プライムタイムから「ドラえもん」「しんちゃん」が消えたのはなぜか【藤津亮太のアニメの門V 第51回】 | アニメ!アニメ!

プライムタイムから「ドラえもん」「しんちゃん」が消えたのはなぜか【藤津亮太のアニメの門V 第51回】

アニメ評論家・藤津亮太の連載「アニメの門V」。第51回目は、『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』の枠移動を手がかりに、「TV」と「アニメ」の過去と未来を読み解く。

連載 藤津亮太のアニメの門V
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10月から『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』の放送時間帯が金曜19時台から土曜夕方へと移動し、ついにプライムタイム(19時~23時)に放送されるアニメがゼロになった。

今から13年前、2006年にも『ワンピース』が日曜19時から日曜朝9時30分へと枠移動をしており、「Newtype」に連載中だった当欄では2007年5月に「これは『TVアニメ』の終わりの始まりだと思う。」と原稿化している。
ここで『TVアニメ』とカギカッコ付きで書いているのは、ある一定年代以上の世代が持つ「TVアニメの檜舞台は19時台」という思い込みを指しているからだ。

そこでは次のようなことも書いた。
「終わるといってもそれは、今日明日に終わるといった急激な変化ではなく、十年ぐらいの長期的スパンの出来事であるということ。それはいつの間にか夕方の(アニメの)再放送枠がすべてなくなっていたような、そのような変化になるはずだ。」(『チャンネルはいつもアニメ』所収の「TVアニメの終わりと始まり」)

プライムタイムのアニメはこの時の予想通りに推移した。その後、2009年に『名探偵コナン』が、2018年に『ポケットモンスター』が19時台から夕方枠へ移動している。
だから今回の『しんちゃん』『ドラえもん』の移動は、本質的には驚くにあたらない。大勢は既に10年以上前に決しているのである。もはや今は「だから必然としてこうなった」を見届けるフェーズなのだ。

たとえば過去の『クレヨンしんちゃん』の視聴率を見てみると、人気絶頂のころの1993年3月には22.6%、10年後の2003年9月には10.2%になっている。
2006年ごろの取材の中で、「19時台の視聴率の合格点は10%」という話を聞いた。そういう意味では『しんちゃん』は2003年の時点でかなり危うい数字になっているといえる(8月の視聴率はいずれも10%を切っている)。

それでも『しんちゃん』が継続したのは、連続して放送されている『ドラえもん』が安定的に10%をクリアしていたことと、このころのテレビ朝日が日本テレビ、フジテレビで繰り広げられていた視聴率競争に加わっていなかったからだろう。

それが近年、テレビ朝日は好調で、フジテレビを追い抜いて日本テレビと視聴率で争うようになった。
そうなってくるとプライムタイムであるにも関わらず両番組の視聴率が「リアルタイム視聴率が6~7%」(榊原誠志総合編成部長の記者会見での発言)という状況は看過できないということになったのであろう。
なお枠移動が発表された翌日放送の『クレヨンしんちゃん せぷてんばー引っ越せばースペシャル』の視聴率は5.7%(ビデリサーチ調べ)だった。

このようなTVアニメの変遷を考える時「中心と周縁」を意識するとわかりやすい。
これはTVビジネスにとっての「中心と周縁」であり、TV局の編成部から見た「中心と周縁」である。編成部とは、どのような時間にどのような番組を流すかを決める部署で、そのゴールは「視聴率をあげることでCM枠の価値を増し、会社の利益を最大化すること」だ。

TVビジネスの「中心」であるプライムタイムはだから視聴率が大きな意味を持つ。
歴史的にアニメはここで、主に人気マンガを原作とする作品を多く放送してきたが、作品内容のいかんにかかわらず視聴率がとれなくなり、アニメはついに、編成部的価値観において“戦力外通知”を受けるに至った。

