【インタビュー】「イデオン」から「ダンバイン」まで、湖川友謙が語る“作画の心得”とは? 3ページ目 | アニメ!アニメ!

【インタビュー】「イデオン」から「ダンバイン」まで、湖川友謙が語る“作画の心得”とは?

『伝説巨神イデオン』、『戦闘メカ ザブングル』、『聖戦士ダンバイン』など80年代サンライズを代表する名作ロボットアニメを富野由悠季監督とともに作り上げた名アニメーター・湖川友謙。

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――具体的なキャラクターの話もうかがいたいのですが、『イデオン』のユウキ・コスモをはじめ印象的な色使いをされています。

湖川
色監督ですから。『イデオン』がはじまる前に「お前色監督やれ」ってお富さんに言われたんです。だからお富さんが「ここ、こんな色にしたい」って言うのを「ダメ!」って返す。すると「はい」って。

――ははは(笑)。

湖川
彼が命名したんだからしょうがない。他の人にも「唇にピンク系はやめてください」「まゆ毛を色トレスはやめてください」といろいろ言われましたけど、「いや、これがやりたい」って色監督として通す。色監督は『イデオン』も『ザブングル』も『ダンバイン』も、『エルガイム』もやってますから、色としての世界観はちゃんと出てるはずです。

――『イデオン』で一番最初にデザインされたのはどのキャラクターだったのでしょうか。

湖川
ドバが一番最初ですね。喫茶店で描いて「あ、この世界だ」って。いろんな取材で言ってますが、私は主人公をデザインするのが嫌いなんです(笑)。魅力を感じない。ちょっとクセがあって、悪いのか良いのか、協力するのかしないのかというキャラはいくらでも出てくる。主人公はね、君(インタビュアー)でもいいし、君(アニメ!アニメ!編集)でもいい。

――(笑)。キッチンなどはいかがですか?

湖川
キッチンは目と髪を青くしようとは思ってましたけど……。あのね、私は全部そうなんですけど、キャラクターデザインをするときは最初に簡単な話のシノプシスと適当に描かれた系統図くらいしかもらってないんです。それをずーっと考えて、全体のキャラクターデザインの世界観がどれなのかを一生懸命探すわけ。一瞬の時もあるし何日もかかることもあるんですけど、それができないとキャラは作れない。俺はそういう作り方で、全体のイメージができると、あとは右手が勝手にそれぞれのキャラクターを描いていくんですよ。本当にそんな感覚なんです。そもそも俺って感覚人間なの。左脳は補助するくらいで構図やレイアウト、キャラクターデザインもほとんど右脳。世界観さえできてれば描き分けはすぐにできるんです。『ザブングル』のキャラクターだって『イデオン』の制作途中に、リアルはいいや、ギャグがやりたいって思って出したもので、最初に監督に就いていた吉川(惣司)さん(※)はビックリしてましたよね。『イデオン』と同じようなキャラが来ると思ってたら丸顔が来たわけですから(笑)。

(※編集註:『ザブングル』企画当初は吉川惣司氏が監督で進められていた)

――『イデオン』をイメージしてジロン・アモスが来たら確かに驚きますね(笑)。話は変わりますが、当時30代で描かれていた時と今、描き下ろしなどを手がけられる際でキャラクターの描き方といったものに変化などはありますか?

湖川
ないですね。これを作ってた時代に(気持ちが)戻って描いてるので、今の俺の画じゃないんです。気分は変えずに描いてます。画の勉強をしてないと昔描いた作品の画と今「描いてください」って言われて描く画が違ってしまうでしょ。俺はあれがイヤなの。俺は守りたいんですよ。これは難しいところなんですけど、昔の作品でファンが喜んでくれるのは当時の画なんです。今の俺の画じゃない。今の画風でこれ(※)を描いたらぜんぜん違うものが出来上がってしまう。

(※編集註:チャム・ファウとコロス。本画集には描き下ろしイラストが5枚収録されるが、そのうちの4枚。ちょうど取材の日、湖川氏が納品のために持ち込んでいた。)

――それはそれで見てみたいですね。

湖川
ファンにも言われるし、描けないことはないけど、でもそれをどうするの? って思っちゃうから。チャム・ファウは当時、目をキラキラにしてファンを全員取り込んでやろうって考えたある意味実験のキャラクターなんです。最初は全然違うキャラを作ろうと思ってたけど、お富さんに反対されてちょっと描いてみたのが採用された。自分が作ったからかわいいですよ。でも俺の感情で描いてたら妖精はヨーロッパ風にしちゃう。『ロード・オブ・ザ・リング』みたいにね。でも実際はこうなった、ということです。

――いろいろな可能性の中から選び抜かれて生まれたキャラクターたちなんだということが実によくわかりますね。湖川さんのお仕事はキャラクターに留まらない作品全体のイメージ作りもコントロールされているという点が特徴的だと思うのですが、気をつけられている点などを教えていただけますか?

湖川
ビジュアル作りですね。絵というか画面全体、スクリーンならスクリーン全体を考える。これはレイアウトともキャラクターデザインともぜんぜん違うんです。実際に映ったときにわかるもので、紙の上ではわからない。わからないんです。私の弟子は「湖川さんの絵は(画面に)映るとぜんぜん違う絵になる」って言うんです。これはいろんな人に学ばせたい。この違いは感覚論だから、前に出した本(※『アニメーション作画技法―デッサン・空間パースの基本』)には載ってないし、自分で見つけてもらわないとダメなんです。

――アニメーターがラッシュや本放送を見て自分の仕上がりを確認していって学べる、というものでしょうか。

湖川
いや、アニメの中だけで結論を出してほしくないんです。描き手は机から一歩離れたらそれ以降は全て勉強だと思ってほしい。自分がそうだったからね。そういうところで見つかるものっていうのが多々あるんです。

――それこそ感覚的に掴んでいくものということでしょうか。改めて画集についてうかがいたいのですが、これまでのイラストをこうして並べた時の率直な感想はいかがでしたか?

湖川
へったクソだよね、今見ると(笑)。

――いやいや(笑)。

湖川
本当は言い訳をしない男なんだけど、この画集に関してひとつだけ。周りが滅茶苦茶な時期にイラストを描いてるの。

――周りが滅茶苦茶な時期、ですか。

湖川
アニメの仕事がとにかくすごかった。仕事中に描きながらお腹が空いて左手に何か持って食べるでしょ、その最中でそのまま寝てましたからね。で、「湖川さん!」って弟子に起こされる。そんな状況です。だからイラストに割ける時間が少なくて悔しさもあるんです。「もっと描けるのに!」って。当時はLINKS-1(※)の開発にも携わってたので本当に忙しかった。打ち合わせの後とかのお酒は飲みに行きましたけど、その日最初の食事がつまみとお酒だったなんてことが多かったんです(笑)。

(※編集註=1983年公開の映画『ゴルゴ13』で使用された純国産のコンピューターシステム)
《細川洋平》
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