ではこのふたりの対峙は、視聴者の意表を付く形で用意されたものか、といえばそんなことはない。エピソードのレベルでいえば、「表面的真相のに明かされるもう一つの真相」をめぐるシーンなので、視聴者が驚きをもって迎え入れるのは極めて自然なことではある。とはいえ第1話からの映像を振り返れば、ふたりの対峙の予兆はさまざまなところに見てとることができる。意表をつかれた、というよりは演出の合理的計算に基づいて、極めて自然な形でこの正面顔の切り返しは用意されたのだ。
例えば第1話「羊の着ぐるみ」は、高校受験の合格を知った常悟朗が小佐内と会うシーンから始まる。このシーンは、掲示板を背にした小佐内に、掲示板裏側方向からきた小鳩が声をかけるというステージングがなされている。この時ふたりの間の掲示板がちょうど「分割線」の役割を果たして、ふたりが存在する空間を分けている。こうしたふたりの空間をわける分割線は、第1話のいたるところに登場する。それはその時点では「親しげに見えてもふたりは恋人ではなく“互恵関係”である」という距離感の表現とも見える。だが第9話・第10話を前提にすると、この距離感の表現はやがて来る対峙の予兆にしか見えない。
作中で小鳩は「狐」、小佐内は「狼」に例えられる。オープニングでは互いの作る影絵と、戯れる2匹の獣の様子で表されている、ふたりの性格の違いを現す言葉だ。“知恵働き”による同質性を前提に“互恵関係”を結んだふたりの中に潜む、この異質性こそがこの分割線の根拠であったのではないか。
そして第10話では、小鳩と対話をする小佐内が「狼」の顔を見せる。それは敵愾心を見せる攻撃的な表情ではない。それはむしろ楽しそうな愉悦の表情である。視聴者は彼女がその笑みを浮かべた瞬間、「この顔を見たことがある」と思ったことがあるはずだ。
ひとつは第6話「シャルロットだけはぼくのもの」。小佐内のマンションの一室で繰り広げられる、フランスで生まれたケーキ・シャルロットをめぐる推理。“完全犯罪”を目論んだ小鳩に対し、チェスの駒を動かすような会話でチェックメイトをかける小佐内。“知恵働き”が好きなふたりのふたりだけの戯れ。チェックメイトの瞬間、小佐内は愉悦の表情を浮かべていた。
この時、完全犯罪を目論んだ小鳩は「相手が小佐内だからこそ挑んだのである」とも認めている。この「相手が小佐内だからこそ」という動機は、そのまま第9話・第10話の対峙のシーンに直結している。ただし第6話とは逆に、第9話・第10話の時は、小鳩が攻め手に回っているのだが。
そして次は第8話「おいで、キャンディーをあげる」。小佐内からのメッセージで、誘拐された彼女が廃墟の南体育館に拘束されていることを知る小鳩。彼は小学校時代からの知り合いである堂島とともに体育館に向かう。扉の隙間から様子をのぞくと、小佐内が犯人グループに囲まれ脅されている。彼女の危機を察し、小鳩たちが乗り込もうとした瞬間、小佐内は「あのっ」と声をあげる。ここから小佐内は、グループのメンバーにどんな暴力を振るわれたかを列挙していく。
この「あのっ」という一声の後、やはり小佐内は愉悦の表情を見せるのだ。第8話の中では、小佐内が助けに小鳩に気づいたから「あのっ」以降の啖呵を切ったと説明されるが、単純に「助けが来たことの喜び」の顔であれば、あんな表情にはならない。実際、小鳩はその表情に、小佐内が何かを企んでいることを感じ取り息を呑む。
第8話の小鳩のアップの後、第1話で最初に描かれた、橋の上のイメージカットがインサートされる。車道をはさんで左側に小佐内が、右側に小鳩がいる。第1話では車のいない道路を横断して小鳩が小佐内に近づく形でふたりの関係性が表現されたが、この第8話の時は小鳩は道路をわたることはできない。間を行き交う自動車が、ふたりの間の“距離”を強調する。
これは単に「狐」が相手を「狼」と認識しただけではない。小鳩が小佐内を助けに向かう時に挿入されるイメージでは、目隠しをされ川の中州に立っていた小佐内が、この橋の上のイメージシーンでは目隠しをはずしている。つまり小鳩はある種の違和感とともに、「囚われの身にあると思われた小佐内だが、本当は囚われていない」ことを直感したのだ。この直感から導かれた答えを確かめるため、第9話から第10話にかけての長い、ふたりだけ対話が行われる。
第10話の小佐内が浮かべた、演出の企みと、アニメーターとキャストの演技が見事に一致した愉悦の表情は、同質性の皮を被って水面下で進行してきた、「狐」と「狼」の異質性の物語のクライマックスとしてそこにあるのだ。