高瀬司(Merca)のアニメ時評宣言 第8回 ポストメディウム的状況のアニメーション美学をめぐって 「劇場版 響け!ユーフォニアム」 | アニメ!アニメ!

高瀬司(Merca)のアニメ時評宣言 第8回 ポストメディウム的状況のアニメーション美学をめぐって 「劇場版 響け!ユーフォニアム」

高瀬司の月一連載です。様々なアニメを取り上げて、バッサバッサ論評します。今回は『劇場版 響け!ユーフォニアム~北宇治高校吹奏楽部でようこそ~』について。

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■ 高瀬司(たかせ・つかさ)
サブカルチャー批評ZINE『Merca』主宰。ほか『ユリイカ』(青土社)での批評や、各種アニメ・マンガ・イラスト媒体、「Drawing with Wacom」でのインタビューやライティング、「SUGOI JAPAN」(読売新聞社)アニメ部門セレクターなど。
Merca公式ブログ:http://animerca.blog117.fc2.com/

■ ポストメディウム的状況のアニメーション美学をめぐって
――『劇場版 響け!ユーフォニアム~北宇治高校吹奏楽部でようこそ~』

映画史研究者・批評家の渡邉大輔は『イメージの進行形――ソーシャル時代の映画と映像文化』(人文書院、2012年)において、現代の映像文化を「映像圏 imagosphere」システムを軸に論じている。「映像圏」とは渡邉の造語で、「「ソーシャル化」が如実に体現しているような、インターネットや携帯電話、監視キャメラなど、現在の情報ネットワーク社会がもたらす「イメージの氾濫状態」とでも呼ぶべき文化状況やひとびとのもつリアリティの総体のこと」(15頁)とされる。

ではアニメにおけるリアリティとはなんだろうか。「マンガ(絵)の映画」である日本の商業アニメーションはこれまでもっぱら、自らが〈映画〉であるかのように振る舞うことによってリアリティを擬装してきた。「リアリティを擬装してきた」という言い回しは、リアリティというのがそもそも「(リアルとは異なるが)本当らしく感じられるもの」という、元より擬装性をはらむ概念である点からすると少々おかしな表現に思えるかもしれないが、しかしアニメは、そうした物言いを許してしまいたくなるような二重の擬装性をまとい存在してきた。

しかし、こうしてアニメが〈映画〉からリアリティを借り受けつづけるには、前提として〈映画〉がリアリティを保持している必要があるはずだ。しかし20世紀後半における制作環境のデジタル化を決定打に、映画批評家アンドレ・バザンの言う映画の「リアリズム」(についての一般的解釈)――写真的なインデックス性【注01】――は、その成立がおよそ困難になったと見なされて久しい。

本稿は、「映像圏」という概念、および『劇場版 響け!ユーフォニアム~北宇治高校吹奏楽部でようこそ~』というアニメ作品から見えてくる、そのような21世紀以降のデジタル/ネットワーク化時代のアニメ表現を分析する足がかりを模索する。

▼注01:「指標 index」とは、チャールズ・サンダース・パースの記号論において、「指示対象と物理的つながりを持つ記号」のこと。バザンのリアリズムは、フィルムが現実世界と物理的つながりを持つ(世界をありのまま映し出した光学的痕跡である)ことに由来し、ゆえにワンシーン・ワンショット、ディープフォーカスが評価された。
《高瀬司》
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