「ノブナガ・ザ・フール」 伝統芸能×アニメ×ハイテク で全く新しい演劇を構築 | アニメ!アニメ!

「ノブナガ・ザ・フール」 伝統芸能×アニメ×ハイテク で全く新しい演劇を構築

高浩美のアニメ×ステージ&ミュージカル談義:声と身体の表現、演者を分離、日本の伝統芸能テイスト×アニメーション文法×ハイテク技術で全く新しい演劇を構築!

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(C)河森正治・サテライト/ALC/GP
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高浩美のアニメ×ステージ&
ミュージカル談義
[取材・構成: 高浩美]

声と身体の表現、演者を分離、日本の伝統芸能テイスト×アニメーション文法×ハイテク技術で全く新しい演劇を構築!

■ アニメーションのやり方と舞台のやり方と上手く融合させ、ある種の“化学変化”を起こす、誰も試みなかった新しい表現

「もともと、舞台を観るのは好きなんです」と語る河森正治。ニューヨーク・ブロードウェイまでミュージカルを観に行くこともあるという。今回の企画はかなり面白かったに相違ない。

「アニメーションが先行して、その舞台化っていうのは自分でも過去に『マクロス』でやっていますからね」と語る。一昨年に『マクロス・ザ・ミュージカルチャー』を上演。アニメで使った楽曲をふんだんに使用したジュークボックス・ミュージカルだった。
「この『ノブナガ~』、企画スタートと同時に舞台を創っていくっていうこと自体、初めてでした。舞台はより“舞台ならでは”、そしてテレビはより“テレビならでは”、という形で創れたと思うんです。すごく刺激的だったし新鮮だった、ある種、初心に帰って楽しめたところがありましたね」
アニメやコミック、ゲームの舞台化はここ数年の間に観客動員も公演本数も飛躍的に伸びている。しかし、舞台とアニメとほぼ同時に展開する、ということはストーリーは予測不能、イメージはどうなるのか、全く新しい試みである。

「“普通の”舞台とはちょっと違う創り方をしています……というのは、自分は舞台の出身者じゃない、新しく“参入”する訳ですから。アニメーションのやり方と舞台のやり方と上手く融合させてある種の“化学変化”を起こしてゆく、そういうことが出来れば、と……。この企画ではそれが出来たんじゃないかな~とは思っています。と同時にいろんな可能性が見えたな、と」

新しい試み・演出。舞台スクリーンには画像、これが時にはキャラクターだったり、文字だったり、世界観をイメージする抽象的なものだったり。それは物語やキャラクターの輪郭をはっきりさせ、また、観客の高揚感も高めてくれる。
そこに声優と俳優が同時に舞台に上がる。俳優は身体で表現、声優は声で表現、三つ巴でひとつの世界を創造する。リスクもあるが、誰も試みない表現には可能性がある。

■ 人形浄瑠璃のごとく、後ろに黒子がいる、アニメーションや映画、2次元では出来ないが、舞台空間ではそういう表現が許される面白さがある

「アニメ―ションが舞台作品になる場合は基本的に声優さんではなく、別のキャストが演じますよね。一方、アニメのイベントで声優さんが生アフレコするところを、自分自身も何度も観てきて、これが面白かった!“裏舞台を公開する”意味に魅力を感じるところがありました。朗読劇も観に行ったことがあるんですけど、これは、言葉が持っている力によっていろんなことが表現されている、と同時に役者が演じる事の面白さがあって……。通常のアニメーションですと、アフレコスタジオで映像見ながら、声優さんがしゃべる。ところが、この舞台、『ノブナガ~』は生身の俳優さんが動いているところに直接、声をあてていく、それ自体が新しいエンターテインメントになるんじゃないかなという思いはありましたね。これなら、従来の演劇スタイルとは異なるから、“新規参入”しても勝負のしようがあるな(笑)と。演劇って古代から続いている訳ですから、普通にやったら新機軸にならない。アニメーション関係者がやっているにしても新しい試みになるかな、と。“これだ!”ってね」
しかも題材は歴史上の人物、誰もが知っている織田信長。大河ドラマや映画などで様々な解釈で描かれているが、とにかく“超大物”である。

「現代は個人があそこまでの力をなかなか持ちにくい時代だと思うんです。これだけの大きな人間ですから、複数の人間で、映像、イラストも組み合わせてより立体的に描いたら面白いんじゃないかな?と。もともと、この舞台の企画を立てた時にいろんなところで話してもなかなか理解してもらえなかったんですよ(笑)“朗読劇なんですか?”とか“ど、どういうことなんですか?”とか(笑)」
新しいことはなかなか理解してもらえない、という状況であったようだ。

「例えば、自分自身で自分のことを考えても、よくわからない、他人のことはある程度よく見える、わかるってありますよね。舞台上でひとりの人物を描く時、(演じ手を)わけることによって、思いもよらないことが起きると思うんです。深い潜在意識なのか、心の叫びなのか……。で、お客様はたぶん、最初、声優と俳優、どっち観ていいか迷うだろうと。でも、戸惑ってもいいと思うんですよ。“どっちが本人なんだろうか”とね。その揺らぎの中から何かが立ち上がってくるのではないかと。今回のプロジェクトはそういうものにかけてみようと思ったんですね。つまり、迷う事自体が主人公の心の揺れにつながるんじゃないかな?とか……そういう表現も新しい試みになるんじゃないかなと思ったんですよ」

声と身体の表現、あえて演者を分離させる。そのことによって生まれる空気感や距離感、それら全てを演劇の新しい表現として捉える。映像から発想し、舞台という手法に転換させ、化学反応を起こさせる。発想の軸をずらし、発展させる。そこに、この『ノブナガ~』の舞台の面白さが隠されている。
「例えば、アクターが激しく動いているのに、声優さんがゆったりしたセリフをしゃべるとか、こういうのはひとりで演じているとなかなか出来難い。また、心と身体が離れて、また戻ってくるといった表現とか……そういうのも難しい。声優さんを出さない形、無論、出来てしまうんですが、でも、あえて声優さんを出す、黒子、みたいに。人形浄瑠璃じゃないですけど、後ろにわざと黒子がいる、これがアニメーションや映画だと出来ないけど、現実空間、舞台空間はそういう表現が許される面白さがある」

人形浄瑠璃、例えば、女形を扱う人形遣いは自分自身の目線や仕草を役に合わせて色っぽく演じる。単に人形を操っているのではなく、人形遣いも芝居をしているのである。そこに太夫の語りがあり、三味線の音色がある。その三位一体が醸し出す不思議な空間で観客を魅了する。
「(人形浄瑠璃に)近いと思います。いろんな舞台を観ていますが、セットが豪華だったりするものもあります。ところが『ノブナガ~』は舞台にはほぼ、何もない、しかも全部(裏も)見せている。その構造、黒子まで見せているのに、不思議な力を持っている、そういうのが出来たらいいな~と思っていたんですね」

『ノブナガ・ザ・フール』
(C)河森正治・サテライト/ALC/GP
《animeanime》
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