映画評 『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』 | アニメ!アニメ!

映画評 『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』

文;氷川竜介(アニメ評論家)

レビュー 実写
文;氷川竜介(アニメ評論家)

 1年前には、こんな年になるとはまるで予想がつかなかった。だからアニメは面白い。2009年はSF・ロボットキャラの総決算年として、後世に記録されるはずだ。鉄腕アトム、マジンガーZ、マクロス、ボトムズ、エヴァンゲリオンとリメイク・続編がズラリ。鉄人28号、ガンダムも実寸大立像で参戦し、特撮世界からはウルトラマンと仮面ライダーが攻勢をかける。これにグレンラガン、エウレカセブンという21世紀作品の劇場版も加わった象徴的な年を、アニメ拡大の始まりであった宇宙戦艦ヤマトが復活して締めくくるというのは、あまりにも出来すぎだ。

 その文脈で『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』の意義を考えると、役割は「変わらぬものの存在を示すこと」にあると言い切れる。攻防を繰りかえす激しい戦闘映像やヤマト発進シーンなど気分を盛りあげる音楽主体の演出、「決断力」が試される危機突破、あっと驚く敵側の逆転の仕掛けなど、映画の視聴覚的なエンターテインメントを追求した姿勢は、まさにホンモノ健在の風格を見せつける。映画興行に必要なスペクタクルのハッタリ感を情緒的に見せつけるという点では、近年まれで貴重な映像世界がそこに現出している。
 一方、精神性に強く依存したアナクロに見える部分や強いメッセージ性など、素直には受け入れがたい生硬な部分も同時に見てとれる。おそらく批判の声もあがるだろう。だが、どんな感想も再検討してみると、「ヤマトはもともとそういうものだった」「前に一度は抱いた感想だ」という結論に吸い込まれていく。この構造に気づいたとき、筆者は慄然としたのである。

 そもそも35年前、テレビシリーズ最初の『宇宙戦艦ヤマト』に反応した筆者らファンたちは、どこの誰かに頼まれたわけでもないのに声をかけあい、集い、ムーブメントを興していった。感想を語り合い、資料を保全しようと努力を重ねた。まだアニメ雑誌は創刊されておらず、街にコンビニエンスストアはなく、ネットも携帯電話もない時代、今から考えればお笑いぐさの文通などアナクロな手段を使い、どうなるか結果は分からないが、何かをしようと決断し、行動を起こしたのだ。そうでなければ自分の気に入った作品も時の中で忘れられ、大事なものが滅びそうな気がしたから……。動機はそれだけで、金銭も名誉も眼中になかった。それを保証するアニメマスコミ自体がないのだから、当然だ。
 運良くその熱い想いが1977年の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』公開のときに社会的な現象にまで発展し、アニメ文化を作りあげた。だが、言い過ぎであることを承知で断言すれば、その後の展開はヤマトが開いた突破口の上にたった虚妄に過ぎないのではないのか。なのに気がつけば、アニメ文化がフルリセットされて急に消し飛ぶ可能性も想像できない声があふれ、小さい枠組みで「ビジネス」というゲームを縮小再生産することを正道とするプレイヤーが増えた。「復活篇」で描かれている、ブラックホールに飲みこまれて消えそうになる地球は、いま目の前にあるのだ。
 だがしかし、たとえ滅亡が眼前に迫っていたとしても、まだ何かやるべきことは確実にある。「地球に迫る危機をヤマトと乗組員が命がけで救う」という物語の趣旨は、変わっていないのだから。内容の良し悪し以前に、こうした不変のメッセージと意気込みを伝えてくれる作品の存在……それを文字通り「有り難い」と思える体験性こそが、2009年を締めくくる本作最大の価値ではないだろうか。

『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』 /http://yamato2009.jp/
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