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古屋兎丸のコミック「帝一の國」 エンターテインメント性満載で舞台化!

[取材・構成: 高浩美] アニメ×ステージ&ミュージカル談義■ 上昇志向の塊の主人公・帝一、並み外れたパワーで周囲を巻き込むキャラクター

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■ 昭和の香り、原作の魅力と面白さいっぱい、
誰もがいつかは死にものぐるいで戦わなければならない


まずはオープニング、ちょっとどっきり、派手めな感じで始まる。制服姿の男子高校生たちがのっけから撃ち合いし、“これは戦争だ”と歌う。そして映像を使っての映画的な手法での配役紹介。原作のキャラクター画像と俳優の画像を上手く使ってたたみかけるように見せ、ここで“つかみはOK”。物語は主人公・赤場帝一が名門・海帝高校に入学したところから始まる。時代設定は昭和(もちろん架空)、雰囲気は60年代ぐらいだろうか。

“学蘭歌劇”と銘打っているので、ミュージカル仕立てで進行していく。楽曲や振付はところどころ懐かしいレトロな感じ。昭和歌謡曲っぽいものやロックンロール的なもの、ダンスも“昔、観た、こういうの”といったテイストを散りばめて昭和な香りをふりまく。校歌も懐かしいメロディラインで歴史ある学校風の古めかしい歌詞が名門・海帝高校の校風を端的に表現している。ところどころ映像も使っているのだが、表現がアナログ的で作品世界に輪郭を与える。

帝一たちの高校生活は勉学に遊びに部活に、というものではない。大人社会の、それも“ドロドロ”したものの縮図である。生徒会長の職に就くことは将来も約束されたようなもの。その地位を勝ち取るためには手段選ばず、が基本。帝一始め、宿敵(天敵)東郷菊馬も、誰もがそれを信じて疑わない。ほぼ全員、付属中学からの入学した生徒たちの中で、外部受験で入学してきた上に成績優秀な大鷹弾はそういった思考は持たなかった。いや、そういう思考回路は持てない、持ちたくない、といった方が正しいかもしれない。
弾は帝一を“友達”というが帝一は“なにか企んでいるに相違ない”といぶかしがる。そんな新入生帝一たちに次々と無理難題な試練が襲いかかる。

エンターテインメント性をふんだんに取り入れ、観ていて楽しく、笑いも挟み込んで緩急つけた構成でコミックの世界に観客を上手く引っぱりこんでいる。原作の風味やタッチそのまま舞台にのせた感があり、コミックを読んでない観客も原作に興味がわくはず。
赤場帝一演じる木村了は古屋兎丸作品常連、主人公の類い稀なエネルギーと野望をあますところなく演じて好感が持てる。その帝一の友であり、同士でもある榊原光明演じる三津谷亮、帝一に“引っついて離れない”感を出して笑いを誘う。永遠のライバルであり、天敵の東郷菊馬演じる吉川純広はほぼコミックから出てきたかのようで、佇まいが“小者感”&“卑怯感”満載。その腰巾着・根津二四三演じる谷戸亮太もさらなる“卑怯者”、いやらしいキャラが菊馬とよいコンビネーション。2年生で次期生徒会長候補の氷室ローランド演じる冨森ジャスティンはオレ様節炸裂、突き抜けたキャラクター作りで、帝一に無茶ぶりをするシーンは時折笑いを誘うほど。
大鷹弾演じる入江甚儀、この学校の中では唯一の爽やかで正義感あふれるキャラクター、コミック同様に全体のアクセントになっていた。“なんでも屋”のオールラウンダーズの面々は実に“働き者”でどんな場面にも対応、“瞬発力”に拍手。

物語で帝一はことある毎に“誰もが、いつかは死にものぐるいで戦わなきゃならない”と言う。“人生の岐路に立った時に戦う”とも言う。そこに真実がある。コミックのエピソードで省かれているところ、誇張されているところがあるが、原作の魅力と面白さが十分伝わる舞台化、と言えよう。続きの物語も是非、舞台化して欲しい。

學蘭歌劇『帝一の國』
パルコ劇場(東京・渋谷)
4月18日~5月6日
/http://www.nelke.co.jp/stage/teiichinokuni/

『帝一の國』
(C)古屋兎丸/集英社
《高浩美》
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