藤津亮太の恋するアニメ 第14回菜穂子の「潔さ」ってどうなのよ(後編)『風立ちぬ』作・藤津亮太『風立ちぬ』を見て気に入ったというNだったが、ヒロインの菜穂子についてはどうも釈然としない。4つの疑問を投げかけられた僕はとりあえず、まず二つ回答した。だが、まだ2つ残りの質問がある。1)13歳なのに、二郎との別れ際にフランス語でヴァレリーを引用する、無駄インテリ臭はどうなのよ。3)死の病への恐怖、戸惑いを(画面上には見せない)あの気丈さって、なんなのさ? ちなみに2)と4)は前編で(いちおう)回答済だ。僕はまず1番目から、その理由を説明してみることにした。「ヴァレリーの引用は、二郎に菜穂子を印象づけるための仕掛というのはわかるよね」「わかるわよ」「でも、その仕掛は“かわいく微笑む”では足りないことがある」「どうして?」「“カワイイから気になったわけじゃない”という部分を強調したい時がそう。もっと運命的な、あるいは魂が呼び合うような関係に持ち込みたい時に、かわいい仕草を入り口にしちゃうと観客は『所詮、かわいいからだろ』ってなるからね。だからここでは、精神性に訴えかける何かが必要だったんでしょう。もちろんそれと同時に、作品全編を象徴するキーワードを出会いの瞬間に示すために、菜穂子自身にヴァレリーを口にさせたんじゃないかなぁ」「うーん、映画の理屈はそれでいいとしてよじゃあ、目の前で詩の一節突然暗唱されて、その女の子のこと意識したりする? 『あー、自意識過剰な不思議ちゃん』とか思わない?」こだわるNは、きっと詩の暗唱について何かいやな思い出でもあるに違いない。「読み上げる詩によるんじゃない。僕は、ヴァレリーはわからないし、『惡の華』でも困るけど、自分が好きな日本の詩人ならアリかなぁ。さらにいうなら、アニメの名セリフであるならさらに歓迎だけど」Nはそれを聞くと、釣り針に引っかかるダボハゼを見るような目で「そんなところに引っかかると、いつか痛い眼見るんじゃない?」といった。まあ、それは「いつか」ではないのだが、僕は「認めたくないものだな。自分自身の、若さ故の過ちというものを」と心の中でつぶやくにとめた。
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