舞台「銀河英雄伝説」 河村隆一インタビュー :原作、アニメを飛び越えて同じ線上に 2ページ目 | アニメ!アニメ!

舞台「銀河英雄伝説」 河村隆一インタビュー :原作、アニメを飛び越えて同じ線上に

[取材・構成: 高浩美] (河村隆一)ファンの人たちが愛している『銀河英雄伝説』を舞台版として、原作、アニメを飛び越えて同じ線上になければいけない。

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『銀河英雄伝説 第四章 前篇 激突前夜 』より、河村隆一(ヤン・ウェンリー)
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  • 『銀河英雄伝説 第四章 前篇 激突前夜 』より、河村隆一(ヤン・ウェンリー)
■ まわりがせいいっぱい声を張り上げてやってくれることで、
そこでヤンがぼそっと言う言葉の意味が凄く立ってくる。


『銀河英雄伝説』の面白さのひとつは登場人物の多彩さ。個性的という側面もあるが、それ以上に登場人物の多面性ではないだろうか。影があり、光がある、裏があるから表もある。演じる側は面白い反面、難しい、だからやりがいがある。

「それに『銀河英雄伝説』はやっぱり“帝国”と“同盟”っていう大きなコントラストがありますからね。ヤンの人柄ってなんと言ったらいいんでしょうか、凄く浮いているようで馴染む……不思議な温度があるんですよね。まわりがせいいっぱい声を張り上げてやってくれることで、そこでヤンがぼそっと言う言葉の意味が凄く立ってくる。音楽でもそうなんですけど、聴かせたいフレーズを少し小さな声で歌うと、その言葉が心に突き刺さるっていうことを先人が言ってたりするんですね。それは何を意味しているのかって言うと、細かな心理的なことなんでしょうか、実際に音が小さくなるからそこを聴き逃さないように聴きにいこうとする姿勢、聴覚を“能動体”にするということ……ということを言ってるのかどうかは明確ではないんですが。でも、ヤンの役回りはそういう部分ではないかと思いましたね」

クラシックでもメゾピアノの部分は繊細な表現を必要とすることが多い。台詞回しでも演技でも“フォルティッシモ”よりもはるかに“メゾピアノ”は繊細で難しいかもしれない。『銀河英雄伝説』は壮大な“交響曲”でもある。

■ 今まで僕がファンとして観ていたヤンを少し超えたヤンがいたような気がしています

同じキャラクターを演じ続けていると、どんな俳優でも理解が深まったり、解釈が広がったりする。
「ファンとして作品を観た時は“ユリアンとの小競り合いが楽しいな”とか(笑)。あと、キャゼルヌとのけなし合いのシーンとか(笑)。シリアスな査問会のシーンとか、いろんなシーンの中でヤンの本音……戦争で優位な立場を作るために勝つのであって政府の人間がなぜ利用してくれないのか、なぜ和平の交渉をするひとつの機会にしてくれないんだろうかっていう心の葛藤が凄くありますね。最初にぼそぼそとしゃべるヤン・ウェンリー、でもテンポはいい、しかも声は荒げない。そこから、今回の“激突前夜”では“舞台のヤン・ウェンリー”としての人格が少し生まれ始めたのかな?と。原作・アニメのヤン以上に舞台のヤン、一幕の終わりの査問会のシーンですが、“誰かが言わなければいけないこと”を熱弁するシーン、ここは演出のヨリコさん含め、演出陣に創っていただいたんですが……今まで僕がファンとして観ていたヤンを少し超えたヤンがいたような気がしています」
原作・アニメのヤンを超える、キャラクターが変わる訳ではないが、その人格を、心を凝縮させて観客にみせる、その真実の姿を圧縮してみせることによって深い感動を呼び起こさせる。舞台ならではの醍醐味と言えよう。

「ヤンっていう人は、僕大好きなんですけど、原作でもアニメでも“なんでみんなの前で話してくれないのかな”とか……彼の能力があれば、もっともっと人を説得してもっと早い時期にラインハルトをシェイクハンド出来たんじゃないかな、と。ファンとしての物足りなさが生まれているんですが。人が死なずにすんだかもしれないのに、何か出来たはずなのに、とか。でも、あの“激突前夜”の一幕のラストの査問会のシーン、実際は(舞台みたいに)強くは言わないんですよ。呼ばれて“行って来るよ”って行って仲間待たせておいて、もう“やめてやる”みたいなことを連呼しているヤン・ウェンリーがいたりするから(笑)。舞台のヤンはそこのところは強調せずに“今、言わなきゃいけないこと”に対してストレートに自分の感情を吐き出すことを選んでいるヤン・ウェンリーだったんですね」

《animeanime》
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