「第1回新潟国際アニメーション映画祭」押井守監督が語るメッセージと“第2回”開催への課題とは【藤津亮太のアニメの門V 第93回】 | アニメ!アニメ!

「第1回新潟国際アニメーション映画祭」押井守監督が語るメッセージと“第2回”開催への課題とは【藤津亮太のアニメの門V 第93回】

3月17日から22日まで、第1回新潟国際アニメーション映画祭(NIAFF)が開催された。コンペを含め約50本のアニメ映画が、市内の複数会場で上映され、それに関連づいたトークイベント、シンポジウムなどが実施された。

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3月17日から22日まで、第1回新潟国際アニメーション映画祭(NIAFF)が開催された。この映画祭は長編アニメーションのコンペティションを持つところに最大の特徴があり、コンペを含め約50本のアニメ映画が、市内の複数会場で上映され、それに関連づいたトークイベント、シンポジウムなどが実施された。

NIAFFの実際については既に様々なレポートや総論がアップされている。この映画祭がどのように受け止められたかは、以下の原稿に目を通してもらうと伝わると思う。

ライター・タニグチリウイチのレポート「押井守が表現を語り、片渕須直が研究の必要性を訴える 第1回新潟国際アニメーション映画祭が見せたものと残したこと」https://jp.ign.com/niigata-iaff/66742/news/1

東京国際映画祭で作品選定ディレクターを担当していた矢田部吉彦による「新潟国際アニメーション映画祭2023日記」https://note.com/yoshiyatabe/n/n1307400400e8

アニメーション研究家・五味洋子の参加記録「新潟国際アニメーション映画祭」https://note.com/gomiyouko/n/nffb45d9387c7)。

日本大学芸術学部映画学科教授の古賀太による評「新潟国際アニメーション映画祭は、今後世界的な注目を集める予感がする」https://webronza.asahi.com/culture/articles/2023032300004.html

僕自身はこのNIAFFに選定委員のひとりとして関わり、かつ映画祭期間中の後半に行われた2つのトークの司会を担当した。選定委員は公募された作品を鑑賞し、コンペティションで委員が審査する作品を絞り込む役割だ。
この距離感でNIAFFに触れて一番感じたのは、当然のことながら、コンペティションをどう充実させていくのかが映画祭の未来を占うだろうか、ということだった。

映画祭で行われたコンペ以外の企画、レトロスペクティブなどの様々な企画も重要だ。だが、これは寄って立つ作品が既に存在しており、その作品の個性や成り立ちがしっかりと企画を支えてくれる。それに対して、コンペティションは基本的に「まだ見ぬ作品」に寄って立つもので、よい作品が集まるかどうかが、その成否を決めることになる。これは僕自身が、公募で実施されている毎日映画コンクールのアニメ部門の1次選考委員を担当している実感でもある。

映画祭においてクリエイティブとビジネスは両輪であるという。コンペティションに「よい作品が集まること」も、この2つが大きな役割を果たすはずだ。
クリエイティブ面では、押井守監督が審査員長を務めたことはとてもよかったと思う。これは単に国際的に知られ、リスペクトされている監督だから、というだけではない。
押井監督は言語化が巧みで、情報発信力に長けている。もうちょっと雑にいうなら「アジテーションがうまい」のだ。この発信力の強さが、NIAFFがどのような映画祭なのかを伝えるのに大きな役割を果たした。

言語化の巧みさは、審査の総評にもよく現れている。今回、審査委員は、審査の過程で、当初想定された各部門賞を廃し、それぞれの作品にふさわしい傾奇賞 (かぶく)賞、境界賞、奨励賞という3つの賞を設けるという大胆な方針変更を行った。押井監督はそのことを次のように説明する。
「同じように、アニメーションの制作スタイルも時代に合わせて刻々と変わってきます。例えば、これからゲームで使用されているゲームエンジンを使って映画を作り出す時代が来ると思います。これだけ多様な表現があり、多様な制作方法があり、さらに言えば、地域で異なる制作の動機が存在します。それらを、従来と同じ審査基準で相対的に評価していくことはたぶん不可能、ということで3人の審査員の意見が一致しました。ことアニメーションに関して言うなら、そこに集まった作品の中から自動的に賞が生まれる。それが正しいやり方ではないかと」(押井守審査委員長の総評 https://niigata-iaff.net/news/2023/03/27/800/

