マンガはなぜ赦されたのか -フランスにおける日本のマンガ- 第1回「はじめにアニメありき」 2ページ目 | アニメ!アニメ!

マンガはなぜ赦されたのか -フランスにおける日本のマンガ- 第1回「はじめにアニメありき」

豊永真美氏[昭和女子大現代ビジネス研究所研究員]によるフランスの日本マンガの受容などに関する論文です。短期集中連載、全8日予定。

連載
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本書は以下の構成をとる。
 第1章はフランスにマンガがもたらされた背景
 第2章はフランスのマンガ市場の現状
 第3章はフランスにマンガを持ち込んだジャック・グレナの軌跡
 第4章はカトリック出版社であるメディア・パルティシパシオンがマンガ出版に参入した経緯
 第5章は移民2世のアメッド・アニュがKi-oonというマンガ出版社を起業し自立していく物語
 第6章はフランスの巨大出版社アシェットがマンガ市場に参入した話とフランスの出版界への影響
 第7章は日本資本のVIZがマンガ出版に乗り出したことにより起こった波紋
 第8章はフランスにとってのマンガ、日本のマンガにとってのフランス市場について考察する。

本文が、フランスの出版界とフランス社会の理解の一助となれば幸いである。

[第1章 はじめにアニメありき
フランスにおける日本マンガの出版の始まり]

■ Recre A2とクラブ・ドロテ

フランスで最初に人気が出た日本のコンテンツはいうまでもなく、テレビアニメである。1978年の夏休みに、フランスの公共チャンネル(1978年当時はフランスには公共放送しかなかった)「RecreA2」(レクレア―・ドゥと読む)という夏休みの特別番組が組まれた。パーソナリティはフランスの子供番組の司会の草分けのドロテという女性歌手が務めていた。この番組の第1回のオープニングでドロテは「夏休みの間おつきあいください」といっており、その後番組が続くということは全く述べていない。

その夏休み期間に放送されたのが「ゴルドラック(日本名グレンダイザー)」である。通常、フランスは夏休み期間中は、テレビの視聴率が下がる。多くの子供たちはバカンスに出かけ、テレビの前にはいない。テレビの前にいる子供というのは、バカンスにいけない低所得者の子供が中心だ。

ところが、1978年の夏は少し様相が違っていた。「ゴルドラック」をフランスに輸入した1人のジャック・カネストリエがのちにフランスのラジオ番組で語ったところによると、1978年の夏は非常に天候が悪く、バカンスに出かけた子供たちもバカンス先でテレビをみるしかすることがなかったらしい。

この天候うんぬんの話は真偽が確かめられないのだが、ゴルドラックが大変な人気となったことは事実だ。このため、RecreA2もゴルドラックも夏休み終了後も継続し、男の子の視聴率100%といわれるお化け番組となる。RecreA2では「キャンディ・キャンディ」や「宇宙海賊キャプテンハーロック」など日本のアニメが続々放送され大人気を博した。司会のドロテも子供番組のスターとなった。
ゴルドラックがどれほど人気だったかというと、テレビアニメを再編した劇場用映画が作られ、フランスで吹き替えられた主題歌は100万枚を超える売り上げを記録した(フランスの人口は日本の半分である!)。ゴルドラックのイラストはカマンベールチーズにも使われたくらいである。

その一方、ゴルドラックを筆頭に、日本のアニメがあまりに人気となったため、批判も寄せられるようになる。ゴルドラックの放送開始からわずか2年後には心理学者のリリアヌ・ルルサ(Liliane Lurcat)が「5歳で、一人で、ゴルドラックと一緒 小さい子供とテレビ(A cinq ans, seul avec Goldorak - Le jeune enfant et la television)」という著作をあらわし、子供を一人きりでテレビを見せる危険性を説いた。RecreA2は最盛期は平日の学校終了後の夕方1時間、学校が休みの水曜日には午後の2時間、土曜日は午前中2時間、日曜日は午前中1時間と毎日放送されていた。当時のフランスでは類をみないほどの長時間の放送で、子供が中毒になる危険性が指摘されていた。また、放送された時間は、保護者が仕事や家事をしている時間帯で、親子で一緒にみるものではない。テレビは子供の子守のために存在しており、教育者や心理学者には、子供がテレビを見ることにより恐怖を感じたり、テレビ番組の依存症になることを早くから警告していた。

しかし、公共放送のRecreA2はまだ牧歌的な時代だった。1987年に民放のTF1が設立されたとき、TF1は公共放送の反対を押し切って、ドロテを引き抜き、ドロテをメイン・パーソナリティに据えたクラブ・ドロテの放送を始める。クラブ・ドロテは1RecreA2よりさらに放送時間が長かった。最盛期には毎日放送があり、合計で週30時間程度放送されていた。特に学校が休みの水曜日は昼間8時間、生放送で放送された。ちなみに、RecreA 2はドロテを引き抜かれたあと1988年に終了する。

クラブ・ドロテでは日本のアニメもさらに多く放送された。「ドラゴン・ボール」シリーズや「聖闘士星矢」、「めぞん一刻」などだ。イタリアのベルルスコーニがフランスで持っていた放送局「ラ・サンク」が経営不振により1992年に放送停止に追い込まれたあとは、「ラ・サンク」で放送されていた「キャプテン翼」も放送するようになった。こうして、「クラブ・ドロテ」は最盛期には4-14歳の65%が視聴するというお化け番組となった。

[/アニメ!アニメ!ビズ/animeanime.biz より転載記事]
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