仮面の下の素顔は空虚…だからこそシャア・アズナブルは「何者にもなれない」私たちの胸を震わせる | アニメ!アニメ!

仮面の下の素顔は空虚…だからこそシャア・アズナブルは「何者にもなれない」私たちの胸を震わせる

『機動戦士ガンダム』シリーズのシャア・アズナブルを初めて見る人は必ず、あの仮面の下の本性はどんなものなのか気になるだろう。

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(C)創通・サンライズ
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『機動戦士ガンダム』シリーズのシャア・アズナブルを初めて見る人は必ず、あの仮面の下の本性はどんなものなのか気になるだろう。

仮面は、演劇用語でペルソナと言う。これが転じて心理学では他者に見せるための外的側面という意味で使われる。シャアは、常に仮面を着けている。1年戦争後に物理的な仮面を脱いでも、心理学的な意味での仮面を外さなかった。

彼は、いつも何かを演じていた。そして、演じるうちに本当の自分がわからなくなっていたのではないか。

(C)創通・サンライズ
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN I 青い瞳のキャスバル』(C)創通・サンライズ
元々、彼が仮面をつけているのは明白な理由がある。彼は、ジオン公国の生みの親と言えるジオン・ズム・ダイクンの遺児であり、暗殺されたと思われる父、そして母の仇を討つために、ジオンを牛耳るザビ家への復讐を密かに企んでいた。

では、その仮面の素顔、彼の本質は復讐者なのかというと、それは少し違う。彼は、ザビ家の末弟ガルマを謀り、ガンダムに殺させるが満足感は得られず、むしろ、虚しさを感じたと言う。発言が本心かどうかわかりにくいのもシャアの特徴だが、実際、その後ザビ家への復讐のための行動は鳴りを潜めているので、自分の本質は復讐者ではないと感じたのだろう。

『機動戦士ガンダム』38話で妹のセイラと再会した時にも、「復讐それだけの男と思うのか?」と妹に問いかけている。自分はもっと大きな大義に生きているのだと言いたげなのだ。実際、シャアは、その後「地球の重力に魂を引かれた連中」を解放して、全人類を宇宙に住まわせることで人の革新を達成しようと目論んで行動するようになる。

では、革命家が彼の本質なのだろうか。それもしっくりこない。なぜなら、彼自身、革命家ぶった演説をする時に、そういう自分を「道化だ」と自嘲しているからだ。

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(C)創通・サンライズ
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(C)創通・サンライズ
彼の人類革新の思想は、父ジオン・ズム・ダイクンの思想を受け継いでいるはずだ。ということは、彼は幼い頃に死に別れた父親の面影を追いかけているのだろうか。しかし、彼の人生には父親よりも母親の死の方が重かったのではないかと思えるフシがある。

『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』でシャアの過去が描かれているが、父の死の時よりも母の死を知った時の方が衝撃を受けているような描写がされる。何より、彼は母のような女性を求めている。『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の時の「ララァは私の母になってくれたかもしれない存在だ」というセリフは象徴的だ。

(C)創通・サンライズ
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN IV 運命の前夜』(C)創通・サンライズ
彼にとっては革命家という顔も、一種の仮面にすぎなかったのではないだろうか。

そもそも、彼は名前がたくさんある。シャア・アズナブル、生まれた時の名前キャスバル・ズム・ダイクン、エドワウ・マス、そしてクワトロ・バジーナ。名前も変わるが、身分や階級もコロコロ変わる。アムロと敵対した時も共闘した時もある。シャアは常に紆余曲折している。ずっとモビルスーツのパイロットだったアムロとはそこが対照的だ。

『劇場版 機動戦士Zガンダム』/「AbemaTV GUNDAM 40th Hour」ラインナップ第2弾(C)創通・サンライズ
『劇場版 機動戦士Zガンダム』(C)創通・サンライズ
シャアは、いつもなりたい自分になり損なっている。まず、復讐者になり損なっている。革命家や冷徹な独裁者をやろうとしても、心からなりきれず、「道化」でしかない。独裁者という点ではギレン・ザビの方が堂に入っている。多分、彼が演説する時、自分を道化だなんて思わず、もっと悦に浸っているんじゃなかろうか。

なにより、シャアは一流のニュータイプになり損なっている。ララァやアムロとはそこが違う。その後、ハマーンやシロッコ、カミーユなどのニュータイプを目の当たりにして、自分はなぜ中途半端なニュータイプなのかと自問自答しただろう。アムロに対して劣等感も持っていたし、周囲の人間を道具として利用してしまう様は、自分が蔑んでいたオールドタイプっぽさが漂う。

人一倍、人類を革新したがっているのに、肝心の本人はオールドタイプな部分が捨てきれていないのだ。

彼の仮面の下の素顔は、空虚な「何者にもなれない」存在なのだ。しかし、空虚だからこそ、「何者にもなれない」私たちの胸を震わせるのだ。
《杉本穂高》
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