そこでは絵コンテをきらず(描かず)、バーチャルカメラ、モーションキャプチャーなどを使ってまずプリヴィズ(previsualization)を作るという独特のアニメ制作スタイルが紹介されていた。同作の大半はこのように絵コンテをきらずに制作されたという。
これがどれだけ特別なことかは、アニメ制作における絵コンテの存在の大きさを考えるとわかる。例えば『増補改訂版 アニメーションの基礎知識大百科』(神村幸子、グラフィック社)の絵コンテの項目には以下のように書かれている。
「画面を絵で描いたアニメの設計図。絵コンテのよしあしで作品の出来が決まると言われるぐらい重要なもの。セリフ、演技、SE、レイアウト、カメラワーク、効果、BGM等、ほぼすべての情報が描き込まれている。作画から制作まで全員この絵コンテを見ながら作業を進める。『画コンテ』とも書く」
絵コンテは脚本をもとに、各カットの内容と各カット同士がどう繋がれるかを示すものだ。実写はまず撮影を行い、その後の編集で映像のどの部分を使うか、映像同士をどう繋ぐかを決めていく。
それに対してアニメは、映像ができる前に大まかなカットの流れを絵コンテで決めて、それに従って必要な絵を描いていくのである。これは「絵を描く」ことがとても労力を必要とするため、「作品に使われない絵を描く」という無駄を極力避けるためという理由が大きいと思われる。
また絵コンテにはアニメ制作に必要な情報がすべて描かれることから、演出家の作品に対する大指針を示すもので、その点で“作家性”を最初に定着させるプロセスとしても理解されている。だからこそ、多くの長編アニメーションでは、監督ひとりで絵コンテを描き上げる場合が多いのである。
庵野総監督は前作『シン・ゴジラ』でもプリヴィズを使った映画作りを行っている。そこについて次のように語っている。
「そもそも3DCGのカットは『素材があれば編集で』というわけにはいかないです。でも、絵コンテで作ってしまうと、絵コンテのイメージを作り込むことになってしまって、想像外のものが出てこなくなり、そのうえ現実世界との乖離が拡大する方向になってしまう。『シン・ゴジラ』は脳内のイメージで映像を作りたくなかったんです。『シン・ゴジラ』は、現実空間にある風景を切り取っていく映画を目指したかった。だから、最初に、現実に存在するものを3D空間に作り、その中でバーチャルカメラを使って、ゴジラをどこからどう切り取るかを考えました。または実際の風景を撮影して、この実景の中にゴジラがいたらいい絵になるかプリヴィズで初期に確認する。だから頭の中のイメージを優先させて描く形の絵コンテは必要なかったんです」(神山健治との対談より。『映画は撮ったことがない ディレクターズ・カット版』(神山健治、講談社)所収)
『シン・ゴジラ』は特撮映画なので、すべてが『シン・エヴァ』と共通するわけではない。だがコインの裏表のようにプリヴィズの使用の一方で、「絵コンテで作ってしまうと、絵コンテのイメージを作り込むことになってしまって、想像外のものが出てこなくなる」とか、「脳内のイメージを優先させて描く形の絵コンテ」といった指摘がなされているところは興味深い。
この対談の中で庵野総監督は、このほかにも絵コンテがあることの“縛り”の大きさを語っている。
「アニメーションって、頭の中にあるイメージをどうやって映像にするかという作業だから、最初にこういう映像を作りたいっていうのが、まず絵コンテという形で目に見えるようになる。でも逆に、自分がイメージしていないものを作りたいと思ったら、絵コンテが邪魔なんです」
「宮崎さんの絵コンテがああいうスタイルなのは、頭の中にあるイメージと寸分違わないものを画面にしたいからなんです。だから、絵コンテというものをすごく大事にしている」
「(引用者注:自分は)イメージどおりにしかならないのは、物足りないんですよね。特に絵コンテを自分で描いちゃうと、自分がイメージした以上のものにはなかなかならないです。(中略)そのカットが必要な情報としては、最初に自分がイメージした以上のものは入ってこない。自分のイメージって、大体絵コンテを描く前に頭の中にできちゃうんですよね。そうすると、自分で絵コンテを描いても、想像の範疇をまったく超えないものがそこにあるだけなので」
