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舞台『半神』、萩尾望都の原作を超えて異次元舞台に 野田秀樹の傑作

高浩美のアニメ×ステージ&ミュージカル談義[取材・構成: 高浩美]舞台『半神』は野田秀樹作品の傑作、萩尾望都コミックを大きく飛び超えて、独自の異次元舞台に転換する。

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撮影:岡本隆史
  • 撮影:岡本隆史
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  • 野田秀樹
■ 膨大な言葉の数々、スピード感あふれるステージング
螺旋階段と螺旋に回る舞台装置がラストにリンクし、深淵なテーマを見せる

開演前、ステージ上ではカラフルなトレーニングウエアに身を包んだ俳優陣が舞台でストレッチやら身体をほぐすやら、皆“好きなこと”をしている。談笑する者やトレーニンググッズで遊んでいる者もいる。ここから既に”始まっている”とも言えるし、”始まってない”とも言える。野田秀樹の芝居はいつもどこか茶目っ気や遊び心があるのだが、この作品も例外ではない。時間前に席に着くことを勧めたい。
舞台後方の中央には螺旋階段。その手前、舞台中央には回り舞台、美術は堀尾幸男、オペラや演劇では第一人者の舞台美術家である。シンプルながらも想像力をかき立てるセット、野田秀樹作品はかなりの数を手掛けている。このストレッチ等をしていた俳優陣は時間になったところで舞台端の椅子に座る。そして1人ずつ台詞を言ったりする。それから舞台上で”ババ抜き”が始まる。2人の女性がハートのエースを引く。つまり、この2人が双子を演じる、という趣向なのである。

姉・シュラ、妹・マリア。妹は知的障害があるが、その笑顔は屈託がなく天使のように無垢である。一方の姉・シュラはいつもしかめっ面で妹の面倒を見ている。しかもシュラは妹に栄養分を取られてしまう。設定は原作通りである。しかし、舞台の『半神』は原作にはいない様々なキャラクターが登場し、賑やかに、猥雑に、しゃべり、動く。これが一見すると物語と無関係でばらばらに見えるが実は“状況”を彩ったり、さらに深いところでリンクする。ここが野田秀樹の舞台の真骨頂である。

ちやほやされるマリア、シュラは当然、面白くない。いやそれどころか身体が繋がっているので、シュラはそれ以上にマリアの美しさや汚れのなさを見せつけられる。「1人にして欲しい」と叫ぶが、その願いは叶わない。
周囲は「外の世界を知らなければ自分が不幸だとは気づかない」と考えるが、それがシュラの”不幸感”を大きく増幅させる。両親、家庭教師、親戚、決して悪人ではないが、彼らの言動はシュラの心をえぐっていく。「1/2+1/2=2/4」だとある男が言う。半分と半分を足しても1にはならない、この双子の現実、と言えよう。
そんなある日、シュラの身体に異変が起こる。「手術が必要だ」と医者は言う。手術を表す象徴的なシーン、その後の展開、「一人になりたい 」「自由になりたい」と願い、その通りになったとしても決して「1」にはならない、つまり、ある意味、何も変わらない。中央の回り舞台、この舞台が実は単純に回るのではない。”螺旋”に回るのである。後方にしつらえた螺旋階段がラストに回り舞台とリンクし、深淵なテーマを象徴的に観客に見せつける。

膨大な言葉の数々、スピード感溢れるステージンング。野田秀樹と長年タッグを組んできた謝玉栄の振付は相変わらずユニークで創造的。多彩な楽曲が野田ワールドを幾層にも見せたり、あるいは不意打ちを食らわせたりする“装置”となって舞台を大きく“見せる”。
今回オーディションで選ばれた俳優たちは、どのキャストもレベルが高い。身体での表現、台詞、演技と卓越した力量で、そのエネルギーは作品世界に力を与える。原作は短いながらもどこまでも深いが、その深さ を”これでもか”というくらいに掘り下げての舞台化は、2.5次元という枠を超えて、“異次元”に到達している。このまま他の国でも上演して欲しい。

東京芸術劇場×明洞芸術劇場 国際共同制作『半神』
10月24日~10月31日
東京芸術劇場・プレイハウス
※韓国語上演・日本語イヤホン付き。
http://www.geigeki.jp/performance/theater063/
《高浩美》
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