マイネッティ
映画を作るときに苦労するのは、ストーリーに血肉を通わせるという点です。今回はローマ郊外に実在するトル・ベッラ・モナカという地区を舞台にしました。そこはイタリアの中でも犯罪や麻薬取引の多い、非常に問題のある地区です。私はずっと役者をしてきて、出演した映画が長い期間トル・ベッラ・モナカの劇場でかかっていたという経験があり、その地区がどのような状況かを知っていました。私の父も、脚本に参加している一人も、かつてはそこで仕事をしていて、トル・ベッラ・モナカの暗い面を見ています。トル・ベッラ・モナカで生まれた人間は、どこかで殺されてしまうか監獄に放り込まれる。そんな、犯罪に繋がる人生しか選べないような場所なんです。そこで犯罪をせずに生活するにはどうすればいいのか……、希望に繋がるものを描きたいと思って、このような設定にしました。
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――永井豪先生のテイストはどのように本作には反映されているのでしょうか。
マイネッティ
トリビュートというだけではなく、アニメ版『鋼鉄ジーグ』を知っている人ならこの映画を見ていただければよく分かるように、多くの共通点があります。『鋼鉄ジーグ』の主人公・司馬宙(シバ・ヒロシ)は最初、エゴイストで宇宙を救おうなどと考えない。エンツォも同じですね。それから『マジンガーZ』や『UFOロボ グレンダイザー』などは人がロボットに入って操縦しますが、『鋼鉄ジーグ』は人間が頭部そのものに変形する。しかもそれだけではジーグになれず、ヒロイン・卯月美和の乗るビッグシューターから射出されるパーツがなくてはいけないわけです。エンツォにもアレッシアという女性の存在が大きく関わってきます。
永井イズムで考えるなら、永井豪作品の登場人物は一面的に「いい人はいい人である」と描かれるのではなくて、複雑な悩みを自分の中に抱えていることが多い。それは本作にも通じると思います。
――本作の根底に流れているもの、ですね。
マイネッティ
そうですね。『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』はアニメについての映画ではありませんが、日本のアニメを見ながら育ったイタリアの男が、脚本を書いて監督をした映画です。日本のアニメに宿る「自由の精神」というのは、ハリウッドなどの大予算作品では見られにくいんです。「これはムリだな」と自主規制してしまいますから。この作品にはその「自由の精神」が宿っています。子どもの頃から日本のアニメを見て育ち、大人になってからそれを発展させて作った作品、ぜひご覧ください。
――ありがとうございました。
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