ここで押井監督は、アニメーション映画の置かれている状況を端的に説明しつつ、同時に「新潟だからこうするんだ」という、価値観を明確に発信している。
「審査」という行為は、「優れた作品を選ぶ」というよりも、「なにをもって優れていると考えたか」という価値観を発信する、というふうに考えたほうがよい。そういう意味で、押井監督の審査委員長は実に適任であった。

こうした“メッセージ”は来年以降の公募にプラスの影響を与えるだろう。またNIAFFの個性が、ある程度浸透するまでは、押井監督が審査員長を続けてもいいのではないかということも感じた。
一方で、個人的に気にしているのは、日本の長編アニメがこのコンペティションにどれぐらいコミットしてくるのか、という点だ。これは作品の質の問題ではなく、制作・興行という実務と映画祭の関係性の問題でもある。

僕は2020年から、東京国際映画祭のジャパニーズ・アニメーション部門でプログラミングアドバイザーを務めている。これは上映内容のコンセプトを決め、具体的な作品を提案する役回りだ。このジャパニーズ・アニメーション部門の柱の一つが「新作」である。映画祭の楽しみのひとつに、注目作をひと足早く見ることができることがあるのは言うまでもない。だから、できうることなら「新作」の上映では、プレミア(初公開)となる作品を並べたいと考えているのだ。

しかし、多くのアニメーション映画は公開ギリギリまで制作している。そして興行が始まってしまえば、宣伝・興行上の戦略が絡んで映画祭への参加のハードルもあがる。2021年の東京国際映画祭で『犬王』と『グッバイ、ドン・グリーズ!』がジャパンプレミアとして上映できたのは、両作が公開よりかなり前に完成していたという、非常に稀なケースだったので可能になったことだった。

NIAFFは今回、公募の枠組みとして「日本で商業上映されていないこと」という条件を設けていた。今回コンペティションにエントリーされた『ヴァンパイア・イン・ザ・ガーデン』は、もともとNetflixシリーズとして配信されているが、再編集された映画版は「未上映」ということで、枠組みに合致していることになる。同作は奨励賞に輝いた。

日本は世界の中でも長編アニメーションをたくさん制作している国だ。だからNIAFFのコンペティションに日本作品がまったくないという状況は寂しい。もちろん作品内容によっては選定委員の段階で日本作品が落選する可能性もあるが、今の日本の長編アニメの水準から考えると、複数本がエントリーされれば全滅ということは考えにくい。ただ「日本で商業上映を行っていないこと」という条件がつくと、先程説明した制作・興行上の理由から、公募のハードルが高くなる
これについてはどう考えればいいのか。

現行の枠組みを維持して、あくまでの条件に合致した長編のみ受け入れるのか。これはこれでソリッドでわかりやすい。
あるいは、この条件をなんらかの形で緩めて、門戸を広くするのか。現実的な対応だが、無条件に広げるわけにもいかないから、その条件をちゃんとルール化するのは、少々難しいことではあるだろう。

枠組みをどうするかというアプローチとは別に、映画祭に参加するモチベーションを増すという手法も考えられる。コンペティションでクリエイティブ面を顕彰されるだけでなく、例えば「NIAFFで上映したことが、宣伝に繋がる。話題作りになる」とうようなビジネス面での求心力を強化するのもひとつの要素だろう。企画発表の記者会見で押井監督は、参加のメリットとして「いち早く観客の反応が見られる」という点を挙げていたが、これも広い意味で宣伝・話題作りに繋がる視点だ。

視点を広げれば、作品単体の宣伝でなくても、配信サービスの調達担当や海外のバイヤーを含む関係者などが多く来る「社交の場」として認知されれば、関係者が「作品を名刺代わりに」参加する意味も大きくなる。さまざまな映画祭に関するルポを読むと、「業界関係者の社交の場」であることも映画祭の重要な機能であることがわかる。ここではビジネス面に寄って書いたが、「社交の場」が大事なのは、クリエイター同士にとっても大事なのはいわずもがなだ。

いずれにせよ第2回がどのような形で行われるかがNIAFFの未来を具体的に決めていくことになるだろう。東京アニメーションアワードフェスティバル(TAAF)があって、新千歳空港国際アニメーション映画祭があり、ひろしまアニメーションシーズンもスタートした。NIAFFがここに加わって、それぞれの個性が一層際立つようになってほしいと思う。

《藤津亮太》
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