アメリカでの『鉄腕アトム』マンガ-「アメリカにおける手塚治虫作品の受容の変遷」‐中編‐ | アニメ!アニメ!

アメリカでの『鉄腕アトム』マンガ-「アメリカにおける手塚治虫作品の受容の変遷」‐中編‐

レビュー

文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情 
「アメリカにおける手塚治虫作品の受容の変遷-もうひとつの「手塚神話」の形成」‐中編‐

[椎名 ゆかり]
アメリカの大学院でポピュラー・カルチャーを学び帰国後、マンガを専門とする出版エージェント業やアニメ、マンガ関連の翻訳者他、海外マンガを紹介する様々な仕事を行ってきた。
翻訳マンガ:『ファン・ホーム』『メガトーキョー』『ブラック・ホール』『デイトリッパー』他
ブログ:「英語で!アニメ・マンガ」 http://d.hatena.ne.jp/ceena/

[/アニメ!アニメ!ビズ/animeanime.biz より転載記事]

<アメリカでの『鉄腕アトム』マンガ>

アメリカで出版された最初の手塚作品は1995年の『アドルフに告ぐ』である。その後、『ブラック・ジャック』『火の鳥』『鉄腕アトム』と続くが、『鉄腕アトム』が出版されたのは、2002年。実に最初のテレビ放送から39年後のことだった。

そもそも、日本のマンガのアメリカ進出はTVアニメに比べるとかなり遅く、出版が本格的に始まったのは80年代である。海外での日本マンガの受容に少しでも関心のある人ならご存じだと思うが、現在ではアニメ放送から原作マンガの出版まで、長く時間があくことはあまり無い。

アメリカでも日本と同様に、アニメがテレビ等で放映されると、その原作である(もしくはコミカライズである)マンガの需要が上昇する。近年では出版社もアニメの放送に敏感に対応してマンガを出版する場合が多い。
『NARUTO』がアメリカで出版された2000年代中頃は、「カトゥーン・ネットワーク」でのアニメ放送開始後にマンガの売上が急増したため、その現象を称して「カトゥーン・ネットワーク効果」なる言葉が使われるほど、アニメ放映とマンガの売上の関係は現地でも強く意識されている。それは現在、現地でのケーブルTV放送だけでなくネット配信に対しても同様である。

TVアニメ『アストロ・ボーイ』が放映された1960年代は、50年代後半からのハンナ・バーバラ・プロダクション台頭などもあり、ちょうどTVのアニメーション番組の人気作品が登場し始め、番組と連動したコミカライズが出版社によって行われ始めていた頃である。もちろん、それ以前からスーパーマンのように、コミックの原作が先にあって、コミックを元にアニメーションが作られる場合もあったが、この頃からアニメーションやSF等のTV番組のコミカライズも行われるようになっていた。

『アストロ・ボーイ』の場合は既に手塚によるマンガが存在していたにもかかわらず、アニメーション番組を元にしたコミカライズという点で例外ではなかった。1965年、アメリカ人のアーティストによる『アストロ・ボーイ』が、アメリカのコミック・ブックの形態(30数ページの小冊子状の出版物)で出版されたのだ。版元はオリジナル作品だけでなく、ライセンスもの、例えばディズニー、そしてハンナ・バーバラのコミカライズも出していたゴールド・キイ・コミックス(Gold Key Comics)社だった。

このゴールド・キイ版『アストロ・ボーイ』に手塚の名前は掲載されていない。手塚側から見ると「偽物」とも言えるゴールド・キイ版『アストロ・ボーイ』だが、当時のアメリカはまだベルヌ条約に加盟していなかった上に、手塚とNBC間の契約書が公開されているわけではないので、出版の詳細な経緯はわからず、法的な意味で違法なものかどうかはわからない。

前述した手塚の自伝では、ゴールド・キイ版『アストロ・ボーイ』について以下のように触れている。

「…そのころには、『アストロ・ボーイ』の名が、子供たちの間でそうとう知れ渡っていたのがうれしかった。マーチャンダイジングのほうでは、ゲーム盤や、LPレコードなども発売され、コミック・ブックなども出た。もっともそれはアメリカの画家が描いた、ひどい絵のものだったが。ぼくの原作のアトムは、なにしろそのまま使えないのである。ゲタをはいた人物や、タタミの家なども出てくるので。(『ぼくはマンガ家』257p.)

ゴールド・キイ社の『アストロ・ボーイ』のコミック・ブックは、1号しか出版されなかった。2話からなる同コミック・ブックのうち2話目は、アメリカ人アーティストによるオリジナルのストーリーだが、1話目は『鉄腕アトム』TVシリーズ第18話『ガデム』のコミカライズである。

その後1987年になると、またもやアメリカ人のアーティストによる『アストロ・ボーイ』が『ジ・オリジナル・アストロ・ボーイ(The Original Astro Boy)』という題名で出版される。版元は、当時のアメリカのコミックスの白黒ブームに乗って、白黒の作品を多く出していた新興出版社ナウ・コミックス(Now Comics)社。(ただし、ナウ・コミックス版『アストロ・ボーイ』はカラー作品。)これは(旧)虫プロダクションの倒産した後、アメリカにおける『アストロ・ボーイ』の権利を巡って起きた混乱の最中に出版されたものであり、手塚自身の承諾を得たものではなかった。(アメリカにおける『アストロ・ボーイ』の権利に関する法的問題は、90年代後半になって解決した(1)。)

