「ID:INVADED」様々な位相の“矛盾”が生み出す、ミステリーアニメとしての秀逸さ【藤津亮太のアニメの門V 第57回】 | アニメ!アニメ!

「ID:INVADED」様々な位相の“矛盾”が生み出す、ミステリーアニメとしての秀逸さ【藤津亮太のアニメの門V 第57回】

アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第57回目は、オリジナルSFミステリーアニメ『ID:INVADED』を“矛盾”という切り口で読み解く。

連載 藤津亮太のアニメの門V
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『ID:INVADED』(以下『イド』)を貫いているのは“矛盾”という関係性だ。
本来ならひとつにはならない2つの相反する存在が、互いの尻尾をくわえ、2匹の蛇のようにぐるぐると輪になっている。

『イド』には警察組織の一部として、連続殺人犯を特定するための組織「蔵」が登場する。
「蔵」は、殺人現場に残された犯人の「思念粒子」を特殊な装置で採取し、犯人の無意識世界「イド」を構築する。

主人公の鳴瓢秋人は、イドにダイブするための装置「ミズハノメ」に乗り込み、殺人犯のイドへと入り込む。イドの中で鳴瓢は名探偵・酒井戸となり、イドの中で謎を解き明かすことで、現実の犯人逮捕に道筋をつけていく。

このイドの中で「名探偵」になれるのは適性のある殺人犯のみ。
この「殺人犯のみが探偵になれる」という設定がそもそも矛盾を孕んでいる。鳴瓢の場合は、元警察官だが、愛娘を殺した連続殺人犯“対マン”を射殺したため収監され、ミズハノメのパイロットになることになったという設定だ。

また鳴瓢が名探偵・酒井戸として挑む殺人犯たちのイドもまた“矛盾”している。
第1話に登場する連続殺人犯“穴あき”のイドは、そこにある街も家も人も、みなバラバラになっている「バラバラの世界」。
だが、この世界は実はバラバラに見えて“つながって”いた。酒井戸はそこに気づき、イドの中の殺人事件の犯人を突き止める。

それ以降登場する事件も、そこにいろいろな矛盾を発見することができる。
それは「静止しているのに回転している」「進み続けているはずなのに到着しない」「法則性のあるランダム」といったイドのあり方だったり、「真犯人ではない犯人(模倣犯)」「愛情と殺意が入れ替わった人物」「殴られるのも殴るのも好き」といった犯人像の中に発見することができる。

つまり矛盾を孕んだ「名探偵」が、矛盾を孕んだイドの謎、あるいは犯人像と対峙するのが本作の基本構造なのだ。
特にこの矛盾したイドの世界は、動きが少なくなりがちなミステリーアニメにあって、視覚的なインパクトが強く、アニメならではのおもしろさが際立つポイントだった。、

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そしてこうした“矛盾”はさらに作品の根底の中に発見することができる。

ここから作品後半の重要な部分に触れる。ほぼネタバレをしているので未見の人は読まないほうがよいだろう。

鳴瓢は、幾人もの連続殺人犯のイドに潜る中で、犯人たちのイドの中に、いつもステッキとシルクハットの男の姿があることに気づく。
ジョン・ウォーカーと名付けられたその人影は何者なのか。蔵のスタッフたちは、そのジョン・ウォーカーこそが故意に殺人鬼を作り出している人物ではないかと、その実在について推察を始めことになる。

このジョン・ウォーカーの人物像と、さらにはこの作品世界の根底にもまたこの作品ならではの“矛盾”を探すことができる。

振り返ると2020年1月期は、ミステリーを題材にしたアニメが、長期シリーズの『名探偵コナン』を加えると4作品並ぶという珍しいシーズンだった。
『イド』以外では、前期から続く『歌舞伎町シャーロック』と小説原作の『虚構推理』がそれにあたる。そしてそれぞれがそれぞれの犯人像を持っていた。

『名探偵コナン』は、もともと小学生向けの“推理ゲーム”的な側面がある作品で、だから犯人と探偵の間には明確な線が引かれている。これを乗り越えてることはない。

『歌舞伎町シャーロック』の探偵と犯人は、どちらも「社会のはぐれもの」という共通点がある。
つまり本作では探偵と犯人は互いの鏡像の関係にある。だからこそ、あやうくはあるが探偵と犯人の間の線は明確だ。

