガンダムは絶対にやらないと。

――そうした流れの中でも、『Gのレコンギスタ』で再びガンダムを手掛けるには理由があるということですね。

富野:サンライズで仕事をやる限り、出資しているのがバンダイという会社だから、ガンプラに絡まないと作品を作ることができない。だったら、逆にそれを利用させていただこうと考えたわけです。

ただ、宇宙世紀ありきの物語を作ると、ガンダムらしきものは作れるけれど、それは「らしきもの」でしかない。そうではないものを作ろうという狙いをつけたんです。

劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」(c) 創通・サンライズ
作品には『Gのレコンギスタ』というタイトルを付けています。「G」というのは、要するにガンダムを含めますよ、というゴマすりでもありますが、本当の狙いはそこではありません。
若い人たちが嫌いなはずの“ガンダム”なんて面倒くさい冠をつけているんですが、この作品は10代をはじめとした若い人だったら、ひょっとしたら観て楽しめるような内容になっているんじゃないかと思っているんです。

――確かに、若い世代だと「ガンダムを観たことがない」「難しい」と思っている人も多いと思います。

富野:なぜ、ガンダムへの食いつきが悪いのかを考えた時に、つい2ヶ月くらい前、「ガンダムの全シリーズは戦記物だ」という考えに至ったんです。それが面倒くささの原因になっている。僕の世代だと戦記物には飛びつくんですよ。

――戦記物は、戦争をわかりやすいキーワードに置き換えたものですからね。

富野:その通り。そういう下敷きがあるから、僕の世代なんかは中年になるくらいまで、一応商売になっていた。

だけど、今やそれを理解してもらえる時代では完全になくなった。若い人たちは朝鮮戦争さえ知らないし、下手をするとベトナム戦争も遠い昔のもの。
そういう世代に対して、戦記物で客を集めようとするのはおかしいでしょ?

――戦争というものが、実際に何が行われるものなのか、それさえもうまくイメージできない、遠いものになっているのは確かだと思いますね。

富野:そう。だから『Gのレコンギスタ』は若い人でも理解できる視点を最初から持って企画から考えて作っているんです。
その時に一番思ったことが、「アニメなんだから子供たちに観てもらわないといけない」というもの。子供たちがシンパシーを感じる年齢の者が、画面の真ん中に出ている。大人の物語を作らないことを徹底的な縛りにしたのです。

■子供が活躍できる世界を創出した物語


劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」(c) 創通・サンライズ
――子供というのは、具体的にどれくらいの年齢層を意識しているんでしょうか?

富野:小学校5年生から高校2年生くらいまでです。高3になったらアニメもマンガも見るのをやめて、受験勉強だけしろと。

そして、この年齢で重要なのは、この頃に観たものが一生残るものになるから、この年代のフックになるようなものを作ることは決定的な条件なわけです。

ガンダムシリーズは、40年も続いてしまったがために、いつの間にか大人のものになってしまった。大人のものなんだけど、アニメだからリアルな戦記物にならないし、とても中途半端なものになってしまっています。

だけど、逆に言うと戦争の記憶もない世代がこんなものを観て戦争を学習するようなことも起こってしまった。
それは、僕にしてみればやはり間違いで、そういうものにならない作品として作ったものが『Gのレコンギスタ』なのです。

劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」(c) 創通・サンライズ
――子供が観るために、『Gのレコンギスタ』の作品づくりではどんな視点を置いたのでしょうか?

富野:子供が活躍するためにはどうしたらいいのかを考えた結果、大人が無能な世界を作るしかなかった。そこで、22、23歳くらいまでの若者が頑張って世の中を支えている物語を構築したんです。

その結果、主人公のベルリやアイーダの物語というよりも、周りの若い連中が動きまわる話になり、映像的にもリズム感を感じてもらえるものになったのではないかと思います。

特に、今支持されているマーベルのアメコミ映画が実写でああいうこと(10年かけて20数本のシリーズ作品を作る)を始めたなら、巨大ロボットものというギミックが背景にあって、なおかつマーベル映画のようなリズム感や変化があるものを作っていけば、映画興行論的だけで言ってもおそらく2、30年くらいは走れるんじゃないかという目算を立てたわけです。

その上で、テーマ論で言えば、環境問題が具体的に世間に出てくるのはある程度予想していて、それもうまく合致しているから、基本的な狙い目は間違っていないはずです。
そうやって走っていけば、映画として5部作が完結したら、3、40年は保って見続けてもらえる作品になるだろうと思っています。

■癒しの作品ではない、娯楽作品へ


富野由悠季総監督
――『Gのレコンギスタ』を作った理由に、「ニュータイプに挫折した」というお話がありましたが、その言葉についてもう少し深くお話いただけますか?

