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「アドルフに告ぐ」手塚治虫の伝えたかったことを提示、シンプル故に深淵なテーマが光る

高浩美の アニメ×ステージ&ミュージカル談義 ■ 「遠くの国での出来事も他人事ではなく、我々が抱えねばならない大事な問題です」(栗山民也)

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■ 己の信じる”正義”を信じて行動する、”正義”のもとに国全体が”狂気”に向かう

舞台上にはセットらしいものはない。この物語の”狂言回し”である峠草平が登場する。登場人物が次々と舞台上にあがり、「正義のために愛した、殺した」と歌う。そして物語が始まる。
カウフマンの屋敷、アドルフ・カウフマン、この家の少年で、父はドイツの外交官だ。しかし、父はそう長くは持たない、息子にドイツへの忠誠を説き、ユダヤ人と仲良くするな、と言う。アドルフ・カウフマンには同じファースト・ネームを持つ友人がいた。名はアドルフ・カミル、近所のパン屋の息子でユダヤ人であった。アドルフ・カウフマンの母は日本人、故にいじめられることもあったが、いつもアドルフ・カミルがかばってくれた。2人は無二の親友であった……。

単行本にして5巻、かなりの長編である。エピソードをはしょり、クローズアップさせながら進行する。無邪気な2人のアドルフ。予め、物語を読んでおくと、その楽しげな会話がかえって哀しい。そして舞台上はドイツ。ドイツの学校に強制的に入れられたアドルフ・カウフマン、上官の命令でユダヤ人に銃を向けるが、その相手は友人の父であった。「頭を狙え」と言われ、震える手で撃つ。アドルフ・カウフマンの”狂気”の序章だ。
テンポよくたたみかける展開、ピアノとヴィオラの旋律が時には不穏に、時には穏やかに、物語の輪郭をはっきりとさせる。歴史上の人物、アドルフ・ヒットラー、ユダヤ人を撲滅させる、という”正義”のもとに国全体が”狂気”に向かっていく。

この作品に悪人は出てこない。皆、己の信じる”正義”を信じて行動する。アドルフ・カウフマンはやがてナチス・ドイツの考え方に染まっていき、己の正義のために愚直なまでに突き進む。アドルフ・カミルは、家族思いの優しい男だ。
しかし、彼もまた家族を殺されたりするうちに憎しみと憎悪がつのっていく。アドルフ・ヒットラーもまた、己の正義のために狂ったようにユダヤ人を殺す命令を下し、部下たちもその狂気が伝染したかのようにユダヤ人に銃を向ける。

3人のアドルフとヒットラーをめぐる秘密文書が軸ではある。原作もそうだが、舞台版は原作よりさらに”群像劇”の色合いが濃くなっているように思う。
1幕の幕切れは楽しげな音楽にのって場所を超えて男女が同じ舞台で踊る、戯れる。峠草平と由季江、ヒットラーとエヴァ、アドルフ・カミルとエリザ、どの顔も幸せに満ちているが、楽しげに踊れば踊る程、その末路を知っているだけに儚く、哀れに見える。

2幕はヒトラーの別荘のシーンから。アドルフ・カウフマンにとってヒトラーの存在は絶大だ。命令によりUボートで日本に戻るが、すっかりナチズムに染まってしまい、日本人を二等民族と言い放つ。久しぶりに愛する息子に会った母ではあるが、その考え方は許容出来るものではない。
アドルフ・カウフマン、やっとのことで秘密文書を手に入れたが、ヒトラーは亡くなり、徒労に終わる。そして終戦、時は過ぎ、1973年のパレスチナ。場面はがらりと変わる。因縁の2人のアドルフは対決する……。
《高浩美》
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