「日本沈没2020」震災の実体験とエンターテイメントの両立を目指して…湯浅政明監督が語る、アニメ化の意義【インタビュー】 2ページ目 | アニメ!アニメ!

「日本沈没2020」震災の実体験とエンターテイメントの両立を目指して…湯浅政明監督が語る、アニメ化の意義【インタビュー】

Netflixオリジナルアニメシリーズ『日本沈没2020』より湯浅政明監督にインタビュー。1973年に発表されて以来、繰り返しさまざまなメディア作品になっている『日本沈没』を、今なぜ再び取り上げたのか。その理由とアニメ化の意図を、湯浅政明監督に聞いた。

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『日本沈没2020』(C)“JAPAN SINKS : 2020”Project Partners
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  • 『日本沈没2020』キービジュアル(C)“JAPAN SINKS : 2020”Project Partners
  • 『日本沈没2020』場面写真(C)“JAPAN SINKS : 2020”Project Partners
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  • 『日本沈没2020』場面写真(C)“JAPAN SINKS : 2020”Project Partners

『日本沈没 第二部』を意識して“漂流する日本人”の姿を描く


未曾有の大災害でスポットを当てられることになったのは、都内にすむ4人の家族だった。
陸上の日本代表候補と期待される俊足の持ち主の女子中学生・武藤歩、14歳。父・航一郎は、舞台制作会社の照明技師で、サバイバル能力に長けた一家の大黒柱。海外から帰国途中で災害に直面したフィリピン出身の母・マリ。
そしてオンラインゲームが大好きな8歳の弟・剛。

4人はそれぞれ違う場所で大地震に襲われ、唐突に混乱した状況に放りこまれる。
第1話では、わけがわからないながらも、バラバラになった家族がそれぞれ“ある場所”を目指して進む様子が描かれている。

「視点を『個』に寄せて多様性を映す手法は、最近の海外ドラマでも使われていて、たくさんの視聴者の支持を得ています。
原作は1970年代に書かれたものなので状況は大きく変化していますし、小松さんがご自身で書きたいと思っていた「沈没後」のことまで、少しでも含めて描きたいと思ったんですね。

視点を彼らの周りだけに絞るのは、僕自身が東日本大震災の時に感じたことを作品に反映させているのもあります。
東北で大きな地震が起きたとき、僕は東京にいました。こちらにも危険が迫っているという噂はあるが、正しい情報がわからない。どんな行動をすればいいのかという正解かを掴めず、ずっとネットで情報を探していました。
心のどこかで、被災地でもっと酷い状況を体験している人ほどには、自分は恐怖を実感できていないだろうという認識がありながらも、TVで恐ろしい映像を観ると、本当に現実に起きていることなのか信じられない気持ちになりました。

『日本沈没2020』場面写真(C)“JAPAN SINKS : 2020”Project Partners
そういった、「信じられない出来事が起きたときに、人はどう反応して、どう動くのか」ということを、自分の体験を反芻しつつ、考えながら作っていったんです。
国を動かしている人たちよりも、周囲の状況がよくわからない中で不安を感じている人を描く方が、先が読めないストーリーとしてもおもしろくできるし、自分たちの想像の範疇で大部分を埋められそうでした。
ですから脚本の組み立てでは、『自分の中で腑に落ちる感情表現』『ありそうな方向に進むキャラクターの行動』を軸に、エンターテイメントとして退屈しない、毎回どんどん見進めることができるよう、突拍子もない出来事や、イベントを意識しながらやりましたね」


その意図は、画づくりや音楽にも現れている。本作における災害描写はあっさりとした画で描かれており、時間や場所を説明するテロップ文字はもちろんのこと、登場人物がセリフにかこつけて状況を俯瞰で説明することもない。
画面に映る断片的な風景、言葉の端々、人の動きから、「きっとこんなことが起きているんだろう」と想像するしかないのだ。

さらに、アップテンポでもスローテンポでもない、いうなれば“時計の秒針”のように一定のリズムで淡々と静かに流れるピアノの旋律が、目の前の光景をただただ受け入れる心境にさせてくれる。
目の前で次々と起きる出来事を、ただただ呆然と受け取るーーつまり主人公一家と同じく災害の現場に放りこまれ、日本沈没を「体感」させられているといえる。

『日本沈没2020』場面写真(C)“JAPAN SINKS : 2020”Project Partners
しかもそれは、映像を観ているときには意識しづらい。映像から離れて“素”に戻ったときに、突如「なにかわからないけれど、すごいものを観た気がする」という感覚に襲われる。
まさに、東日本大震災の津波の映像を食い入るように見た後、ふと震災前からなんら変わっていない自宅の様子に目を移したときに感じた、奇妙な感覚だった。

「すごく大変なことが広範囲で起きていますが、それを音楽で盛り上げないことで、目の前の状況をはっきりと受け取れない、受け取っている精神の余裕も時間もない人たちの妙に落ち着いた気持ち、悲惨な状況に対応する力もない主人公たちの気持ちを、淡々と重ねていきました。

だから音楽は、外で起きているスペクタクルではなく、登場人物達の心の奥で起きている繊細な気持ちにつけるようにしています。
たまにアクションシーンでは盛り上げるようにつけていますが、悲惨な状況の中でも、前向きに進むキャラクターたちに向かってつけるように意識しました」


次は、本作で描きたかったテーマについて語る。


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《中村美奈子》
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