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[再掲] 森田修平監督/佐藤大さん(シリーズ構成) 「FREEDOM」インタビュー

2007年に米国・ロサンゼルスで行ったOVA「FREEDOM」についての森田修平監督/佐藤大さん(シリーズ構成)へのインタビューを再録する。1月16日に米国アカデミー賞短編アニメーション部門に森田監督の『九十九』がノミネートされことに合わせた。

インタビュー
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AA
作品を作る時に、海外の視線というのは意識されますか?

佐藤
それは、北米が一番大きい市場である以上、そこをマーケットにしなかったら予算も出ないし、自由に作れない。
別にアメリカに行きたいとかアメリカで売れたいとかでなくて、ビジネスとして考えた時どうやって作品を作るかっていうことです。僕らはアニメーションやゲームが、もともとインターナショナルな市場だと言っている。だって国のトップが言っている。(笑)
これに関わる以上、意識しないとしたらそれはエゴだと思う。

AA
よくあるのは意識はするけど、それによって自分が変わるわけではないということですが。

森田
僕に関しては、もちろん映像なんで全世界の人に見て欲しいしそこは意識している。僕も同じように自分が作っている以上、意識しようがしまいが変わらないと思っていたんです。
けれど、こういう風にイベントに来たり、海外の人にふれあったりするとホントに意識は変わる。そういう意味で言うと出なきゃわかんない。ファンも含めて色んな人と接した時にすごく変わるなって。

AA
具体的にどういう場所が変わりますか?

森田
勝手に自分が作っていた壁が消える感じ。あったことを感じるんじゃなくて、無意識にあった壁が消える感じです。

AA
むしろ壁があったことが分かった?

森田
そうそう!そうかもしれない。

佐藤
少なくとも僕が関わった作品は日本のファンより海外のファンの方がすごく長く愛してくれるので、僕は海外のファンをすごく愛しています。
『Ergo Proxy』の絵を自分で描いてくれる女の子とか。あと、『サムライチャンプルー』がほんとに大好きだって言う男の子とか。10年経った『カウボーイビバップ』のTシャツを着た子たちに会うんです。
ここで起こっているのは、「私も好き。私も好き。じゃあ仲間になろう」それは僕が80年代にアニメを好きになった時の気持ちなんです。
松本零士だろうが、宮崎駿だろうが派閥無くアニメを楽しむ時期が80年代の初めにあって、そのときに僕はアニメの楽しさを知ったんです。

AA
今のアメリカを見ていると日本の80年代のファンダムが育った時期に非常によく似ています。アメリカのファンシーンが、日本とはまた違った盛り上がりを見せていることはどう考えますか?
『カクレンボ』もたぶん5年前だったらアメリカで人気が出たと考えづらい。でも今、普通にDVDが出ていて普通にファンがいるという状況が起きています。

森田
それは光栄で、嬉しい限りです。観て貰うために作っているし、一人でも多くの人に観て貰いたい。だから、僕は実験映像がすごい好きなんですけど、作らないようにしているのは、観る人が減るから。
実験映像はエンタテイメントでなく、自己の挑戦でそれがホントに面白いかどうかなんてわからないで作っているから。『カクレンボ』を作っている時にどっかで変わったんでしょう。本当に一人一人に観て欲しい。そこは大切にしたいです。

AA
今回はアメリカですけども、ヨーロッパでも、アジアでも?

佐藤
月でも。(笑) 300年後まで。月に送りますよ。


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