第11回文化庁メディア芸術祭が、東京・六本木の国立新美術館で2月6日から開催されている。アニメーションの分野では『河童のクゥと夏休み』が大賞に選ばれた。このほか、優秀賞には『うっかりペネロペ』や『天元突破グレンラガン』、『電脳コイル』、『カフカ田舎医者』、『ウシニチ』が選ばれている。 推薦作品も含めて、テレビから映画、ロボットアニメからアートアニメーション、教育アニメ、インディーズ作品まで、メディア芸術祭の特色である既存の境界を越えるは今年も健在である。 明らかに展覧会の特色は、アートとエンタテインメントを中心としたこの境界線の曖昧さだ。ファインアートからサブカルチャーまで幅広い作品をメディア芸術として同じ枠で並列的に扱う。それにより、これらが本来は等価であることが表れる。 つまり、文化庁メディア祭の会場では、現代アートもエンタテインメントとして楽しめる。一方で、子供たちの楽しみであるゲーム映像のなかにも視覚的なアートが内在することがわかる。 アートとエンタテインメントが個々に取り上げられる時は、その違いは判りやすい。しかし、同時に並べられ同じ文脈で語られる時に、その違いはむしろ判らなくなる。 文化庁メディア芸術祭は、これを明らかにする。ここではアートとエンタテインメントが同時に存在するだけでなく、ふたつの両極の作品から中間領域にある、例えばアートアニメーションでありながら商業公開される『カフカ 田舎医者』のような作品が不断に続く。その結果、両者の境界の存在は失われ、そもそもふたつに違いがあるのかすら判らなくなる。 しばしば文化の世界には、ハイカルチャーとポップカルチャーの区別、あるいは差別が存在する。しかし、文化庁メディア芸術祭はそうした区分に挑戦し続けている。 しかし、こうした攻撃的な正の効果の一方で、今年は同じ試みが負の効果も与えているように感じた。全ての作品が同じファーマットで展示されることで、それぞれの作品が持つ個性が削ぎ落とされてしまっているからだ。それは特にアニメーションやゲーム、マンガといったサブカルチャーと呼ばれる分野の作品に感じられる。 きれいに区分され過ぎてしまっていると言っていいかもしれない。例えばひとつのマンガに「マンガ・ストーリーマンガ」とラベルが貼られてしまった段階で、その作品から何か重要なものが失われてしまうのでないかと感じるのだ。 個々の作品がアートとして展示されることで、作品に新しい光があてられ、新しい発見が起こる面白さはある。 しかし、本来、時代や社会と密接に絡み合う作品が、社会的な環境から切り離されることで、作品の持つ雑多感が失われる。結果として、今回、メディア芸術として作品が評価されたそもそもの理由である、作品の持つ全体的な状況の一部が欠落してしまっている。 こうした正と負の効果は、トレードオフの関係にあるのかもしれない。しかし、11年目を迎えたメディア芸術祭は、これを乗り越えることが出来ればさらに発展するに違いない。[数土直志]第11回文化庁メディア芸術祭 公式サイト /http://plaza.bunka.go.jp/
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