「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサー 西崎義展氏逝去 | アニメ!アニメ!

「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサー 西崎義展氏逝去

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 11月7日の朝日新聞ウェブサイトasahi.comによれば、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』シリーズのプロデューサーとして知られる西崎義展(本名西崎弘文)さんが亡くなった。75歳だった。朝日新聞によれば、11月7日12時半頃、東京都小笠原村父島の海で船から転落死した。
 西崎義展さんは、1970年代初頭のアニメ『海のトリトン』、『ワンサくん』などのプロデューサーとしてアニメ製作に関わるようになった。その後、1974年に製作されたテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』、そして1977年のその映画化作品『宇宙戦艦ヤマト 劇場版』の大ヒットで一躍注目を浴びた。

 『宇宙戦艦ヤマト』はそれまで子ども向けとされてきたアニメの中で、多くのティーンエイジャーのファンを獲得した。作品はその後のアニメ雑誌の創刊や同人誌イベントなど、現在のアニメファンコミュニティ活動の源流、成長に大きな影響を与えた。また、『宇宙戦艦ヤマト』の先立つ1972年の『海のトリトン』も、こうしたムーブメントにつながっている。
 西崎義展さんはこうした作品を創りだすのに大きな役割を果たした。また、アニメのプロデューサーとして広く認知された初めての人物と言ってもいいだろう。

 西崎さんは『宇宙戦艦ヤマト』以後も、『宇宙空母ブルーノア』(1979)や『オーディーン 光子帆船スターライト』(1985)といった作品の製作に携わった。しかし、その活動の中心は『宇宙戦艦ヤマト』のシリーズ製作だった。1980年以降も『ヤマトよ永遠に』、1981年『宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち』、1983年『宇宙戦艦ヤマト 完結編』などの続編続いた。2009年12月には、久々の劇場大作『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』を製作し、注目を浴びたばかりだった。
 こうした続編はファンからは「また続編」と揶揄されることもあった。しかし、人気を博したテレビアニメの劇場映画化、さらに続編、シリーズ化という現在のアニメビジネスの先駆的な存在だったとも言える。
 また、作品制作の現場以外では『宇宙戦艦ヤマト』の著作権を巡る裁判が相次ぎ、また1980年代から1990年代には銃砲刀剣類所持等取締法違反等や覚せい剤取締法等違反による逮捕などもされ、アニメ以外でも注目を浴びることが多かった。
《animeanime》
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