「世界が注目するアニメ制作スタジオが切り開く未来」
Vol.2 ボンズ
世界からの注目が今まで以上に高まっている日本アニメ。実際に制作しているアニメスタジオに、制作へ懸ける思いやアニメ制作の裏話を含めたインタビューを敢行しました。アニメ情報サイト「アニメ!アニメ!」、Facebook2,000万人登録「Tokyo Otaku Mode」、中国語圏大手の「Bahamut」など、世界中のアニメニュースサイトが連携した大型企画になります。
全インタビューはこちらからご覧ください。
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『鋼の錬金術師』から『交響詩篇エウレカセブン』、そして『ひそねとまそたん』『僕のヒーローアカデミア』まで。1998年にサンライズ出身の南雅彦氏らによって設立されたボンズは、常に新しいアニメを世の中に届けてきた。その作品群は常にファンを魅了し続けている。
なぜボンズの作品は魅力的で、ハイクオリティなのか? なぜ新しい表現に挑み続けるのか?
ボンズの創業者で代表取締役の南雅彦氏に、スタジオの設立の経緯から現在まで、そして制作の現場について伺った。
[取材・構成=数土直志]
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■「もっと自由に、大きくやっていける場所」スタジオ設立の頃
――ボンズの歴史からお話を聞かせてください。1998年設立ですが、当時勤められていたサンライズを退職して立ち上げられたきっかけはあったのですか?
南
決断も特になかったですね。流れのまま。「起業したい!」とか全くなくて。その時は36、7歳ぐらいですね。
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――若いですね
南
若かったんでしょうね。ちょうど『カウボーイビバップ』(※1)をテレビ東京でワンクール放送して、全話放送をどうしようかといったタイミング。次にどういう作品、企画をといった時に、当時一緒にサンライズでアニメーションを作ってきたスタッフと新しいチャレンジをやりたいというのがあった。サンライズでも当然できるんだけど、もっと自由に、大きくやっていける場所が欲しいねと。逢坂(浩司)(※2)、川元(利浩)(※3)やスタッフといろいろ相談をして、じゃあ新しい場所を作ろうと。
他にもきっかけはいくつかあったと思います。でもそれは大きな問題ではなくて。30歳から36、7歳のわれわれが作品を作っていく考え方とタイミングがちょうどマッチした。大変でしたけど。
※1 『カウボーイビバップ』は1998年春に全26話のうち13話分だけがテレビ東京で放送、同年秋からWOWOWで全話が放送された。
※2 逢坂浩司。アニメーター、キャラクターデザイン。ボンズの創立メンバーのひとり。代表作に『機動武闘伝Gガンダム』『機巧奇傳ヒヲウ戦記』。2007年逝去。
※3 川元利浩。アニメーター、キャラクターデザイン。ボンズ取締役、創立メンバーのひとり。代表作に『カウボーイビバップ』『ノラガミ』『機動戦士ガンダム0083』。
――苦労されたことも多かった?
南
よく「ボンズを作ってなにがよかったですか」と聞かれて、「いやいや良かねえんだよ、大変なんだよ」って。最初は、リース会社も何も貸してくれないし。コピー機ひとつ借りるのも大変だった。車のリースもさせてくれない。近所に中古車屋があって、そこの親父と仲良くなって車を買って。スターレットとシャレードの車検付きの中古が大体25万かな。状態悪いのはもうちょっとまけろとか言いながら。
――次の仕事への不安とかはなかったのですか?
南
特にはね(笑)。とりあえず場所作って、仕事して、作品をどう作っていくかだけでしたから。
最初は『エスカフローネ』の劇場版を制作していたし、『カウボーイビバップ』の劇場版も動かして。スタートはサンライズから大きな2タイトルの制作をやらせてもらったのでいいかたちで出来て、その間に会社のかたちを作っていけました。
製作委員会や原作、放送局や代理店といった周りの人たちにも凄く助けられて、恵まれていましたね。
初期作品の『エンジェリックレイヤー』は、CLAMPさんという非常に大きい原作者のタイトルで、角川書店(現KADOKAWA)のマンガ誌「少年エース」で連載していたのを井上(伸一郎)(※4)さんに「一緒にやるか」って、言ってもらえたりして。
その制作を進めながらオリジナルを作りたいという気持ちは大きかったので、並行してそれを考えました。
※4 井上伸一郎。KADOKAWA代表取締役専務。
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――「もっと大きく」との話でしたが、ボンズが立ち上がってから『機巧奇傳ヒヲウ戦記』といったキッズものや、少女マンガ原作の作品もやられています。
南
『ヒヲウ戦記』はキッズもののつもりはあまりなくて、話としては結構ハードです。キャラクターは逢坂が作ったんだけど、アニメーションとしての動かせるデザインにしようって。
少女マンガは、白泉社さんと一緒にやらせてもらったのが多いですね。『桜蘭高校ホスト部』や『赤髪の白雪姫』とか。
――サンライズの頃のプロデュース作品は、『カウボーイビバップ』とか『ガンダム0083』とか『エスカフローネ』。世間からはボンズは尖ったイメージがあるのですが、むしろボンズは幅広い色んな作品が作れるのが強みかなと思います。
南
アニメーションは映像表現の一つで、自分達が自由な表現の場として選んでいるのが手描きのアニメーション。ジャンルに捉われる必要性がないというのがスタートだから。「アクションが得意でしょ」とか、「オリジナル多いよね」とよく言われるけど、それよりもだからこそアニメーションの自由な映像表現の広さを考えていますね。
――プロデューサーとして思い出の深い作品はありますか?
南
いつも聞かれるのですが一番というのはないんです。ただターニングポイントとなった作品はありますよね。例えば『カウボーイビバップ』の劇場版。サンライズの作品ですけれど、会社のスタートに立った時の作品で、世界中のファンの方達にずっと応援してもらえているのは大きいです。
オリジナル作品として制作した『ラーゼフォン』は作ったばかりの会社には非常にチャレンジだった。かなり苦労して通した企画ですね。そして『WOLF'S RAIN』があり、大きなターニングポイントとなったのが『鋼の錬金術師』ですよね。作品としてもすごく大きくなったし、土曜日夕方6時の大きな枠で全国ネットで放送してもらって。海外でもすごい人気になりました。
スクウェア・エニックスの田口(浩司)さんや毎日放送の竹田(靑滋)さんと出会えた作品でもあります。当時はアニプレックスでいまはエイベックス・ピクチャーズの勝股(英夫)さんや大山(良)さんとのチームで作って。会社というよりも人との付き合いで作品づくりが出来た作品が『鋼の錬金術師』ですね。
――息の長さでは、『交響詩篇エウレカセブン』のシリーズも大きいです。
南
『エウレカセブン』はオリジナルで1年50話。その規模の作品はなかなか出来ないし、これも日曜の朝7時で全国ネット。オリジナルのロボットものをその規模で制作できたのはサンライズ以外では、たぶんいまでもないんじゃないですか。