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“ジャイアンデビュー”から13年…木村昴、声優キャリアを振り返る「最初は記念受験のつもりだった」

『ドラえもん』のジャイアン役などで知られる木村昴にインタビュー。前編となる今回は、『ドラえもん』を中心にデビュー当時の想いを振り返ってもらった。

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“ジャイアンデビュー”から13年…木村昴、声優キャリアを振り返る「最初は記念受験のつもりだった」
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■未だに僕の師匠はスネ夫なんです



――声優一本で行こうという覚悟はかなり重いものだったんですね。

木村
そりゃあやりたいことたくさんあったけど、今はダメっていう感じでしたね。夢のまた夢、このさき一端の声優になれたときにちょっとわがまま言ってみようかな、というぐらいでした。
当時はまだ学業もありましたし、片手間じゃあできないですから。「なんかなれちゃいました声優~」みたいな気持ちでやったら『ドラえもん』に失礼だと思ったので、「一端の声優になるんだ」とそれだけを考えてやってきました。

環境も180度、まるっと変わりました。プロデューサーからは、「『ドラえもん』のことを第一に考えてくれって」って口酸っぱく言われていましたし、一挙手一投足、ジャイアンとしてというつもりで生きてきましたから。

――実際に、「声優」というお仕事をやってみてどうでした?

木村
どうこう思う間もなかったですよね。だって、現場でのあれこれも何もわからないんです。
「台本に書き込むペンはそういうのなんだ」「現場ではそういう靴をはくんだ」「マイク前までそうやって歩いていくんだ」っていうレベルだから。やるしかねえんだっていう張り詰めた感じでした。

――まわりに聞いたりしなかったんですか?

木村
そこも当時の僕の勝手な考えなんですけど、対等にやっているクルーなので「教えてください」っていうのも何か違うなって思っていたんですよ。
「はじめてだって思われたくない」っていう子どもの見栄もありましたし。

それに、正直高校生になるまで家にテレビがなかった家庭なので、声優さんのことも全く知らなくて。
合格した瞬間も、僕以外みんな大人で経験者という環境でありながら「『ドラえもん』の声優っていう意味ではみんな同じスタートラインに立ってるんだ」っていう変な思い込みがあったんですよ。
だから、スネ夫役の関智一さんに「男同士、頑張りましょう」って言っちゃったんですよね。最大のミスですよ……(苦笑)。


――はじめてだから仕方ないといえばそうなんですけれどね。

木村
基礎も知識もないですからね。とんでもなく空回りしていました。
でも、そんなとき背中が大きく見えたのが関さんなんですよ。しばらくしてようやくいろいろ聞けるようになって「僕、何がダメですか? どうしたらいいですか?」って聞いてアドバイスをもらっていました。だから未だに僕の師匠はスネ夫(関さん)なんですよね。

――もう13年演じていますが、ジャイアンを演じるうえでのポリシーってありますか?

木村
うーん、ずっと考えてはいるんですけど、まだ不安な部分は多いのではっきりしたものはないですね。
だって、26年間先代が演じてこられて確固たるものがあるのに、2代目のキャストはモノマネにならないよう2代目にしか出せないものを作らなきゃいけないんです。もう、無理~!ってなるんですよね。
たまらず、たてかべ和也さん(先代ジャイアン役)に相談したら「俺はもうジャイアンじゃないから」と教えてくれなくて。
唯一聞き出せたのが「ジャイアンは豪快なヤツだから思いっきりやればいいよ」だったんですよ。なので、それだけをヒントにどうにか噛み砕いてやってきたくらいです。

■心に余裕はできてきたと思う



――では、声優としてのポリシーはありますか?

木村
そうだなあ……欲しいですね(笑)。
っていうのも、ちょっとずつ歳を重ねていろんな役をやらせていただけるようになって、変わってきたんですよねポリシーが。
でもそんななかで変わらないのは、「出し惜しみをしない」ことかな。変な話、「この収録で終わっても良いや」「明日のことは考えない」っていう気持ちで毎回臨んでるんですよ。
今日のこの作品がうまく行かなければ、次はないじゃないですか。だから全力を出す。

――ジャイアンが教えてくれたというか。

木村
そうですね。当初は、ジャイアンをやると無理しているからか、毎週喉が枯れていたんですよ。で病院に行って、治ったらまた現場で枯れてって。そういうのを繰り返していると、そう思うようになるんですよね。
病院のお医者さんからは、「君の歳にはキツいよ」って言われたんですけど、「次のアフレコに行けなかったら意味がないんです。将来もなくなるんです!」って言ってやっていましたね。

――もう、根性ですね。

木村
結果、なんの影響もなかったので僕は大丈夫でしたけどね。そういうのを経験しているから、今もひとつひとつ大切に出し惜しみせずマイク前に立てているんだと思います。
ポリシーって言うほど大層なものでもないかもしれませんけどね。


――ちなみにご自身は声優向きだと思いますか?

木村
えー! そんなんわからないです(笑)!
正直僕、ずっと「こんな僕が声優で良いのかな」って思ってるし。そういう意味では自信がないんですよね。ただ、続けていきたいとは思っています。
中学生の頃、ジャイアン役に応募したあの瞬間から比べれば、声優になれていると思うので。

――声優歴13年にしても不安はあるんですね。

木村
そうですね。今からでもラッパーになれるならなりたいし、ジャングルクルーズのお兄さんになれるならなりたいですもん(笑)。……というのは冗談ですが、裏を返せばそう言えるくらい経験を重ねられて、心に余裕はできてきたと思います。それが自信と言えるのであれば、そうなのかもしれないです。

インタビュー記事後編はコチラ▼
「ジャイアンから脱しなければいけなかった」声優・木村昴の転機となった作品とは?
《松本まゆげ》
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