『虚構推理』は「怪異の絡んだ現象」と「現実の事件」を解くという二重構造になっている。
なので、嘘の推理によってまずさまざまな可能性を潰し、怪異を信じる人を減らすことを通じて、怪異を現実の出来事へと解体していくという構造になっている。
ここでも探偵役と犯人の間には明確な線が引かれている。

ところが『イド』の場合は、そこまで明確ではない。
しかも、それは深淵を覗き込むもの(探偵)がやがて深淵そのもの(犯人)になってしまうというほどシンプルでもない。

先に書いた通り本作の「名探偵」は殺人者であることが条件のひとつにある。
一方でシリーズを通じて一番の悪役であるジョン・ウォーカーは「殺人を犯したことのない殺人者」なのである。

ジョン・ウォーカーの正体がわかるのは第11話。
真犯人は、他人のイドの世界に入り込み、そこで素養のある人間の殺人衝動を高め、連続殺人犯を作り出していた。
真犯人は現実には殺人を犯したことはない。詳細は省くが、作中でその動機は「神様コンプレックス的」なもの、と推理されている。

そして、その7人の連続殺人犯を送り出すと同時に、ジョン・ウォーカーが用意したのが第8の存在「追い込み」という犯人たちを追い込み、自殺させる存在。
これが鳴瓢=酒井戸だった。真犯人は、最終的に自分を止めるために「追い込み」を用意していたのだ。

ごく普通のミステリーでは、犯人が事件を起こし、そこに探偵役が呼び込まれるという体裁がとられている。
ジョン・ウォーカーと酒井戸の関係はこの関係を、意図的に反転して、「(事件ではなく)犯人こそが探偵の存在を要請している」という形で設定されている。
ジョン・ウォーカーにとっては「犯人は探偵によって行動を妨害される」のではなく「探偵によって行動が妨害されるからこそ犯人」として完成する、のである。

こうして「殺人を犯したことのない犯人」が「殺人者である名探偵」を求めるという、二匹の蛇の輪が出来上がる。
もちろんここで真犯人の望むとおりの結末を名探偵が演じてしまったら、それは名探偵の負けである。本作はそこで見事な解決を、巧みな伏線の積み重ねから導きだして事件を締めくくっている。

もちろんここで真犯人の望むとおりの結末を名探偵が演じてしまったら、それは名探偵の負けである。本作はそこで見事な解決を、巧みな伏線の積み重ねから導きだして事件を締めくくっている。

と、ここまでだけでもよくできた“ミステリーアニメ”なのだが、本作はさらにその先に踏み込む。
実は蔵が使用するミズハノメのシステムは、飛鳥井木記という特殊な能力を持った女性を封印し、限定的に使用することで可能になってるのだ。
だから名探偵が降り立ったイドでは、いつも飛鳥井木記(=イドの中ではカエルちゃんと呼ばれる)が殺されていたのだ。

彼女の特殊な能力とは、本人の考えたことが他人に届いてしまうというもので、彼女は夢の中に人をしばしば招き入れてしまう。
ジョン・ウォーカーは彼女のそんな能力を利用して、連続殺人犯の殺意を育てのだった。

「犯人を捕らえるためのシステム=社会正義」が一人の女性の犠牲によって成り立っていること。
幸せを追求することが結果として犠牲を当然のように求めざるを得ないというさらに大きな“矛盾”がそこに現れる。

本作はその矛盾を解決したりはしない。
ただいつかその“矛盾”が解消されるかもしれないイメージだけを示して物語を締めくくる。

世界が抱えた矛盾。名探偵という存在の矛盾。そして解かなければならない謎がはらむ矛盾。

そういう様々な位相の矛盾が、折り重なって、本作は「探偵のいる世界」を描き出したのだ。
そこは残酷ではあるけれど、希望があるという点で、我々の現実とよく似ている。

※趣旨をそのままに掲載時から原稿の一部を修正しました
[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。
《藤津亮太》
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