■次世代機(PS/SS/N64)へ橋渡しを果たしたSFC後期
G.Suzuki96年にはNintendo 64が発売され、ゲームとしては本格的な3DCGの時代に突入します。これまでSFCを中心に触れてきましたが、SFC後期作品を含めて、3DOやPCエンジン、NEOGEO、ゲームギアなど他のハードについての想い出はあるでしょうか?
SHINJI-coo-Kちょうど当時、自分の家が友人間のたまり場になっていたので、実機のNEOGEOで『THE KING OF FIGHTERS』を94年から毎年購入して遊び始めていましたね。
G.SuzukiおおSHINJIさんはNEOGEO勢でもあったのですね!ちなみに『KOF』ではどんなキャラを使っていたのですか?
SHINJI-coo-K結局家で友達と集まってプレイしていたのでほぼまんべんなく使ってはいたんですが、最終的に「草薙京」、「リョウ・サカザキ」、「テリー・ボガード」の主人公チームに落ち着いていきましたね。これは後年の96くらいからですね。
何しろ『KOF94』ではチームセレクトしかできなかったので、自分だけのオリジナルチームが作れなかったんですよ。
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G.Suzukiそんな事情があったんですね。SFCに関しては、後年の96年に『ドラクエ3』や『マリオRPG』などが発売されるものの、新ハードとしてNintendo 64と『マリオ64』を筆頭としたタイトルの登場から徐々にその役目を終えていきます。自分の印象としては95年~96年にPS/SS/N64が主流となったことから「いつの間にかSFCで遊ばなくなった」と受け止めています。皆さんは「この時ぐらいからSFCではなく、他の後継機ハードで遊ぶようになった」みたいな時期はありますか?
宮崎自分は鈴木さんとは逆で結構遊んでいた記憶があります。RPGだけを狂ったように遊んでいたので、なかなか替えがきかないという感じでした。話すと一晩使っちゃうのでできないですが、95年~96年に発売されたRPGって本当に素晴らしいんですよ。ライフタイムベストである『エストポリス伝記2』が95年ですし、もちろん今でも続くシリーズ作品も多数ありますし、『バハムートラグーン』とか『ルドラの秘宝』とかもその頃の作品でした。新機種でも遊びつつ、そんなにジャンルの幅を広げるというよりは、引っ張り出しては遊んでいたなぁと。
SHINJI-coo-K96年くらいにセガサターンを購入して、そこからしばらくセガサターン用ゲームにどっぷり、といった感じで、プレイステーションを買ったのはまた数年後とかになりますね。スーパーファミコンは最後に買ったゲームが『テイルズ オブ ファンタジア』で印象深いですね。スーパーファミコンでボイスありという。
葛西祝自分の家はまだ家族にビデオゲームの情熱が残っていたのか、N64は父が買っていたなという記憶があります。当時、ぼくの私立中学の受験も大詰めな時期でもあったのにゲームハード買ってて、今思い返すと両親のやっていることにムラがありましたね。
あ、情熱とは違うかも知れません。N64って4人対戦ができるじゃないですか。『マリオカート64』などは。小学校高学年くらいで、ムラがある勉強への厳しさのおかげで両親と少し溝ができている時期だったから、父なりになにか全員で遊べるものを、ということだったのかも……ちなみに中学は無事に公立へ進学しました。
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SHINJI-coo-Kお父様なりの距離の詰め方だったのかも知れませんね……こう考えてみるとビデオゲームも家族で遊べるものになったんだなぁと感慨深いですね。今ならひょっとしたら3世代で遊んでいるかもしれないじゃないですか。ゲームハードの世代が変わったとしても……!
宮崎確かにそうですね。自分はちょうど年号が変わるくらいに子どもが産まれるんですが、確実にSHINJIさんのいう3世代でゲームプレイ家族になっていくと思います。
SHINJI-coo-K おおおー!すごい!おめでとうございます!座談会も締めくくりに近いところでなんていう祝祭情報を……(笑)
G.Suzukiすごい!本当ですか!おめでとうございます!!
葛西祝おお、平成が終わる年に生まれるというのは運命的ですね。おめでとうございます!
