劇場版「SHIROBAKO」迷ったら“初期衝動”を思い出せ! 仕事を続けていくために必要なこと【藤津亮太のアニメの門V 第56回】 | アニメ!アニメ!

劇場版「SHIROBAKO」迷ったら“初期衝動”を思い出せ! 仕事を続けていくために必要なこと【藤津亮太のアニメの門V 第56回】

アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第56回目は、アニメーション業界で働く人々の姿を描いた劇場版『SHIROBAKO』と、楽器を触ったこともない不良学生たちが思いつきでバンドを組むさまを描いた『音楽』を解説。一見、趣の異なる両作の“共通点”とは――。

連載 藤津亮太のアニメの門V
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劇場版『SHIROBAKO』に印象的なシーンがある。

TVシリーズ後、ある事件を機会に仕事がうまく回らなくなってしまった武蔵野アニメーション。そこに訳ありの劇場映画『空中強襲揚陸艦SIVA』の企画が持ち込まれる。

前の制作会社が何も進めていなかった企画のいわば“敗戦処理”。スケジュールもほとんどない。
とはいえ下請けではない元請けの仕事。社長の渡辺からこの仕事をやるかどうか尋ねられた、宮森あおいは引き受ける決断をする。

そのくだりで本作は、突然ミュージカルになるのだ。
宮森やこれまで『SHIROBAKO』に登場した劇中アニメのキャラクターたちが勢揃いし、『アニメーションをつくりましょう』を歌いながら踊る。
宮森と一緒に踊るキャラクターの中には、宮森がアニメ業界を志すきっかけになった『山ハリネズミアンデスチャッキー』のアンデスチャッキーもいて、ひときわ目立って描かれている。

このミュージカルシーンを見て連想したのが――少し意外かもしれないが――『音楽』の1シーンだった。

『音楽』は、研二たち不良学生たちが、思いつきでバンドを組むことから始まる。
楽器の演奏方法を知らないままに2つのベースとドラムを鳴らす研二たち。その鳴り響いた轟音の気持ちよいこと。

ここが『音楽』という作品のスタート地点だ。
シンプルなキャラクターをロトスコープを使って動かすという、ウソとホントの入り混じり具合が、この音を鳴らした瞬間の言葉にならない快感を見事に描き出している(もちろんそこで鳴った音そのものが、ただ鳴らしたように聞こえつつ、それがちゃんと観客にとって説得力のある“いい音”なっているという音楽演出の力も大きい)。

どうして劇場版『SHIROBAKO』から『音楽』へと連想が進んだのかといえば、どちらのシーンも主人公が受け取る“啓示”としか言えないような体験が、音楽と紐付けられて描かれていたからだ。

もちろん『音楽』の音は実際に鳴り響いていて、劇場版『SHIROBAKO』では宮森のイメージの中の音という違いはある。
でも、どちらも自分の中から湧き上がって、それまでの現実を断ち切り、世界の見え方を変えてしまう。そして音は心の中に初期衝動を刻みつける(宮森の場合は、初期衝動を蘇らせる)ことになる。

劇場版『SHIROBAKO』にはもうひとつ、印象的な歌のシーンがある。
それは宮森たちが、小学生を対象にしたアニメ教室を手伝うシーン。最初はやる気のなかった子供たちだが、最終的に、自分たちの描いた絵が人気キャラクターの“なめろう”だとわかると、動く絵に合わせて主題歌『なめろうマーチ』を声をあげて歌う。
そこからイメージ的に宮森たちや小学生たちが歌に合わせて、なめろうたちと行進するシーンも展開する。

「劇場映画を完成させなくてはいけない」という表のストーリーからすると余分にも見える挿話だが、先述の「初期衝動」を確認し直す、という点から考えると、外せないエピソードであることが見えてくる。

宮森たちは、自分たちが作ったアニメで喜ぶ小学生たちを見て、改めて自分たちの「初期衝動」を確認する。
さらにいうと宮森たちに手伝いを頼んだ、大ベテランのアニメーター・杉江もまた小学生の様子に「初期衝動」を確認していることが語られる。

TVシリーズ『SHIROBAKO』は、新人の宮森が「一人前の職業人を目指す」という縦軸に沿い、「向かい合うべき仕事(アニメ業界の実際)」「会社という場所(組織の中で働くということ)」「人生の目的(仕事の意味)」という3つの切り口で仕事というものを描いていた。

これに対し劇場版『SHIROBAKO』は、「仕事を続けていくために必要なこと」が主題になっている。
劇場版にもアニメ業界の内幕を垣間見るおもしろさなどは盛り込まれているが、TVシリーズよりははるかに後景に下がって、主題に沿って宮森の気持ちを追いかける展開になっている。

そして大ベテランの杉江がどうであるように、本作は「初期衝動を思い出す大切さ」「迷ったらそこに立ち返れ」という形で、長く仕事を続けていくために必要なことが示される。
そしてそれは仕事が続く限り、人生が続く限り、何度でも繰り返される必要のあることだ。

これはちょっと優等生すぎるぐらいの正論ではある。
とはいえ「清濁併せ呑む」が「濁」しか飲まない人間の言い訳になりがちがことを考える時、初期衝動という「清」をいかに忘れないかということは、普遍性を持った問いかけになっている。

一方で、ドカンと一発かき鳴らした“音”で初期衝動を刻みつけられた『音楽』の研二たちはどうなったか。
彼らはバンド「古武術」を名乗り、音楽部の「古美術」のメンバーとも親しくなって、地元のフェスに出演することが決まる。このフェスのライブシーンは、ロトスコープの特性を生かして、実に演奏シーンの雰囲気を醸し出している。
普段は淡々とした表情の登場人物たちだが、ここで突如、音楽と一体となった官能性を帯びることで、観客の心をぐっと奪っていく。

劇場版『SHIROBAKO』の初期衝動が、原点へと立ち返り、そこからまた歩みだす円運動の起点だった。
それは社会の中で大人として「仕事」を続けていくためのあり方でもある。

それに対し『音楽』で描かれた初期衝動は、ひたすら古武術のメンバーを、そこに関わった人々を遠くへ連れて行くものだ。

打ち上げロケットのような直線運動の動力源。そんなふうに自由に突き抜けていられるのは、それはこれが仕事ではなく最高の「遊び」だからだ。
「暇つぶし」ではなく、遊んで遊んで、とても遠くまで到達すること。いつやめてもいいし、いつ始めてもいい、『音楽』における初期衝動はそんな「本気の遊び」の第一歩として描かれているのだ。

見た目にはかなり違って見える劇場版『SHIROIBAKO』と『音楽』だが、初期衝動というキーワードで照らし合わせると、意外にも重なっているところと、違うところがどう異なるのか、という部分が際立って見えてくる。
ちなみにここに初期衝動というキーワードをとっかかりにして、『映像研には手を出すな!』や『キャロル&チューズデイ』を並べておいて、考えてみるのも面白いと思う。

[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。
《藤津亮太》
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