幸いサブスプリクションの配信サービスを含め、ネットにおける作品の流通はこうした規模の作品に向いている。そのため映画館にもTVにもうまくはまらない尺の作品もビジネスとして展開することは可能だ。こういった尺の作品が増えていけば、映画とTV以外のメジャーな流通経路が広がることになる。もちろんひとりのクリエイターのそういった作品を何本かまとめて映画館に(※ODSとして)かけるという方法もありうる。そういう実績の積み重ねれば、長編への挑戦という回路も開きやすくなるのではないだろうか。 ※舞台、ライブ、中継といった映画作品以外のコンテンツ
このようなことを考えてしまうのは実は、地上波放送におけるアニメの行方を考えることとと、裏表の関係にあるからだ。
現状、独占配信で地上波放送がないタイトルは、どうしても広がりづらく、ビジネス的にはペイしたとしても、作品の認知が低いままということが指摘されている。不特定多数に“ばらまく力”の強い地上波を使うことで、SNSなどを経由して、作品の認知があがり、グッズも含めた関連ビジネスも盛り上がることができる。
事実そのとおりではあるのだけれど、果たしてこのような状況がいつまで続くかについて、僕は疑問に思っているからだ。
2020年の国民生活時間調査の結果概要をみると、当時の30代(今なら40歳前後の世代に相当)はメディアの接触をみると、TV視聴が63%、インターネット利用が62%でほぼ拮抗している。この世代より上が「TVも見るけど、ネットもやる」という行動をとっていて、かつ当時の20代(今の30歳前後)よりも人口自体も多いのである。僕は、地上波の“ばらまく力”がネットの“共時性”を得て、作品のプラスになっているのは、現在のアラフォー以上の行動の影響が大きいのではないかと予測している。(詳細は過去に書いた記事を参照:「テレビ離れ」から考えるアニメの近未来「バズらせて知ってもらう」では通用しなくなる https://qjweb.jp/journal/51558/)
しかしそこから下の世代のメディアへの接触は、明らかにネット偏重なのである。地上波への接触が減れば当然、放送時間に合わせてネットで“バズる”ケースも減ってしまう。
そうなったとき、有料の配信サービスではなく、You tubeなどのメディアで流れるアニメが、一般層に一番届きやすい“アニメ”となる可能性はある。そのときが来るのか、それともしぶとくTVアニメ(か、それと同じフォーマットを採用したシリーズアニメ)が生き延びて、一番多くの人に届きやすい“アニメ”の座を守るのか。これから数年の間――アラフォー世代がアラフィフに近づいていく過程――で、そのあたりが見えてくるのではないかと考えている。
これは単に生活習慣あるいは、メディアの接触時間の変化ではない。こういう変化が起きたとき、『名探偵コナン』や『ドラえもん』、あるいは『サザエさん』といった“国民的”と呼ばれるアニメは生まれにくくなるのは確実だ。これらの作品は、TVの視聴率の高い時代にスタートし、かつプライムタイムや夕方枠で放送されることで“国民的”と呼びうるようになるベースを形作った。しかし、今はそのようなベースを形作れるような時間帯に放送されている作品はほんのわずかしかない。新番組が“国民的”と呼ばれる作品へと成長していく道は大変細く険しい(ヒット作は登場しうるだろう)。
インディペンデント系の作家による中・長編が制作される一方で、“国民的”と呼びうる作品が新たに生まれなくなる。果たしてそんな未来がやってくるのか。それともこの予想を覆すような何かがやってくるのか。2020年代のアニメの行く末を考えることに繋がった、シンポジウムだった。
【藤津亮太のアニメの門V】過去の記事はコチラ
[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。