富野:僕の場合は作品を世に出すことで、「ニュータイプを出す」という具体的な命題があったんだけど、それに挫折して敗北してしまったんです。
現実問題として、ニュータイプを世に出すことはできなかったことは、現代の政治を見ても感じます。

それは、僕がやろうとしたニュータイプにさせるような教育みたいなものをできなかったのが悪いという言い方もできます。
人をニュータイプにさせることはできなかった、ごめんなさいと。

――結局、オールドタイプばかりが人の上にいるということであり、それを支えている世の中でもあるということですからね。

富野:だから、リアルな敗北感があるわけ。でも、この感じ方はある意味かなり傲慢で、「ロボットアニメなんか作っているだけで、なんでそんな大きなことが言えるんだ」と言われたら、それは本当にその通りなんですよ。
まさに、アニメだからこそ理念論としてニュータイプ論のようなことも言えるし、初めは理念や理想論だったけど、そういうのを掲げてみて巨大ロボットもののアニメをやってみた結果が今の状況でもあるわけです。

やっぱり、今の時代を見ると、新海誠監督作品のようなものが受けている。癒されたいという社会的な層と合致していて、ツールとしてああいう作品が出てこざるを得ない。
ただ、そういう状況は作り手としてはありがたいんだけど、必ずしもそれが良いことかというと、そうではない。

劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」(c) 創通・サンライズ
例えば、ディズニーアニメみたいなものは、お姫様と王子様がちらっと見つめ合っただけで好きになって結婚しちゃうというめでたい話が多くて、僕は娯楽とはそれでいいと思っていたんです。それがそうでは無くなった。
だって、新海アニメは男と女が手もつなげないわけだから。

――むしろ、手をつなぐのがクライマックスになったりしますね。

富野:新海アニメについて、ネットの書き込みとか見ると「僕の、私のモヤっとしていることを全部言ってくれた」と。だから、癒されて気持ちがいいし、癒されていると。
そんなことを45歳の人とかが書いているのをみて、いろいろと納得する部分があったのは間違いないですね。

――富野監督が描きたいのは、そういうものとは違うということですね。

富野:娯楽というのは、一見バカみたいなものを描くわけだけど、それはとても重要なことです。動画が持っている娯楽性はすごく高くて、詩的な話も悲劇も含めて、ドラマとして描けるものでしょ?

その娯楽というものは、本来、内向しましょうという話はしていないわけ。
それこそ、綺麗なお兄さんと美しいお姉さんがダンスして、時々お姉さんが足を上げるのが見ることができて何か楽しい。
娯楽というのは、このようにもともとわかりやすいものであったはずなんです。だから、最近のアニメ作品に象徴されるような内向的なものになっていくのはとても辛い。癒しにはなっているけど、娯楽にはなっていないように思えるからです。

■ガムシャラに進む若者像を再構築


劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」(c) 創通・サンライズ
――そういう意味では、『Gのレコンギスタ』では娯楽という部分を改めて考えてみたということですか?