なぜ視聴率が低いのに長寿アニメを終了させないのか、という疑問が出るかもしれない。それはこうした長寿アニメのいくつか(例えば『名探偵コナン』『クレヨンしんちゃん』『ドラえもん』『ポケットモンスター』)はTVアニメだけでなく年1回の映画も含めてビジネスを成立させているからだ。
だから、視聴率が低くてもダメージの低い枠へと移動させつつ、映画を中心にビジネスを継続させるという判断をしているのだ。

こうして「中央」からこぼれ落ちたアニメは、「周縁」のひとつである夕方枠へと定住することになる。
「周縁」は比較的、編成部的価値観の支配が薄くなる。例えば1970年代後半から1990年代まで、玩具メーカー主導の色が濃いロボットアニメなど夕方枠で放送されていたのも、視聴率をあげることよりは商品が売れることが第一という論理が通っていたからだ。

とはいえいくつかある「周縁」の中で、夕方枠は決して数が多いほうではない。「周縁」として大きな勢力を持つのは「土日の朝枠」と「深夜枠」だ。
現在、深夜枠に放送されているアニメは、時間ベースで全アニメの半分を超えており、「深夜アニメ」が今のアニメビジネスの主流ということがよく分かる。

「土日の朝枠」は、未就学から小学校中学年ぐらいまでがメインターゲットの作品が多い(小学校高学年をターゲットにしているのは『ワンピース』ぐらいではないだろうか)。つまりここは「子供の王国」だったのだ。

一方、「深夜枠」は製作委員会が電波料を払い、製作委員会が出資したアニメを放送するというモデルで運営されている。
こうした費用は制作したアニメを販売(パッケージや配信)することでリクープするのである。深夜なのでもとから視聴率など求められていないし、CMを流している企業も基本的に製作委員会関係の企業なので、視聴率を根拠にした広告効果を求めているわけではない。
つまり「深夜枠」は「中央」の編成部的価値観から最も遠いところで成り立っている、「開拓地」のような場所ということができる。

かくして「中央」の領土をじわじわと失っていったアニメは、それと入れ替わるように「周縁」へとその生き延びる道を探し、その環境へと対応してきたのである。

ちなみにこうした変化により、アニメファンの“なり方”も変わってきた。
1990年代は、小学校中学年から中学生・高校生まで各年代に向けたアニメがあり、アニメが好きな子供はなだらかにハイターゲット作品へと誘導されていった。
現在は小学校中高学年向けの作品が手薄で、このなだらかな誘導路がなくなってしまった。

なので「子供の王国」を卒業した子供は、小学校高学年や中学生ぐらいになって「深夜枠」に触れることでアニメに再入学するのである。
この時、きっかけとなるのはライトノベルなどの原作の存在で、友達からの口コミで原作を知り、改めてアニメを見るというルートがあるのである。
またTVドラマなどに、思春期のあこがれを仮託できるような「学園ドラマ」が手薄なところも、再入学を促す要因になっていると思われる。

この「再入学」において「深夜枠」であることがハードルにならないのは、録画機の発達や配信の普及と深い関係がある。
逆にいうと「再入学」する時に彼らはもはや「TVアニメであること」に強い意識を持っていないことになる。

そして先述のこの時、アニメの視聴者はもはや編成部的価値観でできた「中央」に大きな意味を見つけることができない。
自宅の録画機にせよ配信会社にせよ「データとして収納されたアニメ」には、そんな意味はなにも関係ないからだ。
先述の「中央と周縁」論からいうならば、視聴者は(そしてアニメも)もはや「TV」という枠組みからすらはずれて、その外側に広がるさらに広大な「周縁」の中で生きようとしているのである。

プライムタイムこそアニメの檜舞台という一つの時代の「終わりの終わり」が訪れ、TVとアニメの関係はまた大きく変わっていくに違いない。

[藤津 亮太(ふじつ・りょうた)]
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で生配信を行っている。
《藤津亮太》
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