ナウ・コミックス版『アストロ・ボーイ』のストーリーは、原作の設定を使ったほぼオリジナルである。ゴールド・キイ版より長く続き20号まで出版されたが、ナウ・コミックス版でも手塚の名前は表紙や裏表紙に掲載されていず、ページの中で小さくとりあげられているに過ぎない。

しかし、ナウ・コミックス版の出た1987年には、『アストロ・ボーイ』が日本で生まれたことは既に意識されていた。アメリカのコミックス情報誌「コミックス・ウィーク(Comics Week)」の1987年7月号は「アストロ・ボーイ」の絵を表紙で大きく取り上げ、同年から本格的に出版が始まった日本マンガについて、「日本侵略 (The Japanese Invasion is Now)」と題する特集を組んでいる。そして特集の記事で『アストロ・ボーイ』コミックス出版のニュースを驚きをもって伝え、その理由について、熱心な『アストロ・ボーイ』ファンはいるものの、既にそのファンも皆30歳を超え、徐々にその人気も下降しているからと述べた(2)。

同記事では、アストロ・ボーイが日本ではアメリカでのミッキー・マウスと同じくらい人気があるとして紹介し、そのクリエイターである手塚は日本人から“日本のディズニー”と呼ばれて親しまれていると述べている。
手塚を“日本のディズニー”と呼ぶのが適切かどうかは置いておくとして、“日本のディズニー”という言葉の理解には注意が必要だ。アメリカの雑誌で“日本のディズニー”という言葉が使われる時、その言葉の意味は日本での意味と異なるニュアンスを持つ可能性が高い。しかも、ディズニーは、若いころ一時期マンガ家だったことはあっても、そのキャリアは主にアニメーターから始まり、後にはディズニーの名を冠する会社を経営するビジネスマンであった。しかも、ミッキー・マウスに関して、ディズニーはその作品をプロデュースした立場であり、著作権もディズニー社に属する。この記事の中では手塚の原作マンガについては触れていない。もしかしたら、手塚をマンガ家として認識していなかった可能性もある。

手塚の手による原作の『鉄腕アトム』マンガが存在するのに、現地で独自の『アストロ・ボーイ』が作られた本当の理由が実際にはどのようなものであったかは、推測するしかない。契約上や経済的な事情があったのか、それとも「ぼくの原作のアトムは、なにしろそのまま使えないのである。ゲタをはいた人物や、タタミの家なども出てくるので」と手塚が言うように、マンガは後から編集を加えることが難しく、ローカライズするのがより困難だったからかもしれない。(それとも、可能性は低いが、原作が存在することを知らなかったからかもしれない。)

1983年に出版されたアメリカにおける日本マンガについての最初の研究書『マンガ!マンガ!日本マンガの世界(Manga!Manga! The World of Japanese Comics)』(Kodansha International, 1983)で、筆者であるショット氏は、日本のマンガが英語圏で受け入れられるのは至難の業だと述べている。その理由は、右開きと左開きの違いや日本マンガに独特な記号(鼻血を出すことが性的に興奮していることを示す等)等、形式や表現方法に加え、内容が日本特有の文化や論理で成り立っているからだと言う(3)。

2015年現在、2000年代中頃の勢いは無いものの、日本のマンガはアメリカの小さなコミックス市場の中の、更にニッチな「MANGA」というジャンルとして、一定の認知を得ている。ブームと呼べる状態が去った後も、ブーム以前よりは大きなニッチ市場となって生き残ったと言えるかもしれない。依然として左開きに変更されて出版される場合もあるが、日本と同じ右開きでも数多く出版されている。

このような現在の状況を考えると、ショット氏の言う日本マンガの非国際性には説得力が無いように思われるが、日本マンガの商業出版がほとんどなかった1983年当時(『はだしのゲン』が教育的マンガとして、ほぼ自費出版のような形で翻訳されていたのみだった)、日本マンガをアメリカに紹介しようと奮闘していた人物としての、これが実感だったのだろう。
加えて、現代日本の社会状況を取り入れた作品が多い「青年マンガ」と呼ばれるジャンルの作品は、現在アメリカであまり部数が伸びていないことを考えると、ショット氏が前掲書を上梓してから30年以上経った今でも、意図するところは示唆的だ。

いずれにせよ、日本という文化的背景が商品としてマイナスな意味を持つと考えられていた時、ローカライズはそのオリジンである日本の痕跡を消そうとして行われた。しかし、これは2000年代になって変化する。2000年代にアメリカで起こった日本マンガのブームでは、逆に「日本」というオリジンがマーケティングのセールス・ポイントとして強調されたのだ(4)。


(1) The Astro Boy Essays: Osamu Tezuka, Mighty Atom, Manga/Anime Revolution, 95p.
(2) “Comics Week” #2, July 20, 1987, 16p.
(3) Schodt, L.Fredrik, Manga!Manga! The World of Japanese Comics』(Kodansha International, 1983. 153-4p.
(4)  「日本産」がセールス・ポイントとなって日本のマンガが売り出された状況については、「アニメ!アニメ!ビズ」の拙記事「北米におけるマンガブームのきっかけとなったキャンペーンとは」を参照。
http://www.animeanime.biz/archives/11002
http://www.animeanime.biz/archives/11006
http://www.animeanime.biz/archives/11010
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