富野:基本的にはそうです。宇宙世紀以後の物語で、地球を使い切るところまで行って、人類が絶滅するかもしれない状況から再生し、そこから千年くらいの時間が経過して若い世代がなんとか元気に活躍できる時代が来た。

そうすることで、子供たちが元気に動き回る話ができる。わかりやすい話をするなら、世界終末戦争を今さら描いても仕方がないということです。

――東西冷戦の頃は、そういう作品が多かったですよね。

富野:そういうものを見ていると、自分自身が嫌になってしまう。これは、娯楽ではなくて、メッセージ映画になってしまっているからです。

それで、SF映画なんかもたくさん出てくるのはいいんだけど、それが劇として本当にいいのか? 映画としていいのか疑問も出てくる。
だから、僕としては娯楽としての映画をもう少しだけ手に入れたいし、ここまで長くやらせてもらってきたなら、映画としてアニメを作るなら、このくらいのレベルのものをやってみたいと思っていた。ただそれだけのこと。

今の息が詰まるような社会に対して、こういう作品を見ることで気晴らしをしてもらえるような物語作って行く方が娯楽としてはいいと思ったわけ。
僕からすると、癒しの映画は、やはりただの癒しでしかない。変わらずに、そのままでいい」という現状の全肯定にしかならない。でも、それはちょっと違うなということですね。

劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」(c) 創通・サンライズ
――主人公のベルリをはじめ、この作品では若者たちをどのように描こうと考えられましたか?

富野:自分自身もかつてはそうだったんだけど、若い時は来年のことなんかあまり考えていないんだよね。
「やれることをやる」ということを積み重ねていった結果、ある時に現実的な大問題にぶつかる。就活にしても、婚活にしてもそう。

ただ、わけもわからずガムシャラにやることが良いかといえば、そこに覚悟が足りない部分もあるし、覚悟が足りるように頑張らないと次の時代が見えてこないこともある。

ある知り合いの女の子は、進学校に進んで高校2年までヴァイオリン三昧だったんだけど、いきなり3年生になって心変わりをして勉強をしまくってハーバード大学に受かってしまった。さらに、ハーバード大学に受かったうえで首席になった。

そうやって突っ走って行くような子だと、鬱屈しているヒマなんかない。もちろん、この子は天才なんてものじゃなくて、化け物レベルなんだけど、これができてしまうのが人間であるということを我々は忘れているんじゃないかと思いますね。

その一方で、日本のフィギュアスケートで、良い選手がたくさん輩出されているけど、それを育成しているのは組織じゃなくてみんな個人。家庭というものが世界的な選手を育ててしまう。
そうした外向きの部分を我々は見ないで、なぜ内向きのものばかり見てしまうのか? 世の中にはそういう幅があって、そういうものを視界に入れながらメンタルを育てる方法を考えた場合、『Gのレコンギスタ』のキャラクターの扱いは間違っていなかったかなと思っているんだよね。

■ポスタービジュアルに込められたメッセージ


富野由悠季総監督
富野:アニメーション作品を作るにあたって、特異な才能を持っている人たちは、それなりの作品をちゃんと作ることができてしまう。
だけどこの作品は、僕のような特に才能がない人間が、ちょっと頑張って一生懸命作れば、こういうものが作れる実例を示しているつもりです。

それは、後進の人に対して見せられるお手本になるんじゃないかなって。今の時代に潰されないで生き残っていくために必要なことはこんなものかもしれないということを、『Gのレコンギスタ』という作品から読み取ってもらえたらいいなと。そういう気持ちですね。

――では最後に、ガンダムを観てこなかった、気になっているけど観に行くかどうか迷っている人にひと言お願いできますか?

富野それは言えない。今さら言ってもそれじゃ観てもらえないから。だからこそ、今回はこのポスターを作ったんです。

劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」(c) 創通・サンライズ
だって、このポスターはロボットものの映画のルックスには見えないでしょ? その違いを感じてくれる人こそがこの作品を見てくれる。このポスターは基本的なレイアウトを僕の思う通りにしてもらっていて、作品の主義主張が見えるようになっています。
現にこのポスターがあってくれたおかげで、新たに参入してくれる人もいた。

だから『Gのレコンギスタ』の仕事って、このポスターみたいな仕事をすればいいんだということなんです。そこには間違いなくメッセージがあるので。

常套句的な「面白いから観てください」なんて言葉は使いたくない。子供の目線は怖いものだから、ポスターを見たら「これは何か違うよね」ってことは絶対わかってくれる。

基本的にはこの路線で5部作まで走り抜けられたらいいなと思っているし、第1部を見たら、絶対に次も見てくれるという言い方はできます。そういう作品になっていますから。
《石井誠》
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