松本零士「今後は全ての漫画がつながった作品を描きたい」 TAAF功労部門顕彰記念イベントで明かす | アニメ!アニメ!

松本零士「今後は全ての漫画がつながった作品を描きたい」 TAAF功労部門顕彰記念イベントで明かす

イベント・レポート

東京アニメアワードフェスティバル2017 最終日となった3月13日、池袋・シネマサンシャインにて「アニメ功労部門顕彰記念 ─松本零士特別上映会─」が開催され、松本零士のこれまでの功績を振り返るトークイベントと『インターステラ5555』の特別上映が行われた。司会進行は原口正宏。

松本はこれまで『宇宙戦艦ヤマト』をはじめとした様々なアニメ作品で原作や設定に関わってきた。アニメブームの立役者のひとりであり、SFアニメブームの火付け役でもある松本は日本のアニメの歴史を作ってきた人物である。原口によると、松本が制作に携わった数は60作品623話分。 なぜ、これほどまでに松本はアニメに関わるようになったのか。松本の歩みを振り返った。

1938年に福岡県久留米市に生まれ4歳で兵庫県明石市に移り住んだ松本は、1943年に『くもとちゅうりっぷ』を観たことでアニメへの想いが芽吹いたのだという。さらに、手塚治虫作品、劇場アニメ『フクチャンの潜水艦』、ディズニー作品と出会い漫画を描くようになった。終戦後は北九州の重工業地帯に転居し、機械を眺め自然と戯れる日々。高校に入ると高井研一郎と共に九州漫画研究会を立ち上げ、本格的に漫画の執筆活動をスタート、1953年に『蜜蜂の冒険』でデビューを飾った。

また、高校卒業時に描いた絵からは松本が思い描く美女像がすでに完成されていたことが伺える。これについて松本は「遺伝子がこの美女を描かせたんです。『わが青春のマリアンヌ』のヒロインがモデルです」と話した。 1957年に上京し少女漫画誌での連載を経て少年誌での連載を開始。この頃、マルチプレーン撮影台を使ってアニメの自主制作も行っており、漫画だけでなくアニメへの情熱も燃やしていたようだ。

その後、大泉学園に移り住んでから東映の撮影所が近所にあることを初めて知り、いつか関わりを持てたらと考えていたという。その言葉通り、松本は漫画だけでなくアニメとも深く関わっていくことになり、『宇宙海賊キャプテンハーロック』『銀河鉄道999』など数々の作品で世界的に名前が知られるようになる。

この日特別上映となる2003年公開の『インターステラ5555』制作のきっかけとなったのも『宇宙海賊キャプテンハーロック』だ。ある日松本のもとにフランスのエレクトロ・ミュージック・デュオ「Daft Punk」が訪れ、アルバム『ディスカバリー』のためのMVを作って欲しいと直訴されたことが始まりだ。

松本は今後について「私の全ての作品がつながった物語を描きたいです。タイトルももう決まっています」と執筆への意気込みを見せた。加えて、「本当ならもう火星にいっている予定だったんです。戻ってこれなくてもいいからJAXAのロケットに乗せて欲しい。死ぬまでに宇宙から地球を自分の目で見たい」と溢れ出る意欲はまだまだ止まらないようだ。
《川俣綾加》
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