客観的尺度からみるアニメブームのはじまりと終わり 藤津亮太のアニメの門V 第19回 | アニメ!アニメ!

客観的尺度からみるアニメブームのはじまりと終わり 藤津亮太のアニメの門V 第19回

アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第19回目はアニメブームについて。毎月第1金曜日に更新中。

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昨年末にいくつか企画書を見せられる機会があったのだが、どちらも『君の名は。』と『この世界の片隅に』のヒットを挙げて、「今、アニメは第四次ブームで……」というような趣旨の文言があった。そこで改めて「アニメブームとは何か」について考え込んでしまった。
極論してしまえば、週に1~2本でも心待ちにしているアニメがあれば、その人にとって、そのシーズンは“アニメブーム”といえる。客観的な尺度なしに“アニメブーム”を語り合うとそこが齟齬のもとになる。

では、その客観的尺度とはなんなのか。
2005年に出版された『アニメーション学入門』(平凡新書、津堅信之)は「(アニメブームという言葉は)俗語であり」「今後も議論が必要」と前置きした上で、「新たな様式や作風をもつ作品が現れることで、アニメ界の潮流に大きな影響をもたらし、作品が量産されると同時に観客層を著しく広げた現象」という定義を記している。
その上で同書は

1)第1次ブーム 1960年代
2)第2次ブーム 1970年代後半から1980年代後半
3)第3次ブーム 1990年代後半から現在(藤津注:2005年)

とブームを記述している。
筆者としては、この3つのブームは、総論賛成ではあるもの、各論ではもうちょっと突っ込んで考えたいところがあると考えている。

まず、第1次ブームについては、1963年に『鉄腕アトム』が登場し、それを起点として、TVアニメが増え始め視聴者も獲得していった時期というのは異論がない。ただ、同書では「特に宇宙SFものが流行した」とあるが、この時期の最大のブームは、SFからお茶の間ギャグへと大展開を行った1965年の『おばけのQ太郎』であることを忘れてはいけないように思う。
また大事なのは「ブームの終わり」の位置である。ブームというのは「一過性」だからこそブームなのだ。終わらなければ、それはブームではなく「何かの構造転換が起きた」と考えるべきだ。
放送本数(30分枠と帯番組をプラスした数で、ミニ番組、海外アニメを含まない)に注目すると、1967年秋が15本だが1年後の1968年秋には10本に減っている。放送本数は1970年春には15本に回復するので、1968年~1969年が谷間の時期となる。1968年は『巨人の星』のようなビッグタイトルが登場しているにもかかわらず、トータルとしては放送本数が減っていることに注意したい。このギャップが、「ブーム」の実体を把握しづらくしているのだ。
深夜アニメが登場するまで、アニメは「アニメが注目を集めている=視聴率がとれる」と考えられればその放送枠が増える、という傾向があった。だから視聴率と連動した放送本数の増減は、ブームを観測するためのひとつの基準といえる。そこからすると第1次ブームは1963年から始まって1968年でひとつの山を描いていると考えられる。
なお、この時期はまだ「アニメ」という言葉が定着する前なので第1次“アニメ”ブームと呼びづらいということも記しておく。この原稿では、津堅の本にならって第1次アニメブームという表現で統一するが、性格的には第0次と呼ぶほうがふさわしいとは思う。

この基準で見ると、次に大きな山を形成するのが1977年から1984年まで。放送本数は1976年の間に急激に増え1977年秋には30本を超える。1983年にはさらに43本にまで増えるが1985年春には28本にまで減る。この時期に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』、『機動戦士ガンダム』、『超時空要塞マクロス』、『うる星やつら』といったヒット作が並んでいることからも、ここを第2次アニメブームと呼ぶのは異論のないところだろう。

問題はここからだ。
この後、アニメファンの男女ともに支持され、かつ社会的に注目された大ヒット作というと『美少女戦士セーラームーン』('92)と『新世紀エヴァンゲリオン』('95)がある。
ところが『美少女戦士セーラームーン』のヒットの直後はアニメの放送本数は伸びていない。むしろ93年は一旦落ち込んでいるのである。これはバブル崩壊という経済状況の反映であると思われる。また『セーラームーン』登場以前の1991年、1992年のほうが放送本数は多いのである。このあたりから「ブームの印象」と放送本数の関係がブレてくるのだ。
『新世紀エヴァンゲリオン』の放送後も、放送本数が急激に上昇したわけではない。確かに1998年以降放送本数は増えるが、これは深夜アニメが本格的にスタートしたからだ。深夜アニメは、映像をDVDで販売することでリクープするビジネスモデルだから、人気とは別にビジネス上の必然で放送本数は増加する傾向にある。

第1次、第2次ブームを追いかけられたような単純な基準では第3次ブームを特定できないのだ。さらにやっかいなのはブームを特定する基準がはっきり見えないことで、第3次ブームがどこで終わったかもはっきりしないところだ。
放送本数的には2006年をピークに2010年まで低下し、底を打ってから増加に転じているが、この間に“ブームの終わり”のような実感を感じた人がどれだけいただろうか。

もし(冒頭で紹介した通り)2016年が第4次ブームだというなら、まず第3次ブームの始まりと終わりを一定の基準から定める必要がある。その上で、第4次ブームの始まりをいつと考えなくてはいけない。
ちなみに監修的な立場で携わった某番組では、もし2016年のこの状況を第4次ブームと呼ぶのなら、起点は2016年ではなく2012年にしたらどうかという便宜的な提案は行った。

それまでは日本の劇場アニメの売上ははおよそ200億円強程度の規模で、宮崎駿監督作品がある時だけ大幅に売上が増えるという状況だった。それが2012年は、宮崎監督作品がないにもかかわらず劇場映画の売上が400億円を超えたのだ。そしてそれ以降、コンスタントに400億円を超える売上を記録するようになっているのだ。ちなみに2012年は『おおかみこどもの雨と雪』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』『ONE PIECE FILM Z』などがヒットを記録した年だ。なので劇場アニメのヒットが話題を呼んだ2016年に至る状況は、2012年を起点に考えるとわかりやすいはずだ。
とはいえこれでも「いつ第3次ブームは終わったのか」(もしかすると終わっていないのか?)問題は解決がついていない。
このあたりをクリアにすることができれば、もっとアニメの通史をわかりやすく語ることができると思うのだが。

※放送本数はアニメージュ1998年1月号の「データ原口のアニメのはらわた」を参考にしました。

[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ
ゼロ年代アニメ時評』がある。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。  
《藤津亮太》
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