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塚原重義監督「クラユカバ」「クラメルカガリ」で覗くレトロな世界【藤津亮太のアニメの門V 106回】

塚原重義監督の『クラユカバ』『クラメルカガリ』。大正時代後半から昭和初期あたりを思わせるレトロな風景とスチームパンクを組み合わせた独特の雰囲気の作品である。

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一方、もう1作である『クラメルカガリ』のほうはどうだろうか。本作は小説家の成田良悟が、『クラユカバ』第2回クラウドファンディングのリターンとして書いたスピンオフ小説が原案。それを塚原監督が再構成して映画として作り上げた。美術も、『クラユカバ』よりもスタッフのアイデアを生かす形で構築されており、塚原監督の世界を、別の人が別の角度から切り取ってみせたという度合いが高い。  

本作の舞台は、「箱庭」と呼ばれる、かつての監獄跡地に出来た炭鉱町。周囲を監獄時代の高い塀に囲まれ、中心には炭鉱を経営する泰平砿業の高いビルがそびえ立つ特殊な空間で、ビルの下には関連中小企業や零細採掘業者が無数にひしめいている。主人公カガリは、この箱庭で地図屋として、日々変わる町の地図を書いて暮らしている。  

『クラユカバ』では、壮太郎が「水平移動で世界のアレコレを見せる」役割を果たしていたのに対し、本作では「箱庭の外に出る/出ない」という「垂直移動」がドラマの根底に置かれ、全体的に上下方向の運動や対立が描かれる作品になっている。そういう意味では『クラユカバ』と『クラメルカガリ』の関係は、「続編」とか「スピオンオフ」というより「対」といったほうがしっくりくる。  

だから「世界」の示し方も当然異なっている。もちろん魅力的な美術、独特なルックがクレディビリティの根底にあることは変わらない。しかし、さまざまな風景が世界の姿として現れる『クラユカバ』に対し、『クラメルカガリ』は「箱庭」に関連するさまざまな立場の人間が登場するところに特徴がある。  

カガリと同じ仕事ながら違う夢を持つユウヤ。地図屋から地図を買い取る、表向きは貸本屋を営む情報屋の伊勢屋。さまざまな機械を開発する朽縄爺。ある目的で箱庭にやってきた調査員のシイナとそれに協力する情報屋の飴屋。まだほかにも登場するが、この登場人物のアンサンブルから「箱庭」という社会が垣間見える。「箱庭」は美術だけでなく、このキャラクターたちの存在感も加わることで人間味のある空間になっている。こちらはクレディビリティの要素に、社会の存在感が加わっているのである。  

『クラユカバ』のクラガリは、映画の舞台として魅力的に見えても、そこに暮らしたいと思うかどうかは悩ましい場所であった。それに対し、「箱庭」は多様なキャラクターがいることで、貧しくとも人の生きる場所として描かれており、暮らすなり遊びにいくなりしたくなるような空間として描かれている。  

塚原監督はパンフレットで続編の構想もあると語っている。果たして大帝都とその地下世界は、次はどのように切り取られて描かれるのだろうか。キャラクターのドラマが区切りを迎えても、その向こうに「世界」が広がり、存在し続けているということもまた「世界観主義」のひとつの現れであることはいうまでもない。


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[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。

《藤津亮太》
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