■ ポストメディウム的状況のリアリティ徐々にメインテーマへと移っていきたい。冒頭に引いた、渡邉が分析する「映像圏=ソーシャル時代の映画・映像文化」とは、こうした「ポスト・メディウム的状況における映画=映像」の延長上に位置づけられる問題系だろう。そしてこの著作で渡邉がことさら注目するのが「擬似ドキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー、モキュメンタリー) Mockumentary」である。擬似ドキュメンタリーとは、記録映画(ドキュメンタリー)を擬装したフィクション――「POV(主観)ショットによる肌理の粗い手ブレ映像や素人俳優の起用に特徴づけられる、ドキュメンタリー映像のクリシェ的表現方法を巧みに模したフィクション作品」(渡邉、38頁)――で、ダニエル・マイリック+エドゥアルド・サンチェス監督による低予算擬似ドキュメンタリー映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999年)の大ヒット以降(=2001年の9・11の前後から)、現在に至るまで世界中で爆発的な広がりを見せている。とはいえ念のため補足しておけば、擬似ドキュメンタリーはもちろん、2001年前後に新しく生まれた表現形態ではない。たとえば『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のブーム時にも、同じPOV形式のファウンド・フッテージものとしてルッジェロ・デオダート監督の映画『食人族』(1980年)がしばしば引き合いに出されていただろう。また映画監督・白石晃士の『フェイク・ドキュメンタリーの教科書――リアリティのある“嘘”を描く映画表現 その歴史と撮影テクニック』(誠文堂新光社、2016年)では、より遡られた仮説的起源として、イギリスのピーター・ワトキンス監督の初長編『Culloden』(1964年)が挙げられてもいた。またそもそも、リアリティショー形式のTV番組が世界的流行を見せはじめたのは1990年代のことでもあったろう。渡邉の議論でも当然、そのことは自明の前提となっている。実際、著書のなかでもオーソン・ウェルズによるメタフィクション的ラジオドラマ『宇宙戦争』(1938年)といった源流や、1940年代におけるフィルム・ノワールとの類比が見出されているとおり、「映像圏的なもの」としての擬似ドキュメンタリーへの注目は、その手法的な新しさや表現の強度によるものではない。それが現代における映像=動画の氾濫・偏在状況――たとえばスマートフォン・携帯電話・監視カメラで撮影された映像がWEB上に溢れ、またそのフッテージをPC上で再構成することで「映画的なもの」が生み出され、それが再び動画共有サイトへアップされることでそれ自体がフッテージとして再利用される――というのは、「今ここにある「現実」の世界が、バーチャル事実的=潜在的にいつでも「イメージ」(虚構)の断片へと転化しうる可能性(確率)を胚胎した世界」(渡邉大輔「二一世紀の「映画(的なもの)」について」森直人+品川亮+木村重樹編『ゼロ年代+映画――リアル、フェイク、ガチ、コスプレ』河出書房新社、2011年、84頁)、「もはや「映画を撮る」のではなく、「映画が映画を撮る」ようなウロボロス的世界」(同前、83頁)、すなわち映像圏(繰り返せば「現在の情報ネットワーク社会がもたらす「イメージの氾濫状態」とでも呼ぶべき文化状況やひとびとのもつリアリティの総体」)を体現した表現手法であるがゆえに注目されることになる。
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