SHINJI-coo-K本日上がった『ファイアーエムブレム』の家庭内戦争ではありませんが、家庭内でゲームハード戦争とかしないでくださいね(笑)
宮崎そうですね…。唯一の懸念は自分と同じでオフ専、シングルプレイ大好き派になってしまわないかというだけです。そんなに何台もゲーム機買えませんからね(笑)。
G.Suzukiではそろそろまとめに入りたいと思います。GBからSFC後期までを、今振り返って見てのまとめを各人お願いします。
自分としては、平成初期の当時に幼少期というのもあってGBやSFCに触れられたタイトルは多くありませんでした(どちらかと言えば、もっと後になってプレイした/出来るようになったタイトルがそこそこある)。こればっかりは家庭の事情が大きいので、何とも言えませんが、1プレイヤーとしてみるとSFC方面でゲームの熱狂を少しでも体で感じる事が出来たのかなと言うところです。
他にも今思えば、SFC全盛期が95年だったこともあってPS/SS/N64に全体の期待感が降り注ぎ過ぎなかったこともあって、スムーズに32bit機へ移行出来たのかなと思います。
SHINJI-coo-K今回私たちが語ったものはあくまで個人的な振り返りであり、厳密なゲーム史へのアプローチではありませんが、それぞれやはり「家族」という存在がゲームをプレイする環境で大きなものだったな、というのを強く感じますね。特に、まだまだこれからも世代が変わっていくということを、最後に宮崎さんに不意打ちのストレートで打ち込まれたので(笑)世代といえばゲームハードも世代でわけられるし語れるはずです。
というわけでゲームハード論争など2000年初頭にあったようななかったような幻のような存在について次回で語りたいですね。読者の皆さんも是非これを機に幼少期のゲーム環境などを振り返ってみたり、友人知人と語り合ったりなどすると盛り上がるのではないでしょうか。何しろ今回の座談会の収録時間は2時間を超えたくらいです。語ろう!平成とゲーム!
宮崎昭和の終わりに生まれた自分にとっては、まさにゲームの原体験がちょうどこの時期だったなと未だに強く心に刻まれています。まだ世間一般ではゲームがオタク的な理解できないものであった一方、自分の家庭でいえば現在と変わらぬ重要なコミュニケーションツールでしたし、『ポケモン』然り『ボンバーマン』然り友人とのコミュニケーションツールでもあったなと。
もし、昇龍拳を出す気合いがあれば、もう少し違ったゲーマー人生もあったかなとは思うのですが、逃げ帰って家で一人でゲームをしながら偏執的になっていった情熱を絶やさなかった結果、こうしてゲームと関われる仕事に就けたということで、ゲームばっかしてても人生なんとかなるじゃんということは声を大にして言いたいですね。この流れでいけば、子どもに伝えようということでしょうか(笑)。
葛西祝平成初期を振り返ると、アーケードにほとんど触れていなかったし、アクションゲームも苦手だったからがっちり競い合う体験から離れていたな……と。そのせいでヌルゲーマーとして成長していったなあ……と思うことしきりです。
あらためて平成の初期を思い出すと、ヌルゲーマー的には「ゲームはレベルを上げて物理で殴ればいつかはエンディングにたどり着ける」RPGを代表としたプレイスタイルから、ビデオゲームを評価していたなと思います。子供のころが一番ビデオゲームの持つ多様さから遠ざかっていましたね。
座談会の次回からは、どんなふうにゲームの評価軸は変わっていったかな~ということがお話できればと思いますね。
■次回予告
G.Suzuki今回は、ゲームボーイからスーパーファミコン、そして格闘ゲームブーム到来までを振り返ってみました。内容はほぼ2Dゲームに限った話で進めてきましたが、次回は、コンソールでの3Dゲーム時代の到来を告げるプレイステーションとセガサターン、そしてNintendo 64の94年から00年ぐらいまで振り返ることを予定しています。
UPDATE(2019/3/4 18:30):『ファイアーエムブレム』シリーズ作品名の誤りを訂正しました。コメントでのご指摘ありがとうございます。