アニメ制作における絵コンテの存在の大きさ。『シン・エヴァ』のプリヴィズを使った制作方法は、そこに対するカウンターといえる。
3DCG(そこにはモーションキャプチャーによる人間の演技も含まれる)を駆使して「撮影」することで、生身の演技に伴う偶発性や、ひとつのシーンを編集で作り上げていく方法など、従来“実写的”といわれていた要素をアニメに取り込もうとしたのだ。
このあたりの姿勢は、パンフレットに掲載されている前田真宏監督、鶴巻和哉監督のインタビューからもうかがうことができる。
『シン・エヴァ』ほどラジカルではないが、いくつかの作品を見ると「アニメの演出に実写的な発想を取り込む」という発想や、「自分以外のイメージを絵コンテに反映させる」という挑戦を発見することができる。
例えば2004年の『イノセンス』(押井守監督)は、絵コンテはあるものの、3DCGでセットを建て込んで、そこの中でカメラを自由に動かしながらレイアウトを決めていこうという発想が取り入れられている。
これは押井監督の前作『アヴァロン』(2001)が実写映画をアニメの発想で制作するというコンセプトだったことと、裏表の関係にある。
ただし2004年当時では技術的な問題もあり、実写的発想を取り入れたシーンは全編の2割から3割り程度に止めるという予定だった。
その2割~3割の中でも目立つシーンが、食料品店(コンビニ)で登場人物が襲撃されるシーンで、この空間はすべて3DCGで制作され、店内に並んだ商品もすべてモデリングされている。
近年では絵コンテそのものは伝統的な手法で描かれているものの、レイアウトに3DCGを使うケースは増えている。多くは絵コンテの指示を踏まえて3DCGでレイアウトを出力しているので、発想は伝統的な手描きアニメと変わらない。
しかし、一部の作品では絵コンテに先立って3DCGでアングルを決めてしまうこともあったという。
例えば、テレビアニメ『キャロル&チューズデイ』(2019、渡辺信一郎監督)は美術設定が3DCGのスケッチアップというソフトで作られていたため、一部の話数ではコンテより先にスケッチアップでアングルを決めるということも行われたという。
こうした3DCGツールが普及することで、「実写のようにその空間を切り取る」という発想がアニメの中にも広がっていく可能性はある。
では「自分以外の発想を絵コンテに取り込む」のほうはどうだろうか。長編アニメーションの場合、絵コンテを複数人で担当する場合もあるが、これはまず時間短縮のための“手分け”が第一の理由と考えられる。
もちろんアクションが得意な人間がアクション・シーンを担当する場合はあるが、それもあくまでそのシーンを担当するのはその人、ひとりだけである。
数少ない例外が先述の対談で庵野総監督と対談している神山健治監督の『ひるね姫~知らないワタシの物語~』(2017)だ。
これは神山監督を含む3人がそれぞれデジタルツールで絵コンテを描き、それをムービー化したものを全員で確認しながら、絵コンテの推敲を重ねていくというスタイルで作られた。ムービーですぐに絵コンテの内容を検証していることも含め、2017年の時点でかなり挑戦的なスタイルといえる。
ツールの発達などにより、これから絵コンテというものの立ち位置、描き方などは変化していくはずだ。
『シン・エヴァ』ほどラジカルな方向に進まなくとも、絵コンテが変化していくであろう理由は、『シン・エヴァ』が示した問題提起の中に含まれているのは間違いない。
[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』、『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』などがある。ある。最新著書は『アニメと戦争』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』、『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』などがある。ある。最新著書は『アニメと戦争』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。