【範馬刃牙】人類の永遠の強敵「退屈」と戦い続けた地上最強の生物、範馬勇次郎の親心とは | アニメ!アニメ!

【範馬刃牙】人類の永遠の強敵「退屈」と戦い続けた地上最強の生物、範馬勇次郎の親心とは

「敵キャラ列伝 ~彼らの美学はどこにある?」第20弾は、『範馬刃牙』より範馬勇次郎の魅力に迫ります。

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『範馬刃牙』先行場面カット(C)板垣恵介(秋田書店)/範馬刃牙製作委員会
  • 『範馬刃牙』先行場面カット(C)板垣恵介(秋田書店)/範馬刃牙製作委員会
  • TVアニメ『バキ』PV場面カット(C)板垣恵介(秋田書店)/バキ製作委員会
  • 『範馬刃牙』先行場面カット(C)板垣恵介(秋田書店)/範馬刃牙製作委員会
  • 『範馬刃牙』範馬勇次郎:大塚明夫(C)板垣恵介(秋田書店)/範馬刃牙製作委員会
  • 『範馬刃牙』場面カット(C)板垣恵介(秋田書店)/範馬刃牙製作委員会
  • TVアニメ『バキ』範馬勇次郎(C)板垣恵介(秋田書店)/バキ製作委員会
  • TVアニメ『バキ』範馬勇次郎(C)板垣恵介(秋田書店)/バキ製作委員会
    アニメやマンガ作品において、キャラクター人気や話題は、主人公サイドやヒーローに偏りがち。でも、「光」が明るく輝いて見えるのは「影」の存在があってこそ。
    敵キャラにスポットを当てる「敵キャラ列伝 ~彼らの美学はどこにある?」第20弾は、『範馬刃牙』より範馬勇次郎の魅力に迫ります。

『刃牙』シリーズの主人公、範馬刃牙にとって最大の敵は実の父、範馬勇次郎だ。

「地上最強の生物」と呼ばれ、その強さにおいて並び立つモノのない存在。一人で一国の軍隊に匹敵すると言われるほどの絶対的な力を持つ父を持ってしまったがために、刃牙は強くならねばならなかった。というよりも、刃牙が強くなることを勇次郎が望み、息子である刃牙は、ある意味、勇次郎の思い通りに強くなっていった。

範馬勇次郎は、望めばその腕力だけでなんでも手にいれることができる男だ。そんな彼は、一体なぜ、息子を強くさせたかったのか。それは、彼が人生において、彼だけが戦ってきた、ある「強敵」との存在があるのではないか。

その強敵とは、ずばり「退屈」である。

『範馬刃牙』範馬勇次郎:大塚明夫(C)板垣恵介(秋田書店)/範馬刃牙製作委員会

人類の永遠の課題である退屈

ミヒャエル・エンデの有名な児童文学『モモ』に、「致死的退屈症」という病が出てくる。時間を司る神が主人公のモモに語って聞かせるこの病気は、灰色の男たちの出す煙が、人の時間に混ざるとかかるという。これにかかると、何もする気が起きず、何にも関心が持てないようになって死んでしまうのだ。

ミヒャエル・エンデは、退屈は人を殺すほどの恐ろしいものだと言っているわけだ。これは何も空想の話ではなく、実際、人間の歴史はある時期から退屈との戦いだったと言える。

退屈は地味な言葉だが、哲学者たちの間では長いこと思索されてきたテーマだそうだ。國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』によると、人間は遊牧生活から定住生活になり、生活に余裕が生まれた結果、退屈という概念が出てきたという。そして、退屈が苦痛に感じられるのは、遊牧生活時代には常に気を張って生きねばならなかったが、定住生活によって安定した生活環境を手に入れ、能力を持て余すようになったからだという。

自分の肉体的・精神的な能力を充分に発揮できると、人は充実感を覚える。遊牧生活時代は、それらの能力を常に発揮しないと生きていけない時代だった。だが、定住生活ではその必要がないので、力を持て余してしまうことが苦痛なのだ。

哲学者パスカルの「人間の不幸というものは、みなただ一つのこと、すなわち、部屋の中で静かに休んでいられないことから起こるのだ」という言葉が同著の中で紹介されているのだが、この感覚が理解できる人は多いだろう。コロナ禍でのステイホームが、退屈すぎて苦痛を覚えた人も多いはずだ。

要するに、人は乗り越えるべき壁が適度にあった方が充実感を感じて幸福になれる。逆に乗り越えるべき壁を見つけられないと退屈で生きる意味を感じられないのだ。

TVアニメ『バキ』PV場面カット(C)板垣恵介(秋田書店)/バキ製作委員会

範馬勇次郎は強い。強すぎて、人生において乗り越えるべき壁がない。なんでも簡単に実現できてしまうので、目標すら立てられない。一対一の勝負だけでなく、軍隊を相手にしても余裕で勝利してしまうので、退屈をしのぐことすらできない。

勇次郎は、「手こずることにすら、手こずる」ことは悲劇だと言う。これは、哲学者たちが退屈について考え続けてきたことと同じことを言っているのではないか。勇次郎は腕力家であると同時に、ほとんど哲学者の域に達している。

筆者のような貧乏ライターは生活に余裕がないので、ある意味常に充実している。乗り越えるべき壁だらけ(締切)なので、生活に余裕がないし、文章も下手なので、いつも手こずっている。だから、勇次郎の心境は筆者には想像を絶する。

何をやっても簡単に手に入る人生には夢がない。「強さも度を超すとよ、夢を奪い去っちまうんだ」と勇次郎は言うが、夢のない人生は確かにつまらなくて生きている意味すら感じられないかもしれない。

そんな状態は、まさに致死的に退屈なのではないだろうか。彼は、地球上でただ一人、そんな境地に達した存在なのだ。

『範馬刃牙』場面カット(C)板垣恵介(秋田書店)/範馬刃牙製作委員会

刃牙が退屈しなかった理由

勇次郎にとっての乗り越えるべき壁は、自然界には存在しない。だから、彼は自ら作り出すしかなかった。それが息子の刃牙である。成長して強くなった刃牙を、彼は「最高の親孝行だ」と言い、ようやく生きる実感を得られた。

息子の刃牙にとっては迷惑な話だろう。彼にとっては、たまたま父親が地上最強の生物だっただけで、最強になりたかったわけじゃない。どこの家庭でも繰り返される、子が父を乗り越える「親子喧嘩」をしているに過ぎない。

勇次郎に対抗できる刃牙は強い。しかし、勇次郎とは対照的に、刃牙は退屈とは無縁の生活をおくっているように見える。あの若さで格闘界の頂点に立ってしまったら、普通は目標を見失って退屈してしまうはずだが、彼には父親という最大の壁があったから、退屈とは縁のない生活をおくることができたのだろう。

そう考えると、勇次郎が「自分を超えろ」と刃牙に仕向けてきたのは、刃牙が自分のように退屈でつまらない人生を送らせないようにするためだったのかもしれない。誰よりも退屈の苦しさを知っているからこそ、息子には同じ道を歩んでほしくなかったのかもしれない。

そう考えると、とんでもない人間だが、勇次郎もやっぱり「人の親」なのだ。

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《杉本穂高》
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