「宇宙よりも遠い場所」で描かれた“友情”は「星の王子さま」と通じている? 藤津亮太のアニメの門V 第33回
アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第33回目は『宇宙よりも遠い場所』に最終回を題材に、本作で何が描かれてきたのかを解き明かす。
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藤津亮太のアニメの門V
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前回の第12話は、メインキャラクターのひとり、小淵沢報瀬(しらせ)の物語のクライマックスだった。3年前に南極で行方不明となった報瀬の母。第12話は「その母に会いに行く」と決めた彼女のドラマの着地点であり、母のノートパソコンという小道具を巧みに使うことで、報瀬が背負い込んだ大きな重荷がついに降ろされる様子をドラマチックに描ききっていた。ネットを見ると、ちらほら「最終回」と勘違いした人もいたようだけれど、それも頷ける内容だった。
だからこそ、最終回が気になった。
最終回で、主人公である玉木マリ(キマリ)には、どのような締めくくりが用意されるのか。キマリは、物語が始まった時点では、「『青春したい』と思っているが、なかなか一歩を踏み出せない高校2年生」だった。だから第1話で、地元・群馬を飛び出して、呉まで砕氷艦しらせを見に行った時点で、キマリの物語はある程度、完結しているのだ。その彼女にどんなラストシーンがありえるのか。
そこで大事な役割を果たすはずなのが、日本にいるキマリの幼なじみ、高橋めぐみではないか。
キマリが南極へと旅立つ日の朝、絶交を告げた“めぐっちゃん”。彼女とキマリの関係は、本作の深いところをずっと流れ続けてきた。だから彼女は、最終回にどのようなタイミングで登場するのか。そもそも登場するのかどうか。めぐみというパズルの最後の1ピースが、どのようにはまるのか(はまらないのか)という1点において、最終回はドキドキと注視せざるを得なかった。
そもそも『宇宙よりも遠い場所』の物語は、「一歩を踏み出せない」キマリと、何が何でも南極に行きたい報瀬が出会うことから始まった。そこに、高校を中退しコンビニでバイトをしている三宅日向(ひなた)が加わる。さらに女子高生レポーターとして南極に行かされそうになっているタレントの白石結月(ゆづき)と縁ができる。こうして、キマリたちは4人で民間南極観測隊に参加することになった。
めぐみは、そんなキマリの側にいて、その行動をずっと側で見ているポジションのキャラクターだ。おっちょこちょいのキマリに対して、めぐみはしっかりもの。そんなめぐみが第5話「Dear my friend」で感情を爆発させる。
めぐみは気づいてしまったのだ。キマリがいつも自分を頼ってくれる優越感。でも、それは実は自分がキマリに依存していることにほかならない。キマリが自分の世界を手に入れ動き始めた結果、めぐみはそこに直面することになった。さらにそこに報瀬たちに、幼なじみのキマリを取られてしまったような嫉妬の気持ちも重なる。そんなめぐみの気持ちは、キマリたちの悪い噂を流すという形にまでなってしまった。
自分になにもないから、キマリにもなにも持たせたくなかった。そんなことを思う自分がイヤになったからこそめぐみは、キマリに「絶交」を告げにきたのだ。キマリは、その告白を涙とともに受け入れ、でも「絶交無効」といって駆け出していく。
第5話だけでもめぐみの存在感は非常に大きいものがあったが、めぐみのエピソードはこれだけで終わらなかった。
めぐみへの言及が出てくるのは第10話「パーシャル友情」。
この話数では結月が物語のきっかけを作る。幼い頃からタレントの仕事をしてきた結月はこれまで友達がひとりもいなかった。南極到着後、帰国後の仕事が決まり、ようやく仲良くなった3人とやがて疎遠になることを恐れた結月は、友情誓約書を書いてもらおうとさえする。
友達というものをどうにも掴み損ねている結月に、キマリはめぐみとのSNSを見せる。キマリは結月に、めぐみを「一番の親友」「出発直前に絶交だっていわれたんだけど、私は友達だって思ってて」と紹介する。SNSでめぐみから返ってくる言葉は少ない。でも、キマリは言葉ではなく「既読」とつくタイミングの向こう側に、日本でのめぐみの姿や生活を想像する。
「わかるんだよ。どんな顔をしているのか。変だよね(笑)。私にとって友達って、多分そんな感じ」
このキマリの言葉を聞いた時、こんな言葉を思い出した。
「たとえば、きみが夕方の四時に来るなら、ぼくは三時からうれしくなってくる。そこから時間が進めば進むほど、どんどんうれしくなってくる」
これはサン=テグジュペリの『星の王子さま』(河野万里子訳)に出てくるキツネの言葉。眼の前にいない友達を想像することで、自分の心の中に生まれ育っていく友情。そんな心のあり方がキマリの態度と響き合っている。
そう思って『星の王子さま』を読み返すと、そこ出てくる言葉が、どこか本作と通じ合うものが多いように感じられる。それは、どちらも「友情を育み合うこと」(これをフランス語でアプリヴォワゼというそうだ)を扱っている作品だからだろう。
小さな星に、わがままなバラを一輪残して、地球へとやってきた王子さま。そんな王子さまに友情というものを教えるのがキツネだ。
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」
前段のセリフはよく引用されるが、作品の文脈の中におくと「見えないもの」とは「時間」を指しているように読める。その人のことを考えたり思いやったりしている時間こそが、とても大事なものなのだと。王子さまはこうしたキツネとの対話を通じて、自分がバラを好きだったということを自覚していく。
キマリとめぐみは「幼なじみ」という時間を過ごしてきた。そしてそれは2人にとって「見えないもの」だったのだ。そしてキマリは離れることで、その「見えないもの」を改めて噛みしめることになった。めぐみは決して、バラのようなわがままな性格ではないが、キマリにとっては、星に残してきたバラのような存在なのだ。
王子さまは最後、バラに会うために地上からいなくなる。では、キマリはめぐみと会うのかどうか……。「南極を目指す4人の女子高生の物語」といわれる本作において、5人目であるめぐみが、裏側でキマリの物語を牽引していたのである。だからこそ最終回にめぐみが出るのか出ないのかは大きな注目点たり得たのだ。
そしてめぐみは登場した。しかも、それは予想を覆すような登場の仕方だった。エンディングテーマが流れた最後の最後。帰宅を告げるキマリのSNSの投稿に対して、北極にいるめぐみの写真が返信されるのだ。この瞬間、これまでの日本にいるめぐみ=星に残してきたバラという構図が、逆転する。今度はキマリがめぐみにとってのバラになったのだ。この鮮やかな転換で、この作品は締めくくられる。
最終回のサブタイトルは「きっとまた旅に出る」。最終回、日本に戻ってきたキマリたちは、空港で潔いほどあっさり別れ、それぞれの道で帰途につく。それは4人が“旅の仲間”だからからだ。目的を同じとした“旅の仲間”は旅が終われば、それぞれの人生へと戻っていく。
でも旅で過ごした時間は永遠だし、その時間こそが互いの間の友情を養ったこともわかっている。だから別れることが怖くない。そういう別れ方だった。
ここで気付くのは第5話もまた、キマリとめぐみという幼なじみという“旅の仲間”の終わりを描いていたのだ、ということだ。そして“幼なじみ”という旅を終えたキマリは南極へ旅立ち、キマリが帰国すると、めぐみが新しい旅に出ている。
こうしてひとは旅を繰り返して生きていく。その時、誰もがある時はバラであり、ある時は王子さまである。キマリとめぐみは、そんな人生の一端を真実をのぞかせてくれた。
[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ
ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』がある。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。