映画「ハル」 京都・立命館大学で、特別試写にスタッフトーク“アニメの過去から「ハル」まで” | アニメ!アニメ!

映画「ハル」 京都・立命館大学で、特別試写にスタッフトーク“アニメの過去から「ハル」まで”

京都の立命館大学衣笠キャンパスで6月7日、WIT STUDIO制作、松竹配給による中編アニメーション『ハル』の特別試写会と、講演会が開催された。本講義はクリエイティブ・リーダーシップ・セミナーとしてクリエイターを招いておこなわれる

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■ 京都の立命館大学で映画『ハル』特別試写会とWIT STUDIO代表取締役社長兼プロデューサーの和田丈嗣氏、総作画監督の北田勝彦氏ならびに監督の牧原亮太郎氏による鼎談が実現

京都の立命館大学衣笠キャンパスで6月7日、WIT STUDIO制作、株式会社松竹配給による中編アニメーション『ハル』の特別試写会と、講演会が開催された。本講義はクリエイティブ・リーダーシップ・セミナーという映像業界の第一線で活躍しているクリエイターを招いておこなわれる3時間の特別講演会で、これまでもアニメ及びCG業界の様々なクリエイターが来校している。
今回はWIT STUDIO代表取締役社長兼プロデューサーの和田丈嗣氏(以下、和田プロデューサー)、総作画監督の北田勝彦氏(以下、北田氏)ならびに監督の牧原亮太郎氏(以下、牧原監督)が来校し、それに立命館大学映像学の客員教授である小田部羊一氏(以下、小田部教授)が加わる形で展開された。

なお、今回の講演は、本編そのものの特別試写会を挟む形の特別形式でおこなわれ、会場には、幣紙も協力させていただいた一般応募枠から来場された方々も多数来場し、会場は熱気に包まれた。本稿ではその中でも講演の模様をお伝えしていこう。

立命館大学 /http://www.ritsumei.jp/ 
映画『ハル』 /http://hal-anime.com/

■ 東映動画やテレコムから流れるヒューマニズムの系譜を受け継いだ

まず、冒頭は、小田部教授が登壇している講演会ということもあり、過去の作品と映画『ハル』との関係性についてそれぞれが述べた。
牧原監督は、自身がテレコム・アニメーションフィルム(以下、テレコム)出身だったことに触れ、「小田部羊一氏、大塚康生氏、宮崎駿氏がやられていた仕事を引き継いでやっていきたい」という想いをもってアニメ作りに取り組んできたと自身のアニメ作りに関する理念を示した。同時に本作においても「東映からの流れを受け継いで作品を作っているという自負はしている」とする。仕事をするときも、全体を通してつながっていると考えてきたと、過去から現在までのアニメづくりに関するノウハウが脈々と受け継がれて来ているという自身の感覚を示した。

一方、和田プロデューサーは「私たちは基本的に小田部先生を含め、東映の皆さんが作られてきたところに向かって作っているわけなんです。『ハル』はオリジナルアニメーションとして作らせていただいて印象に残っているのですが、本当に0から自分たちが温めたものを、北田さんが手を動かして、実際に映像となって世に広がっていく、それは本当に自分がアニメーションをこころざした思いが実現化したという印象。最終的には『パンダコパンダ』のようなに語り継がれていく作品になればいいと思っています。」と述べた。
また、監督とアニメーターとの関わりについて、牧原監督は、自身がアニメーターから監督へと転身したことを示しつつ「アニメーターは世界観をつくることで力を発揮する人が多いと思っているのですが、自分も話を作る力より世界観をイメージで固めていくことが武器になっている」との思いから監督を目指したとのこと。

もともと、アニメーターを7、8年間経験してから演出家に転換し、『ギルティクラウン』の絵コンテを担当していたときに和田プロデューサーに短編監督の話を持ちかけられた。テレビドラマなどの脚本を書いてきた木皿泉さんが脚本を担当することにも惹かれ監督になることを承諾したとのこと。
ただ、プロジェクトの間は苦労も絶えなかったと牧原監督。監督として、脚本、絵コンテ、原画チェック、編集、音響・・・と1年間の制作工程の中で時期によって繁忙な部門に違いがあるものの、とにかく時間が無かったと当時を述懐。2012年の4月2日に木皿泉さんの自宅を訪問し、脚本の第一稿を入手。その時点でタイトルは決まっていたが、13年4月に公開したいとの要望にスケジュール的に既に非常に厳しいと実感したという。
更に、初稿では、OKが出ず決定稿が8月22日になったとのこと。当然スケジュールは圧縮されてしまう。
「これはアニメーターが徹夜2~3ヶ月とかじゃないと終わらない計算なんですよね。」と牧原監督。更に、いいものを作ろうと思うと、絵コンテも、みっちり描かないといけないと作業を進めているうちに時間もなくなり、結局、アニメーターを泣かせるという流れが続いたという。
最終的には一年間ずっと時間に追われ、12月24日に絵コンテを終了するまでには、原画チェックと並行して絵コンテを描くという状態が続いたという。更にアフレコが1~2月に進め、その時点で編集、尺出、原画、動画、仕上げして・・・・という流れを続けたと牧原監督。試写会が13年4月8日に延長されたものの最後のビデオ編集が4月6日の朝10時だったとのこと。特に4月2~6日まで休まずみっちりやっても時間が足りないという感じで、最後まで苦労したと語った。

一方、木皿泉さんに脚本を依頼した経緯について、和田プロデューサーは、「木皿さんが脚本をしていた『Q10』の第1話で、前田敦子さんがガチャガチャを開きその中に「世界」と書いてあるメモを見て「世界が生まれました」とつぶやいたシーンを見たときに、何かが生まれたんですよ。」と笑いながら当時を振り返った。その流れですぐに連絡をとり、プロジェクトがスタートしたとのこと。

また、『進撃の巨人』アニメ化に至った経緯についても言及。3年程前、『進撃の巨人』の広告を見て面白いと思い、単行本を一、二巻買って読み、感動したのがきっかけだったという。
この物語が、現在の日本で生きている少年が見ている心象風景だなと感じ、その思いをポニーキャニオンのプロデューサーに話したことから、様々な事が動き出し、WIT STUDIOが制作することになったという。
これらを踏まえ、プロデューサーとは、「何か感じたものを人に伝え、それで人に動いてもらう仕事」であるとその定義を示した。同時に、「自分で見つけて作り出していくような」仕事でもある」と和田プロデューサー。何がヒットするか、どれがウケるのか分からないという世界の中で、一番強く思って信じた人が勝てるとし、「それを信頼できる人につなげていくことが一番大事である」と語った。
この後、試写会を挟んで講演が続くのだが、以降はネタバレを除いてそこで語られた模様を伝えて行く。

abesan


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