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笹川ひろしと大河原邦男が語る、タツノコプロの歴史と55周年記念作品「Infini-T Force(インフィニティ フォース)」の魅力

創立55周年を向かえたタツノコプロが新しい映像作品を生み出した。タイトルは『Infini-T Force(インフィニティ フォース)』。『科学忍者隊ガッチャマン』『新造人間キャシャーン』『破裏拳ポリマー』

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■タツノコプロの空いたピースが大河原氏で埋まった

――55年の振り返りありがとうございます。大河原さんのお話もうかがわせてください。

大河原
笹川さんは志を持って制作会社を作りあげたとお話されていましたが、わたくしの場合は志無しで、たまたまこの業界に入ってきました(一同笑)。職もないのに結婚することだけが先に決まってしまって、どこに行こうか探していたとき、新聞の求人欄でタツノコプロの求人を見つけたんです。アニメや漫画に興味もなかったのですが、4月2日に入社して、4月11日から1週間は新婚旅行へ行きましたね(一同笑)。

――それが許される時代や社風だったのでしょうか。改めて聞いてもすごいお話です。

大河原
そうですね(笑)。それで、わたしが配属された美術課はポスターカラーで風景画や背景を描くという部署でした。大学はグラフィックで入ってテキスタイル(織物など)で卒業していて、アニメとは全く関係ない勉強をしてきましたし、何よりすぐに描けるものではないので、当時の上司である中村光毅さん(※)が3ヶ月間、絵を見てくれていたんです。その最中に「10月からはじまる新番組のメカデザインをできるか」という話が来たんですね。それが『ガッチャマン』でした。参考にしようと中村さんの設定画を見ると、とても緻密な設定で、「このレベルでデザインしないとマズい」と実感しました。タイトルロゴも初めてデザインしたのですが、出したものがすぐにOKになり、これでおもしろい仕事だなあと思いました。
『科学忍者隊ガッチャマン』ではメイン以外のメカデザインを担当しましたが、昔からメカは好きだったんですよね。楽しい仕事だなあと思いながらやっていました。それでもわたくしのデザインは諸先輩方からは目を付けられましたね。線の多いデザインでしたから、「これを動かすって言うのか?」と直接イヤミを言いに来る人もいました。当時あれだけの緻密なメカを動かしているプロダクションはなかったです。わたしがよく知らずに業界に入ってデザインしていたので、ちょうどジグソーパズルのピースがポーンとハマったんだと思います。
それから45年。わたくしは子どもに夢を持ってもらいたいと思ってやってきました。子どもの脳裏に、夢の種を蒔くように、メカデザインの仕事をずっとやってきました。それから決められたスケジュールを落としたことはない。必ず1日2日前には仕上げます。これだけは自慢できますね(笑)。

※中村光毅(なかむら・みつき)/東映動画を経て、竜の子プロダクションへ入社。美術監督、メカニックデザイナー、イラストレーター。『機動戦士ガンダム』や『風の谷のナウシカ』などでも美術監督を務める。


――それはすごいですね……。笹川さんと大河原さんが最初にお互いを認識した作品というのは『科学忍者隊ガッチャマン』でしょうか。

大河原
わたくしの印象だとタイムボカンシリーズからですね。メカを全部やりましたから。

――72年に入社されて、すぐに『科学忍者隊ガッチャマン』を手がけるというのはすごいですね。

大河原
上司が太っ腹だったんでしょうね。何より中村光毅さん1人でメカデザインを担当するというのはまず不可能でした。何しろ当時のタツノコ作品の美術は全部中村さんがやっていたので、たぶん半分厄介払いみたいなものがわたしに回ってきたのでしょう(笑)。

笹川
タツノコプロは企画部、演出部、文芸部、美術部まで全部ありましたね。録音はなかったですけど、編集まであって、その中で美術部というのは背景から、ロボットが出てくるならそのデザイン、マッハ号のような車のデザインまで全部請け負ってたんです。マッハ号のデザインも中村さんでした。すごい人だったんです。でもあまりに仕事が重なり過ぎてしまったんです。そんな時に大河原さんという優秀な人が入ってくださって、中村さんも重宝したと思います。「メカ」という名称もなかった時代に、大河原さんがやってくれることで、自分は背景を見られるようになる。僕としてもタツノコとしてもものすごくいい人が来てくれたんだなあと思いましたね。
《細川洋平》
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