佐藤
CGを使う率は段々高くなってきてますね。ただ、CGありきで考えているわけではなくて、それはひとつの手段でしかない。やっぱりモノの美しさ、光なり絵面の美しさを表したいという思いが大元にあるわけです。本当にそこに死神がいてくれるのであれば、いてもらって撮りたいくらいで、実際に作って撮ることもあります。その作れない部分はCGでやろうと。だからCGに対する良さはもちろん感じていますが「CGじゃない方がいいんじゃないか」ということはいつも考えているんです。今回の死神もどうやって映像化するか話し合うなかで、CGじゃないところから始まって、半分作るとか、皮膚は実際のものを作って、など検討していきました。で、「やっぱりCGでやるべきだ」となった。CGは年々技術が革新していくし、その速度がすごく速い、だから見ていて楽しいし、やりたいなと思う事の手助けになっています。
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――映画『デスノート』としては10年ぶりの新作となります。作っていくなかでこの映画に込めた思いというのはどういうものだったのでしょうか。
佐藤
10年前には死神が映像化されたことだけでも、見た人にとって驚きだったと思うんです。でもその驚きはもう二度と体験できません。じゃあ今回、別種の驚きを見せられないか考えました。それは原作にある「次のページをめくると次に何が起こるのか全く分からない」というところにあるのではないかと。原作に添ったストーリーだと見る人にとっては照らし合わせになってしまう。「今までの『デスノート』は結末まで知っているけど、今回の『デスノート』はどうなるんだろう」という楽しみ、今しか味わえない楽しみをこの映画のなかで与えられたらいいなと思っています。
それからもうひとつ。死神がいて、息をして、生身の人間と向かい合っているということ。昔、アニメと人間が同じ世界で共演する『ロジャー・ラビット』という作品があって、当時は「そんなことがあっていいのか!?」と思いましたが、今回の『デスノート』でやっているのもそれでした。人間と死神が普通に共演していて、死神がどんな感情を抱いているのか見ている方が想像する。死神に対しても人間と同じように見てもらえたらいいなあと思っています。
――実存感のようなものですね。
佐藤
あと、今回はオリジナル要素が多いので少し違いますが、原作ものを映画化する際によくあるのは、そのまま描いてもビビッと来ない時です。原作となる小説や漫画はいろんな機微も含めて絶妙なバランスで作り上げられた傑作だったりするので、それをちょっとでも変えるとぜんぜん違って見える、ということがあります。特に映画化というのはメディアが変わってしまうのでいろんなバランスが一度グチャッと崩れてしまう。そこに映画の時間の流れや絵の運び方を当てはめて、映画そのもののおもしろさを加味していくと、もう一回蘇ってくるんです。だから最後の最後は「映画としての良さを追求していくこと」で原作ファンにも、よかった、と思ってもらえるものになっていくのかなと思っています。
今回の『デスノート』は長い会議のシーンがあるのですが、一見、止まった世界、静的な絵と見えるかもしれません。でも実はそこに動きは溢れていて、連続的な絵、カメラの動き、それから役者の動き、登場人物の心理の積み重ねが連綿と流れている。大規模な市街地でのシーンと同じくらい、会議のシーンにも動き、映画的な躍動感があって、それをどう撮っていくのか、というのも僕にとっての映画のおもしろさでもあります。脚本段階では絶対に入れられない「動きの世界」を、僕は実際に撮りながら実感してワクワクする。この映画が見る人にとっても、動きに溢れているといいなと思いますね。
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