高瀬司(Merca)のアニメ時評宣言 第8回 ポストメディウム的状況のアニメーション美学をめぐって 「劇場版 響け!ユーフォニアム」 3ページ目 | アニメ!アニメ!

高瀬司(Merca)のアニメ時評宣言 第8回 ポストメディウム的状況のアニメーション美学をめぐって 「劇場版 響け!ユーフォニアム」

高瀬司の月一連載です。様々なアニメを取り上げて、バッサバッサ論評します。今回は『劇場版 響け!ユーフォニアム~北宇治高校吹奏楽部でようこそ~』について。

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当連載第7回では「アトラクションのアニメ――『ガールズ&パンツァー 劇場版』と『KING OF PRISM by PrettyRhythm』」(http://animeanime.jp/article/2016/04/02/27845.html)と題し、1986年発表の論文「アトラクションの映画」(トム・ガニング「アトラクションの映画――初期映画とその観客、そしてアヴァンギャルド」中村秀之訳、長谷正人+中村秀之編『アンチ・スペクタクル――沸騰する映像文化の考古学』東京大学出版、2003年)を軸【注05】に初期映画(1906年以前の映画)の歴史にも軽く触れたが、ガニング以降の映画研究において、初期映画やアニメーションの研究が極めて大きな存在感は発揮していることも、20世紀のなかの特定の数十年間という一時期に〈映画〉と信じこまれてきた概念を、歴史的に(拡張的に)再検討する営為であるという意味で、ポストメディウム的状況と密に同調した動きと言える【注06】。

▼注05:あわせて本稿に関わる議論としては下記を参照のこと。Tom Gunning , “Moving Away from the Index: Cinema and the Impression of Reality,” Differences 18, 1, 2007, 29–52. 未邦訳だが、日本語の文献では『マンガと映画――コマと時間の理論』(NTT出版、2014年)の著者でマンガ研究家の三輪健太朗による解説(『映画学』早稲田大学大学院文学研究科映画研究室、26 号、2012 年、74-81頁)が詳しい。近年何度目かの盛り上がりを見せている映画批評家アンドレ・バザンの再評価(再解釈)へもつながる(そしてアニメーションの可能性にも踏みこむ)この論点は、またの機会に本稿や『マンガと映画』と絡めつつ掘り下げたい。

▼注06:こうした歴史の再検討は、今後アニメ研究においても強く求められる態度だろう。ここまで見てきたように、映画研究における教科書的な〈映画〉史――「D・W・グリフィス以降の古典的ハリウッド映画は、ヘイズ・コードとともに1930年代・40年代に最盛期を迎え、1950年代(後半)から1970年代にかけてのスタジオ・システムの崩壊以後スペクタクル化した(蓮實重彦【※彦は正しくは旧字体】が『ハリウッド映画史講義――陰りの歴史のために』[筑摩書房、1993年]でパラフレーズしたところの「物語からイメージの優位へ」[174頁])」――に対して、見世物/スペクタクル化の果て、ことに1990年代以降におけるデジタル時代のポストシネマの探求として初期映画の見なおしがはかられたことと同様に、マンガ研究(ことに21世紀以降の)においても「手塚治虫【※塚は正しくは旧字体】が戦後、ストーリーマンガを創造した」という「テヅカ神話」が強烈な再検討に晒されている。
漫画/マンガ研究者の宮本大人による手塚以前の戦前漫画の研究(手塚が戦後発明したと吹聴されてきた「映画的手法」はことごとくその発生が遡られることになる)、そしてマンガ評論家の伊藤剛による(ちょうどポストメディウム的状況における映画研究と同型の)メディアミックス環境が前提となった近代以降の視点から、メディア横断的な(そしてテヅカ神話によって隠蔽されてきた)「キャラ」概念を起点にマンガ(表現)史をとらえなおす『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』(NTT出版、2005年)がその代表だろう。筆者が直接関わったなかでは、座談会「テヅカVS四コマ――ぼのぼの、あずまんが大王、ゆゆ式」(伊藤剛×やごさん×高瀬司、2015年)において、戦後ストーリーマンガに対して、戦前のメインストリームであった(つまり「テヅカ神話」の外から論じうる)コママンガの(四コマへとつながる)歴史から、(ポスト『テヅカイズ』=メディアミックス環境以降の)デジタル/ネットワーク時代におけるマンガ表現の現在の検討にまで踏みこみはじめている。
こうした映画・マンガ研究の動向は、アニメ研究においても、たとえば『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)ないし『アルプスの少女ハイジ』(1974年)における高畑勲・宮﨑駿によるレイアウトシステム(あるいは、1956年の東映動画設立、ないし手塚治虫の虫プロダクションによる1963年のTVアニメ『鉄腕アトム』)を起点とした日本の商業アニメーション史観(むろん個々の観点自体は極めて重要なものではある)が陥りやすい落とし穴への注意をうながしてくれるだろう(そして実際、ポストメディウム的・領域横断性が――「切断」が語られるほどに――前提となった現代のアニメ批評と平行し、戦前からの連続性の研究はゆっくりと積み重ねられはじめている)。
《高瀬司》
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