「ルックバック」少数精鋭の“線”が生み出す演技― たった60分の“出会いと別れ”が残す感触【藤津亮太のアニメの門V 108回】 4ページ目 | アニメ!アニメ!

「ルックバック」少数精鋭の“線”が生み出す演技― たった60分の“出会いと別れ”が残す感触【藤津亮太のアニメの門V 108回】

『チェンソーマン』『ファイアパンチ』などで知られる藤本タツキの短編漫画『ルックバック』が劇場アニメ化。2021年に「ジャンプ+」で公開するやいなや、著名クリエイターや漫画ファンの間で話題を呼んだ作品である。

連載 藤津亮太のアニメの門V
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このように小説『銀河鉄道の夜』とそのアニメ映画を補助線にすると、本作がどんな構造を持った物語なのかが、ずっとクリアに見えてくる。  

『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニはニ度カムパネルラを失う。一度目は、銀河鉄道での別れ。その後、ジョバンニは丘の上で目を覚ます。そして町へと降りていくと、カムパネルラが川で溺れそうになった友達を助けようとして、行方不明になったことを知る。これが二度目のカムパネルラの喪失となる。  

本作でも藤野は京本をニ度失う。一度目は、京本が美術大学に進学するといったあの瞬間。そして二度目は、進学した大学で暴漢に襲われ、京本が殺されてしまったとき。  

先述した4コマ漫画を破るシーンは、葬儀のため藤野が京本の家を訪れたところで描かれる。小学校の卒業式の日に、京本の家で勢いで描いた4コマ。もしこの漫画を描かなければ、京本は不登校のままで、美大に進学することもなく、生きていたかもしれない。その後悔が、まだ残っていたその4コマを破ることになる。そして、その切れ端がドアの下をくぐる。  

そこから本編は少し意外な展開をたどるが、そこには触れるまい。ともかくその後、京本の部屋の前に座り込んだ藤野のところに、ドアの下から逆に漫画の短冊が滑り込んでくる。それは京本が描いた(本編中では)唯一といっていい漫画だ。どうしてそんな漫画が、藤野のそばに滑り込んできたかは作品を見ればわかるが、大事なのはそこで描かれる合理性ではなく、「京本から藤野に漫画が届いた」という事実である。それが漫画なんて「描いてもなんの役にもたたないのに」というところまで自責の念にかられていた藤野を救うことになる。藤野の中に「じゃあ、藤野ちゃんはなんで描いているの?」という京本の台詞と、ふたりで漫画を描いていた日々の記憶が蘇る。  

映画『銀河鉄道の夜』でジョバンニは、カムパネルラの生存が絶望的になった後、天の川を見上げてつぶやく。「ああ、僕ははカムパネルラがあの銀河のはずれにいることを知っている。僕はカムパネルラと一緒に歩いてきた」  

銀河鉄道でともに過ごした時間。ともに漫画を描いていた時間。それが自分の中で、揺るがすことのできない大事な部分を形成している。その記憶を背負っているから自分は前に進むことができること。  

映画『銀河鉄道の夜』は最後に「ここよりはじまる」というテロップが出て締めくくられる。この言葉は『ルックバック』の最後、黙々と机に向かう漫画家・藤野キョウの後ろ姿に重ねられたとしても、まったく違和感はない。


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[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。

《藤津亮太》
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